キース・ジャレット/Answer Me〜75歳誕生日を祝して
Text by Hideo Kanno 神野秀雄
Answer Me (Fred Rauch & Gerhard Winkler)
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Keith Jarrett: Piano
Recorded live on July 3, 2016 at Béla Bartók National Concert Hall, Palace of Arts, Budapest, Hungary
Recording Engineer: Martin Pearson Mastering Engineer: Christoph Stickel
Produced by Keith Jarrett and Manfred Eicher
ECM Records, May 8, 2020
2020年5月8日、キース・ジャレットが75歳の誕生日を迎えた。ECMは2016年7月3日ブダペストで録音されたピアノソロ未発表テイク<Answer Me>を同日ネット上で公開しキースの誕生日を祝った。ジャズとクラシックで素晴らしい音楽を残して来た巨匠ピアニスト・作曲家であるキースの2016年ピアノソロツアーは欧米8都市で開催され、その中から『Keith Jarrett / Munich 2016』(ECM2667)がリリースされている。
この夏の夜のピアノソロコンサートは、ドナウ川に面し、2005年にオープンした「Müpaブダペスト」(旧ブダペスト文化宮殿)にある、最新の音響設計を誇る「ベラ・バルトーク国立コンサートホール」で日曜夜8時から開催された。
<Answer Me, My Love>は、1952年にドイツ語の歌<Schütt die Sorgen in ein Gläschen Wein, Mütterlein>または<Mütterlein>として作曲され、1953年にカール・シグマンによって英語詞がつけられ、フランキー・レインとデヴィッド・ウィットフィールドの両者のヒットを経て多くのシンガーに歌われ、特にナット・キング・コールの演奏で知られる。キースもたびたび演奏しており、2013年スタンダード・トリオとしての最後の来日公演でも演奏された。
L: ©Woong Chul An / ECM Records R: ©Posztos Janos
※いずれも当日の写真ではなく、参考イメージ。
●キース・ジャレットの75年間
キース・ジャレットの75年の音楽の歩みを貴重な動画を紹介しながら振り返ってみたい。
アメリカがドイツとの戦争に勝利した1945年5月8日「Vデー」に、ペンシルバニア州アレンタウンに生まれたキース・ジャレット(あのビリー・ジョエル<Allentown>(公式ビデオへ)の街だが、ビリーは1949年5月9日にサウスブロンクス生まれ)。言い換えると日本との戦争中に生まれ、またニューヨークに亡命中だったバルトークと僅かに人生が交叉している。3歳でピアノを習い始め、8歳でプロとしての演奏を始める。バークリー音楽大学を中退後、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ(1965)、チャールス・ロイド・カルテット(1966〜1968)、マイルス・デイヴィス・グループ(1970〜1971)などで活躍。
最初のアルバム『Life between the Exit Signs』(Voltex)をチャーリー・ヘイデン(b)、ポール・モチアン(ds)と1967年に録音し、1968年にリリース。このトリオでは『Somewhere Before』(voltex, 1968年録音)が代表作とされる。また、1970年録音の『Gary Burton & Keith Jarrett』(Atlantic)も重要作品となる。
Charles Lloyd Quartet – Molde Jazz Festival 1966, Norway
Charles Lloyd (ts), Keith Jarrett (p), Cecil McBee (b), Jack DeJohnette (ds)
●ECMとの出会い〜ピアノソロ
L+R: ©Roberto_Masotti
マンフレート・アイヒャーがECMレーベルを創設して間もない1971年よりコラボレーションが開始され、『Facing You』(ECM1017)、『Keith Jarret & Jack DeJohnnette / Ruta and Daitya』(ECM1021)を録音。ECMでは当時としては珍しいピアノソロとそのコンサートの記録への取り組み『Solo Concerts Bremen/Lausanne』(ECM1035-37, 1973)、『The Köln Concert』(ECM1064-65, 1975)が評判となり、後者は400万枚以上を売り上げ史上最も売れたピアノアルバムと言われる。ケルンでのソロコンサートは、当時17歳の学生だったヴェラ・バランデスが企画したが、キースの体調が悪い上に、手違いでベーゼンドルファーのフルコンが届かず、調律が悪いという状況で、中止寸前だったが、なんとか開催され、「せっかくだからテープを回しとけやー」で歴史に残る名演が生まれた。この逸話はこちらを参照されたい。稲岡邦彌著『ECMの真実』にも詳細が書かれている。1976年、日本5都市でのピアノソロコンサートを記録した10枚組レコード『Sunbear Concert』(ECM1100)もリリースされた。1978年には鯉沼利成の力もあって、武道館コンサートを実現する。1987年には及川公生をエンジニアに『Dark Intervals』(ECM1379)が録音されている。
この他、オーケストラ作品、パイプオルガン、マルチインストルメンタルなど多様な取り組みを行う。また、『Kenny Wheeler / Gnu High』(ECM1069, 1975)に参加している。
Keith Jarrett Piano Solo Concert at Molde, Norway 1973
●アメリカン・カルテットとヨーロピアン・カルテット
1968年からのチャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンとのトリオに、1971年よりデューイ・レッドマン(ts)が加わって、”アメリカン・カルテット”(1971〜1976)として活動を継続し、主にアトランティック、インパルスからリリースを続け、1976年録音のECM盤『The Surviver’s Suite』『Eyes of The Heart』を以って終了する。1974年にアメリカン・カルテットで初来日する。この初来日から2016年の来日までほとんどの公演を鯉沼利成が行っている。なお、『Pat Metheny 80/81』(ECM1080/1081)と関連して、キースがパット・メセニーに入れ替わったカルテットがライブ活動を行っていたのが興味深く、オーネット・コールマンの影響を含めたキースとパットの距離の近さを示している。
ノルウェーからヤン・ガルバレクとヨン・クリステンセン、スウェーデンからパレ・ダニエルソンが加わった”ヨーロピアン・カルテット”は、『Belonging』(ECM1050,1974)と『My Song』(ECM1115, 1978)のスタジオ録音2枚を残しており、1979年4月に来日して、『Personal Mountains』(ECM1382)、『Sleepers』(ECM2290/91)が数十年後にリリースされた。『Nude Ants』(ECM1171/72)に記録された1979年5月、ニューヨーク・ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴをもって活動を終了する。『My Song』はECMで最も売れたアルバムのひとつとされ、自身の影響を受けたアルバムに挙げるミュージシャンやファンはとても多い。
Keith Jarrett “American” Quartet with Guilherme Franco at Berliner Jazztage 1973
Keith Jarrett (p), Dewey Redman (ts), Charlie Haden (b), Paul Motian (ds), Guilherme Franco (perc)
Keith Jarrett “European” Quartet in Hanover 1974
Keith Jarrett (p), Jan Garbarek (ts,ss), Palle Danielsson (b), Jon Christensen (ds) (Part 2 へ続く)
●スタンダーズ・トリオ
その後もキースはソロコンサートを続けるが、1983年以降の活動は、主にソロとスタンダーズ・トリオ(1983-2014)の二本立てとなる。1983年にニューヨークでノルウェーのエンジニア、ヤン・エリック・コングスハウクにより録音され、『Standards Vol.1』(ECM1255)、『Standards Vol.2』(ECM1289)、『Changes』(ECM1276)としてリリースされる。二つのカルテットからトリオへ4年の空白があるように見えるが、1977年に、ゲイリー・ピーコック(b)とジャック・ディジョネット(ds)のトリオで『Gary Peacock / Tales of Another』録音しているので連続している。またトリオで初演と思われていたキースのオリジナルの多くが、ヨーロピアン・カルテットの日本公演で演奏されていたことが後に判明する。
1980年〜87年は重要な時期にあたるが、「Tokyo Music Joy」で録音された『Keith Jarrett Samuel Barbar / Bela Bartók / Keith Jarrett』のアルバムレビューをご参照いただきたい。
Keith Jarrett Standards Trio – Rider – Live in Japan 1985
Keith Jarrett (p), Gary Burton (b), Jack DeJohnnette (ds) February 15, 1985
Keith Jarrett Piano Solo – Over the Rainbow (Tokyo 1984)
●復帰を祈って
1996年に筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)により演奏と生活に困難を来すようになり闘病の末、1998年に自宅で録音された『The Melody At Night, With You』(ECM1675)をもって復活し、再び、ピアノソロとトリオでのツアーを行うようになる。なお『The Melody At Night, With You』は『The Köln Concert』と同様に、キースのチェック済みの公式の楽譜が出版されている。
スタンダーズ・トリオでの演奏は2014年11月30日のニュージャージー・パフォーミング・アーツ・センター(NJPAC)が最後でこちらはおそらく継続されないと思われるが、よい話としては、高齢でもあり継続できないひとつの要因と思われたゲイリー・ピーコックの健康状態だが、ゲイリーはその後も自身のトリオでライブを行った。
その少し前の元気なキースの姿として、自宅スタジオでのチャーリー・ヘイデンとのセッションを。これはチャーリーのドキュメンタリー映画『Charlie Haden: Rambling Boy』(2009)に使うインタビューのためにキースの自宅を訪れたことで奇跡のセッションが実現したもので、『Jasmine』(ECM2165)、『Last Dance』(ECM2399)としてリリースされ。また、NEAジャズ・マスター・アワードでのスピーチもご覧いただきたい。
いまのところ、2017年2月15日ニューヨーク・カーネギー・ホールでのソロコンサートを最後に活動を休止中となっている。その間、リリースされたヴェネチアのホール、フェニーチェでのピアノソロライブ『La Fenice』(ECM2601)、フェニーチェはフェニックスを意味し、二度の大火災から甦っていることもその名にふさわしく、フェニーチェを想いながら、キースの健康と復帰を心より祈りたい。
Keith Jarrett – Interview + Speech at NEA Jazz Masters Awards 2014
Keith Jarrett & Charlie Haden “Jasmine” Session
The Sun Whose Rays – Piano Solo at Teatro La Fenice, Venice, 2006
Happy 75th Birthday, Keith!
High Note Sky Bar in Budapest, Hungary