# 079 尾川雄介+塚本謙『インディペンデント・ブラック・ジャズ・オブ・アメリカ』
text by 稲岡邦弥
書名:インディペンデント・ブラック・ジャズ・オブ・アメリカ
著者:尾川雄介+塚本謙
版元:株式会社リットー・ミュージック
初版:2014年3月20日
定価:2,800円+税
腰巻きコピー:
世界最高峰の黒いジャズ・カタログ
メインストリーム・ジャズの凋落、フリー・ジャズの飽和、そしてコルトレーンの他界によりもたらされた“ジャズの死”―― 60年代末から70年代にかけての混沌とした時代を生きぬくため、黒人ミュージシャンたちが開拓した新たなるジャズの地平。
アメリカの“インディペンデント・ブラック・ジャズ”? 聞き慣れない言葉に首を傾げる読者も多いのではないだろうか。「前書き」に曰く、“70年代の黒人ミュージシャンたちが生み出した、時代の空気を孕んだシリアスなジャズ”。しかし、既成のさまざまな呼び名、スピリチュアル・ジャズ、ドロドロ・ジャズ、ディープ・ジャズ、フリー・ジャズ、アヴァンギャルド・ジャズ、ニュー・ジャズ、ブラック・コンシャスネス・ジャズ、どれも、帯に短しタスキに長し。苦慮した挙げ句、“ウマい一言は放棄して、特性をそのまま説明することにした”。そして、“あの時代の[黒ジャズ]にもっとも相応しい言葉――自主、独立、自立、独自をキーワードに、地域性/民族性/音楽性を限定した結果”生まれたのが“インディペンデント・ブラック・ジャズ・オブ・アメリカ”というわけだ。
ページを繰って驚いた。ストラタ・イースト・レコードが登場。主宰者のひとり、スタンリー・カウエルのインタヴュー、インディア・ナヴィゲーション、日本のレーベルではWHYNOTとNADJA。WHYNOTの主宰者・悠雅彦氏(当誌主幹)のインタヴュー。他にも当時見聞きしたレコードが次々に登場する。まるで自分の青春時代を振り返るがごとき印象。私がレコード会社に在籍し多忙を極めていた時期がまさにこの70年代なのだ。トリオレコードは新興で他社のように欧米のメジャー・レーベルのカタログを持っていなかった。いきおい、ECMのように新興レーベルとの契約が中心になる。それと、私自身、ジャズはその時代を移す鏡、その時代を生きるミュージシャンの生きざまを伝える音楽、と考えていたので、欧米の“今のジャズ”をいち早く日本のファンに聞かせたい、という意欲が強かった。
アメリカから70年代を代表する7レーベル、加えて、日本とヨーロッパ。“黒い血潮がたぎる魂のジャズ”が615選、カラー・ジャケット付きでカタログ化された労作。各レーベルにはショート・ヒストリーが付され、ブラック・ジャズ・レコードのダグ・カーン、トライブ・レコードのウェンデル・ハリソンなど主要レーベルを象徴するミュージシャンのインタヴューも。FreedomやESP、Delmark、ECMなどは該当するアルバムがピックアップされているが、AACMの全貌を伝えるDelmark(このレーベルもトリオレコードが国内発売していた)などはミュージシャンの自主運営ではないものの、インディで、アルバム制作は自主だったので、レーベルとして取り上げても良かったのではないだろうか。もっとも、この著作の刊行の背景には、70年代のブラック・ジャズを“スピリチュアル・ジャズ”として再発見した“レア・グルーヴ世代”のためのバイブル編集的な姿勢が見えるので、AACMはそのクリエイティヴな側面から編集コンセプトからはやや外れることになるのかも知れない。加えて、彼らの音楽的、精神的バックボーンとなった5人のエスタブリッシュメント、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィー、アルバート・アイラー、セシル・テイラーの作品は対象外となっている。これも“レア・グルーヴ”の視点から外れるし、あらためて本書のようなガイドブックを待つ必要がないからだろう。
ひとつ、本書で散見される、黒人、アフロ・アメリカンという言葉は、70年代のジャズを扱っているとはいえ、現在のジャズ・シーンで一般的な“アフリカン・アメリカン”に統一すべきではなかったか。あるいは、ひとこと注釈を加えても良かったのではないかと思える。しかし、カタログ編集の苦労を知るひとりとして、70年代というブラック・ジャズがもっとも活況を呈した時代をアルバムを通して切り取る作業の労苦は想像をはるかに超えたものであったことは間違いない。類書がなく、国外でも話題になるのは必至と思われる。
初出:Jazz Tokyo 2014.4.27