#1366 『齋藤徹 / TRAVESSIA』
text by Hideaki Kondo 近藤秀秋
TRAVESSIA、TRV-020
齋藤徹 Tetsu Saitoh: Contrabass
- 王女メディアのテーマ (齋藤徹)
- 組曲「ストーンアウト」より「序章」・「とんび」・「終章」 (齋藤徹)
- Invitation (齋藤徹)
- 組曲「浸水の森」より「夜」 (齋藤徹)
- Naquelle Tiempo ‐ あの頃 (ピシンギーニャ)
- バロンミンガス
- エスクアロ (アストル・ピアソラ)
- アルマンド (バッハ) *無伴奏チェロ組曲6番より
- 霧の中の風景 (齋藤徹)
- Toda Mi Vida ‐ インプロヴィゼーション (齋藤徹)
2016年7月8日 永福町 sonorium にてライブ録音
録音、整音:市村隼人
帯文章:齊藤聡
撮影:前澤秀登
英訳:Tyler Eaton、尾崎文香
ジャケット絵画:小林裕児
コンサート制作:オフィス還暦(喜多直毅、齋藤真紀、かみむら泰一、田辺和弘、田嶋真佐雄)
今年2016年7月8日に、東京・永福町にある残響の美しいホールsonorium で行われた、コントラバス奏者・齋藤徹のライブコンサートの録音。
このコンサートは齋藤の還暦を祝ったものであり、これまでの齋藤の活動を俯瞰したプログラムが組まれた。齋藤が音楽監督を務めたこれまでの舞台作品やインプロヴィゼーションのほか、チャールズ・ミンガスの重要レパートリー、ボッサ以前の独特な文化様相を表象したブラジル音楽、齋藤に大きな影響を与えたであろうピアソラのタンゴやバッハ。オリジナルと並置されたこれら楽曲群は、齋藤の音楽的変遷をたいへん見えやすいものにしており、齋藤徹という大変な才能を知る入り口として最適の録音でもある。しかし本当の価値は、様々な音楽を扱いながらも、演奏の美感として統一されたもの、集約された齋藤の芸術家としての美意識や主張の中にあると感じる。
数多くの齋藤の録音を繰り返し聴いてきたはずだが、それでもこの音楽の大変な素晴らしさには改めて揺さぶられた。ゲイリー・カーなどのクラシック系、あるいはエディ・ゴメスなどのジャズ系などの優れたコントラバス演奏を体験した人であっても、バリー・ガイや齋藤徹の演奏には驚きを禁じえないだろう。高い演奏技術のほか、音響のパレット数が最初から違うのだから、当然といえば当然だ。しかし技術研鑽やパレットを増やす事自体ではなく、その音や行為に向かう先が動機としてあるように思える事が、齋藤のパフォーマンスを大道芸的な驚きにではなく、芸術的な感動に導く。音楽に限定されない数多くのパフォーマーや美術家と関わりながら活動をしてきた齋藤には、即物的な音響の快だけには還元できない希求があるのではないか。もしそれが無ければ習慣的な音楽行為や寄り道に迷っても良さそうなものだが、そこは巧みに回避され、行為と音響が常に同一方向に向かう。なぜその曲を書くのか、なぜ演奏するのか、音楽家としてどうあるか、何を身を持って具象するか…こういう所から起こされる音楽は、既にして人間のアクチュアリティに接触する性質を伴うもので、これは既にコントラバシストという形容では表現しきれない領域であり、価値の高い音楽の扱い方といえるだろう。
音楽だけでなく、ホールのアコースティックを十分に生かした録音、3面デジトレイ仕様の丁寧な装丁、アートワークなど、音楽以外の様々な点のすべてがプロフェッショナルなCD。
(近藤秀秋、2016.12.4)