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Jazz and Far Beyond

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CD/DVD Disks特集『クリス・ピッツィオコス』No. 227

#1380『CP Unit/Before the Heat Death』

Text by 剛田武  Takeshi Goda

CD : Clean Feed  CF408CD

Chris Pitsiokos (as, all compositions)
Brandon Seabrook (g)
Tim Dahl (b)
Weasel Walter (ds)

  1. Fried
  2. Quantized
  3. Death in the Afternoon
  4. Ballad
  5. Guillotine
  6. Supersax
  7. Wet Brain

Recorded by Jason Lafarge at Seizures Palace January 20th, 2016
Mixed and Mastered by Weasel Walter
Produced by Chris Pitsiokos
Executive Production by Pedro Costa for Trem Azul

音楽の”終焉”へ向けて、この世界の片隅のニューヨークから来るべきもの。

「Heat Death (of the Universe)」=熱的死(ねってきし)とは、宇宙の最終状態として考えられうる状態で、宇宙のエントロピーが最大となる状態を指す。(Weblio和英辞典より)

エントロピーとは混沌性・不規則性の程度を表す指標であり、エントロピーが増大すると無秩序状態に近づく。エントロピーが最大になると、完全に無秩序になり、事象は機能を停止する。エントロピーを筆者なりに別の言葉に当て嵌めると抽象(Abstract)・破綻(Annihilation)・無政府状態(Anarchy)となる。芸術表現に於いてこの三つの「A」を追求すると芸術として機能停止に陥るのだろうか。答えは否。この点が「芸術(Art)」と「現実(Reality)」もしくは「技術(Technology)」の相違である。「A.R.T.=芸術」という不定形で可逆性に満ちた事象に於いて、秩序を悪とし、混沌を是とする一群の集団(ユング的な集団的無意識とは似て非なるもの)が存在することは、とりわけ前衛(Avant‐garde)と呼ばれる意識(Awareness)を有して行為(Action)に勤しむ活動家(Activist)を想起することで、その有意性が証明される。

この世界の片隅に在るニューヨーク・ネオ・ロフト・シーン(筆者の思いつきによる呼称でありその有意性は他の検証者の手に委ねたい)で表現行為を行う四人の活動家で構成されるCPユニットなる集団は、世界のエントロピーの増大に深く関与する音楽を創造している。ブランドン・シーブルックは「He annihilates his instrument. (彼は自分の楽器を崩壊させる)- Village Voice」と評されるパンク・ジャズ・ギタリスト。ティム・ダールはノイズ・ロック・バンドChild Abuseや、NYパンクの女王リディア・ランチのLydia Lunch’s Retrovirus、音響ジャズコンボPulverize The Soundなどで活動する前衛ベーシスト。ドラムのウィーゼル・ウォルターは90年代から活動する演奏家、作曲家、プロデューサー、レーベル・オーナー。言わずと知れた現在のNYシーンの顔役である。

くせ者3人を率いるのは20代半ばのサックス奏者クリス・ピッツィオコス。NYシーンに参入して5年目にして、既に台風の目として八面六臂の活動をする若き運動家(Athlete)である。自己の名前を冠したChris Pitsiokos Quartetによる『One Eye with a Microscope Attached』を昨年リリースし、最新型のジャズファンクを提示した。同カルテットとほぼ同時期に結成されたCPユニットのデビュー作が本作である。彼の作曲能力が遺憾なく発揮された作品で、常々敬意を表明するアンソニー・ブラクストンの幾何学的なコンポジションに相通じる数学的な複雑さを持つ楽曲は、演奏者にとっては難易度の高い技巧性を要するチャレンジングな作品に違いない。しかし難解さや衒学趣味とは無縁の娯楽作品足り得ている理由は、ピッツィオコスのハイレベルなポップセンスと、フィジカル/スピリチュアル両面のダンス・ミュージックへの共感、そして音楽の”その先(Far Beyond)”にあるものへの好奇心と探究心にある。芸術的エントロピー、もしくは先述した三つの「A」を突き詰めて行った先には何があるのか?パンドラの函を開けてしまうか、もしくは核爆弾の発射ボタンを押してしまうか、ブラックホールへ陥ってしまうのか?−−−−期待と不安に満ちた音楽の”熱的死”の一歩手前、まさに寸止めの状態を描き出したのがこのアルバムである。

ジャズの”死滅”とは故・間章が好んだ妄想的主題であったが、ピッツィオコスたちが提唱する音楽の”終焉”は、より現実感のある譬えようも無く甘美な装いで聴き手を魅了する。CPユニットの謎解きに満ちた音楽エントロピーによる精神マッサージで活性化された我々の魂は、もしかしたら”その先(Far Beyond)”を見ることが出来るかもしれない。そんな希望に溢れた一枚である。(2017年2月26日 剛田武記)

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

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