#1397『Rema Hasumi 蓮見令麻 / Billows of Blue』
text by Masanori Tada 多田雅範
現代ジャズ・ピアノ・シーンの諸相をあぶり出す6アルバム連続試聴記
Ruweh 004
Rema Hasumi (piano, voice)
Masa Kamaguchi (acoustic bass)
Randy Peterson (drums)
1 Vers Libre I
2 Still or Again
3 Nocturnal
4 Vapors of Voices
5 Keep My Water Still
6 In The Mists of March
7 Billows of Blue
8 Vers Libre II
Recorded June 2016 at Oktaven Audio
Engineered by Ryan Streber
Mixed by Pete Rende
Mastered by Luis Bacque
私たちは日々、生まれ、死んでいる、気付かずに老いていれるか、ピアノの革命が蓮見令麻によってなされていた、
冒頭に置かれた、4分ほどのピアノ・ソロを聴くだけで、それはわかる、
すでにいくつかのレビューで触れられているとおり、後期の菊地雅章の到達を、この蓮見令麻のピアノは備えている、が、その先を、彼女の指は繊細にかつ驚異的なコントロールと抑制されたいくつもの重力の相克を注意深く避けて、
柔らかく、皮膚の表面を撫でるがごとくに、ここでわたしはタクタイル Tactile 触覚的な聴取を発見している、が、それは表層的な意味ではなくどこか精神の奥深くを揺らすようなものとして思考している、
これはわたしの発見だ、
昨年の米澤恵美トリオ(ベース:ジョン・エイベア、タイコ:エリック・マクファーソン、フレッド・ハーシュ・トリオのリズム隊だぜ)『Result of the Colors』、こちらはリリカルなピアノ・トリオのフィールドのものだが、そのピアノの歩み、おそらく本人すらも自覚していないだろう未解決な謎の生成する指の運び、もちろん米澤のピアノが蓮見に似ていると指摘するわけではない、はっきりと似ていない、惹きつけられること、米澤が来日して新宿ピットインで一緒に演ったのは橋爪亮督と市野元彦だが共演するに値するとミュージシャン同士が惹きつけあう「音楽の謎なりサムシング」を生成させる能力、私はこの盤を年間ベストに挙げるものだ(音楽サイトmusicircus近日更新予定)、これは気付きづらいしややもすると下手くそだと安易に聴取される危惧もあるもの、取扱注意、このピアニストは凄い、これもわたしの発見だ、ちょっと脱線してしまった、
話を蓮見に戻そう、彼女は自己のレーベル Ruweh Records を興し『UTAZATA』を昨年リリースしている、トッド・ヌーフェルド、トーマス・モーガン、ビリー・ミンツらと、もちろん菊地雅章の衣鉢を継ぎつつもそこにとどまらない、雅楽や子守歌といった日本の伝統的音楽からのインスパイアも響かせる傑作だったわけだが、
いかんなあ、こうして言葉に説明してゆくとどんどんストライクゾーンから外れていくみたいだ、
たとえばさ、90年代の熱血フリージャズシーンを席巻したデヴィッドSウエア・カルテット(これはジャズ神ウイリアム・パーカーが発火させていたんだぜ)んところにいたマシュー・シップがいっとき「すべてを弾き終えた」と宣言までして(もちろん彼はセシル・テイラー以降もっとも重要なピアニストではある)休んだことがあるでしょ(その後の惨状は彼のせいではなくシーンの潮目が変わったのだが)、何言ってんだという世界だね、キクチがテイボーンが拓いてみせてくれたじゃないか、
ううむ、ますますフォアボール満塁の危機だぜ、もう一度声を出して書いて見たい、
彼女の指は繊細にかつ驚異的なコントロールと抑制されたいくつもの重力の相克を注意深く避けて、柔らかく、皮膚の表面を撫でるがごとくに、ここでわたしはタクタイル Tactile 触覚的な聴取を発見している、が、それは表層的な意味ではなくどこか精神の奥深くを揺らすようなものとして思考している、
ごーまんかましてよかですか的だが、おれはジャズもクラシックも古今のピアニストをその価値を特質を狂気を把握している(デーラーのピアノフォルテの価値を知ったのは先週だがな)、蓮見令麻のピアノはそれらを内包しつつ、未だまったく鳴らされてこなかった領域を顕わにしている、
(わたしはここで、未だまったく使われていない日本語の領域と述べた詩人・蜂飼耳の新しさを想起している、または借りパクしている)
それはねえ、三善晃が弾いたピアノとか、フレッド・ハーシュはどうかなあ、プーさんも乗り越えられたねえ、ピリスもシフも畑違いだが瞠目もしくは嫉妬を覚えるだろう、蓮見本人は「何かを注意深く避けてなんていませんよ」と私のテキストを否定するだろう、いいんだよそのために書くのだ、
これをピアノの革命だと言わずに何と言うのか、
(もちろんそれは小さなことだが、ピアノを録る権威となったECMレーベルへの批評となっているし、蓮見が自身のレーベルを興す必然でも)
作品はベースのマサカマグチ (釜口雅敏) とタイコのランディ・パターソンとの創造に引き継がれる、言うまでもなくこのテクスチャーは現代ジャズのレジェンド、ジョー・マネリ尊父(ヴィオラのマット・マネリの父だ)がハットロジーやスティーブレイク制作ラインのECMに痕跡を残した神的アイコンを即座に見せてくれているが、そういう抑圧的物言いはまさに音楽がわたしを聴いていることに過ぎないだろう、
https://www.youtube.com/watch?v=0cNQxftEJqI
4/08 録音風景のyoutube映像を追加しました。