ユッスー・ンドゥール『エジプト』
ユッスー・ンドゥールの『エジプト』とイスラム
text & photo : Miyoko Akiyama 秋山美代子
今年の5月20日、10ヶ月ぶりにユッスー・ンドゥールとパリで会った。ベルシーのGrand Balでのことである。その時彼から、スペシャル・アルバムが6月8日に発表されることを聞かされた。そのニュー・アルバム「Egypt」(Nonesuch 79694-2 日本未発売)は、土着信仰に根ざし日常生活に無理なく溶け込みながら、独自の発展を遂げたセネガル・イスラム教の聖人たちへのオマージュである。
セネガル2大宗派の開祖、ムーリッドのAmadou BambaとティジャンのIbrahim Niasse、そして近年ダカール周辺で勢力を増すライェンの開祖Limamou Layeら、セネガル建国の歴史における巨人たちでもある彼らを歌っている。ユッスーの言うように、このアルバムはセネガル伝統のリズム、ンバラを基盤にした従来の彼の音作りとは少し趣を異にしている。西アフリカのパーカッションとコラが、ユッスーの小節のきいた歌唱をしっかりサポートしつつも、ウード(アラブ琵琶)やカワラ(エジプト葦笛)など民俗楽器とヴァイオリンが織り成す、オリエンタル寄りのアラブ色が濃い作品となっている。
それもそのはず、タイトル通りエジプトのFathy Salamaオーケストラをバックに、カイロで録音されていた。それから数年経過してリリースに至った理由は、イスラムのイメージを悪化させている近年の世界情勢と、セネガル人である自分とイスラムの関わりについて整理する時間が必要だったようだ。
ブッシュのイラク攻撃に抗議して、4週間に及ぶ大規模な全米ツアーを直前にキャンセルした話は有名だが「イスラム教が世界中で議論の的になった場合、人々がどのようにこの宗教を引き継いでいるか知る必要がある。それは全くテロリズムや暴力とは無関係だ。そして今このアルバムを発表する時が来たと思う。」ユッスーはアルジャ・ジーラ、BBC等のメディアにそう答えている。
この「Egypt」はユッスーの友人で、アフリカとアラブの現代音楽にも造詣が深い、前日本代表監督フィリップ・トルシエの最近の愛聴盤だと言う。また彼は、レコーディングとほぼ同じメンバーのオーケストラと、ユッスーが共演したコンサートも観たそうで、実に羨ましい限りである。今年のワールド・ツアーでは、こうしたスペシャルなショーも時々行っているらしい。
残念ながら、5月のパリ・ベルシー公演ではこの共演は見られなかったが、アンジェリック・キジョやタニア・サンバールといった綺麗どころと、艶っぽい掛け合いを聴かせて(見せて)大いに沸かせてくれた。
このコンサートGrand Balは数年前から、フランス在住のセネガル人たちにとって最大の恒例イヴェントになっている。スイス、ベルギー等近隣国はもとより、ニューヨーク、ロンドンそして本拠地ダカールからも、Grand Balが行われるベルシー屋内スポーツ・センター目指して、2万5千人あまりのセネガル人同胞が大挙する。つまりここへ来れば、ご無沙汰している、気になるあの人にもこの人にも会えて、各国各地セネガル人コミュニティの有益な情報が入手できるという訳だ。もちろん我らが兄貴ユッスーの歌声と怒涛のパーカッションを楽しめるとなれば、セネガル人の血が騒ぐことこの上なしである。
コンサートは午後9時から午前3時頃まで続く。ユッスーは4度衣装替えし、その間セカンド・ヴォーカルのウゼン・ンジャイと、(体調を崩して1年以上ツアーへの参加は控えていたようだが、すっかりスマートになり元気回復)今やセネガルを代表する女性歌手に成長したヴィヴィアンが、ユッスーの引き立て役では終わらないとばかり熱唱すれば、セネガルで今一番の女性ダンサー、カディジャがコミカルなダンスで観衆を爆笑の渦に巻き込む。
世界最強と称される、ババカル・ファイとアサン・チャムが叩き出すアフリカン・ビートはいよいよ冴え渡り、ユッスーはいつもにも増して伸びと張りのある高音をここぞと聴かせる。ベルシーに集まった大観衆ほぼ全員が(興奮と酸欠で、赤十字隊に場外に運び出されるファンもいた)堪能しきって会場を後にするが、お喋りが最大の社交手段であるセネガル人たちは、あらかじめ貸切り予約してある、パリ市内のナイト・クラブになだれ込み、朝まで2次会が続くのである。
当然ホストのユッスーは大忙し、終演後息つく間もなく次々と、私を含めた大勢のゲストと不眠不休(?!)で談笑する。「この日のために5大大陸から、僕の友人たちが応援に駆けつけてくれて実に嬉しい。音楽家(グリオ:歌うジャーナリスト)という職業を選んで本当によかった!Grand Balは僕のファンとセネガル人の年に1度のお祭りだ。皆にも楽しんでもらえたと確信している。」大きな眼をクルクルとさせてそう語っていた。
名作「ネルソン・マンデーラ」の発表から20年経過した現在、ユッスーはヨーロッパ・ツアーの真っ最中である。サッカー界と強いつながりを持つ彼は、今後2010年ワールド・カップ南アフリカ開催に向けて、象徴的役割を果たして行くことになるだろう。(2004年10月)
*初出:2004年10月25日 Jazz Tokyo #008
秋山美代子 Miyoko Akiyama
フォト・ジャーナリスト。ユッスー・ンドゥールのデビュー当時のコスチューム・デザイナー。ユッスーから楽曲<Miyoko>を献呈される (『Set』1990に収録)。来日実現にも尽力するなど、ユッスーのキャリアをサポート。1998年、写真集『XIPPI』をマガジンハウスから刊行。