#1625『Sam Rivers Trio / Emanation』+『Sunny Murray Trio / Homework』
『サム・リヴァース・トリオ/エマネイション』+『サニー・マレイ・トリオ/ホームワーク』
text by Yoshiaki onnyk Kinno 金野onnyk吉晃
『Sam Rivers Trio / Emanation』
NoBusiness Records NBCD 118
Sam Rivers – tenor and soprano saxophones, flute, piano
Cecil McBee – bass
Norman Connors – drums
1. Emanation. Part I 31:09
2. Emanation. Part II 45:32
Recorded 3rd June, 1971 at the Jazz Workshop, Boston
Original recording produced by Ed Michel
Re-mastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios
『Sunny Murray Trio / Homework』
NoBusiness Records NBCD 116
Sunny Murray – drums
Bob Dickie – bass
Robert Andreano – guitar
1. Homework 18:56
2. Swell 9:11
3. Good Things 11:16
4. Why You Need A Lawyer When Your Pants On Fire 18:54
5. Memorial Day 7:02
6. In 1:35
Original, limited LP-only edition released as Super Secret Sound (3SLP 010) in 1997
Recorded 30 May, 1994 at 816 South St. Philadelphia, PA
* Bob Dickie – bass clarinet, Robert Andreano – bass
Engineered & mixed by Robert Andreano
2019 expanded CD edition
Re-mastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios
サム・リヴァース (1923〜2011) とサニー・マレイ (1936〜2017) に捧ぐ
編集長の許可を得て、今回はこの二枚を同時にレビューする事にした。
というのも、この2人は、あのフリージャズの時代を生き抜いてきた闘士であり、また70年代ロフトジャズの興隆にも関わったのだし、同時ではないがセシル・テイラーのコンボに居た事がある。その2人を今回、同時にリトアニアの「ノー・ビジネス(NoBusiness Records)」がリリースしたのだから、どうしても一緒に語りたいという欲求が抑えられなかった。
面倒だから一括りにしちまえという安易な発想ではない。最近どんどん発掘された名演をリリースするノー・ビジネス(NoBusiness Records) にも本当に敬意をはらう次第だ。まさに「仕事じゃない」、これは使命だといわんばかりのフリージャズ・オンパレード。彼らが出すのは、本国では評価もリスナーも得難い音楽だが、それを良好な音質とユニークなデザインのジャケットで覆い、世界に、現在に再発信しているのだ。
敢えてここで書くまでもないが、稲岡編集長や「ちゃぷちゃぷレコード」の末冨氏の尽力、そして、過去の苦難の歴史が陽の目を見るときがやってきている。
リヴァースもマレイも決して自分達の道を逸れなかった。経済的には厳しかっただろう。マレイはニューヨークでタクシードライバーをしていた。リヴァースは「スタジオ・リヴビー」という、まさにロフトジャズの揺籃を運営していた。
マレイの、この録音は、私が聴く限りでは彼の他の演奏とはかなり違う位相を示している。ギターとベース、またはバスクラとベースのトリオ。最初に聴いたとき、思い出したのはビル・フリーゼル、ロナルド・シャノン・ジャクソン、メルヴィン・ギブスのトリオによる『パワー・ツールズ』だった。しかしそれに比べればシャープさがない。何か地を這うような暗雲の漂うような、長い導入部。それは次第にひとつのうねりとなって覆いかぶさってくる。
マレイのドラミングは本来決してシャープ、タイトではない。このアルバムに収録されたソロを聴いても、どちらかといえば野暮ったい、しかし重いキックの音と細かいシンバルワーク、それは60年代から変わっていない。もし似た演奏スタイルを挙げれば、スヴェン・オケ・ヨハンソンだろうか。
かたやリズムの維持を放擲して、パルスのドラミング、まさに「フリージャズのドラム」を生み出したマレイ、そして海の向こうで「フリーミュージック」を提唱した一群の代表の一人ヨハンソン。強い影響は感じられる。
マレイ、そしてアルバート・アイラーとゲイリー・ピーコックとのトリオはまさに革命的だった。「何かが変わった、しかも確実に」という演奏だった。マレイのパルスは変幻自在なビーコックのベースと絡み合い、アイラーの咆哮を支えた。しかしマレイは、セシル・テイラー、ジミー・ライオンズと、その3年前にトリオを組んでいたのだ。
私はいつも62年のカフェ・モンマルトルに思いを馳せる。そこでは酔客の会話、おざなりな拍手、転がる瓶の音まではっきり聞こえるが、テイラー・ユニットは、ひたすらに自らを鍛え上げていた。マレイはジャズから遂にリズムの呪縛を断ち切っていた。
それから30年が過ぎ、94年に録音されたエレクトリック・ベースとエレクトリック・ギターのトリオは、決して革命的ではない。しかし、今こそ革命が必要ではないのか、ポピュリズムとレイシズムと保護主義のアメリカに。そして改憲、原子力製作、基地問題、大地震の予兆に怯え、五輪、万博に浮かれる国に。革命というのがあまりにも前時代的でレトリックに過ぎず、曖昧だと笑われるなら、フリージャズの精神を何と呼べばいいのだろう。少なくともそれは、こぎれいなホールや、都会のクラブで、時を忘れる享楽の音楽ではない。
そうだ、音楽の精神的作用には、ものを考えなくするという機能がある。しかしフリージャズは考えさせるだろう。ワタシは今何を聴いているのかと。
ジャック・デリダがオーネット・コールマンに期待したのは何だったのか。ロゴサントリスム、フォノサントリスムに対抗する脱構築としてのサウンド、声=言葉に対する音の差延としてのハーモロディクスではなかったとすればなんだったのだろう。それは少なくともジル・ドゥルーズがボブ・ダイランに期待したものとは決定的に違う。ましてやジャック・アタリのセンスなどあてにならない。
テナーの闘士、リヴァースを意識したのは、セシル・テイラーの『マグー美術館の夜=Aの第二幕』だが、このときドラマーは既にアンドリュー・シリルになっている。69年の演奏だ。これに先立つ『ユニット・ストラクチャーズ』(1966)には参加していない。しかしリヴァースは64年から67年にかけてブルーノートに毎年録音をしているから独自に歩を進め、そしてテイラーに出会っていたのだ。
今回のリリースでソプラノ、フルート、そしてピアノも聴かせる。
時に声を出しながらソウルフルに歌うフルートも良い。叫び、歌い、そしてオカリナも吹いているようだ。しかし私は特に彼のピアノに惹かれた。確かにピアニストの音ではない。しかしここには、かつて一緒にやってきたセシル・テイラー以上にソウルフルなピアニストがいる。どこかミルフォード・グレイヴスのピアノにも似ている。
リヴァースは、72年、ジョージ・ラッセル=ビル・エヴァンスのオーケストラで、滅多に共演する事の無い名手たちとも共演(ジミー・ジュフリー、ジョー・ヘンダーソン、エディ・ゴメス、ロン・カーター、スタンリー・クラーク、トニー・ウィリアムス、マーティ・モレル等々)、またECMにもデイヴ・ホランド、アンソニー・ブラクストンと録音している。豊穣な年だった。まさにEmanation=横溢の時。
この録音から5年して彼は、マイケル・クスクーナと協力し5枚組のLP『ワイルド・フラワーズ』を製作する。サニー・マレイも参加し、かつてのフリージャズの戦友会の趣もあるが、若きデヴィッド・マレイや「エアー」の面々など、22のトラック全てが聞き応えある熱演だ。この、まさにロフトジャズの宣言は、リヴァースのスタジオ・リヴビーの十年間の臥薪嘗胆によって発信された(それは「ちゃぷちゃぷレコード」に言うべきかな)。
こういう言い方は嫌いだが、コマーシャリズムに背を向けて、彼自身とブラック・ミュージックの為に戦う音楽家のイメージがある。
私がフリージャズ、フリージャズと執拗に繰り返す。そしてまたフリーミュージックは、と語りだす。そこには明瞭な違いがある。前者にはフレーズとしてのテーマがあり、後者では、あっても構わないが、むしろ必要ない。だからインカス、ベイリー、カンパニー系の音楽と、ロフトジャズ連中の相違は明らかだ。其の意味ではフリーミュージックがノイズや、音響派(懐かしいな)に、あるいは不確定性音楽に流れても不思議はない。しかしマレイやリヴァースが、フリーミュージックに陥る事は無いだろう。
あるいはフリージャズにはソウルがあるが、フリーミュージックにはないと言っても良いだろうか。
なに、古いって?
そう、古いのだ。マレイにしてもリヴァースにしても古い。しかしここでは古い事が重要である。もはやフリージャズが誕生して半世紀以上経過した古典であり、古典に帰る意識が必要だ。温故知新などと言う前に、今、この二枚を聴け。いや、そんじょそこらの「なんちゃってフリー」ではない。二十世紀後半の波濤をかいくぐり、さらに自らの船を繰り出す2人の船長の声を。
帆柱は折れたかもしれない、浸水もしているかもしれない。しかし「型は古いが時化(しけ)には強い」のがオヤジの船だ。
♫ NoBusiness Records
http://nobusinessrecords.com/
♫ ちゃぷちゃぷレコード
https://www.chapchap-music.com/
♫ 末冨健夫
https://www.universal-music.co.jp/chapchap/news/chapchap-news-interview/