#1626 『騒乱武士 (Soran Bushi)/鎌鼬の里爆音ライブ』
text by Yoshiaki Onnyk Kinnno 金野onnyk吉晃
地底レコード B86F/B87F
騒乱武士;
クラッシー (per,指揮)
瑞穂 (vln)
加藤一平 (g)
西田紀子 (fl)
天神直樹 (tp)
小林ヤスタカ (ss)
立花秀輝 (as)
西村直樹 (b)
のなか悟空 (ds)
Disc 1 (61:11)
1. 菜の花が綺麗だね
2. おなら臭い
3. 龍宮城
4. Goodbye Angeles
5. ナイロビもあと2晩
Disc 2(62:11)
1. 鎮魂歌
2. 荒木一郎が好きだから
3. Rice Terrace Waltz
4. バイカルのコサックダンス
5. 卒業
6. 日本男児
録音:西村直樹 @ 秋田・鎌鼬の里美術館 2018年9月26日
マスタリング:近藤祥昭@ 吉祥寺 GOK Sound
ジャケット写真:細江英公
「ふりい・じゃず幻想」
以前、セシル・テイラー、デューイ・レッドマン、エルヴィン・ジョーンズの共演ライブがリリースされたとき、大きな期待をもって聴き、そして落胆した。ロックバンドとジャズコンボの違いは、前者が集団的表現へと回帰して行くのに対し、確かにジャズは個々の表現力に依存し、そのテンポラリーなアンサンブルの中で各奏者が一つの共有された柔軟なフレームを形成しつつ、また逸脱して行くその妙味が命だ。その意味で各奏者の個のイディオム、クリシェ、サウンドの即興的構成力に期待するのである。上記三者は疑いなくそれぞれの楽器においてヴァーチュオーソであり、それらの相克を期待した訳だ。しかし、何か空転している。つまり三者はそれぞれの方向を向いてしまっている。いやそうならざるを得ない程、彼らは各々の即興的様式にはまり込んでしまっている。各自がリーダーのアルバムなら、その求心力でアンサンブルという運動体を誘導も出来よう。しかしこの偉大な三者は同じ方向を向く事を最初から前提にしていなかったように思える。三頭政治の末路がこれか。
有名なアルバム、デューク、ミンガス、ローチのトリオによる演奏を比較すれば分かる。この三者も並ぶもの無き巨人だ。がしかし、この録音時でいえばデュークの圧倒的存在感とその演奏のダイナミズムに、後の2人でさえ気おされているのが可笑しい程わかる。そしてこのアルバムは期待以上のブラックミュージック足り得ている。
本アルバム「秋田・鎌鼬の里ライブ」のジャケットを飾る素晴しい写真を撮影した細江英公、其の超被写体にして60年代前衛の旗手ともいうべき土方巽、この2人に三島由紀夫を加えたトリオが何かを期す一夜の夢があったようだ。このトリオならばどうだろうか。それは新しいジャズになったかもしれない。
だらだらとトリオ談義など続けたのは、トリオレコードを思い出しているからではない。
つまり可能性としてのアンサンブルは何を生み出すかということだ。
ここはリーヴィッヒの樽という、昔植物の栄養で習った法則性を思い出すとよい。つまり各種必須栄養素の存在する土壌において、決定的になるのは最も含有量の少ない元素なのだ。
レーニンは「最も新本主義から遅れたロシアという後進国で社会主義革命が起こったのは何故か」という問いに対して、「国家間が資本主義の連鎖として存在しているなかで、その最も弱い部分から革命が起こるのは不思議ではない。鎖の強さは、その中で一番弱い環によって決まる」と語った。 多数の経験の異なる即興演奏家が取り決めなく、譜面無く集団即興を行うと、其の演奏の質はいわば最大公約数的な値となる。つまり何をやろうが、何時間やろうが、同じような結果にしかならない。しかしもし、彼らが極めて注意深くまた、全体と個を見失わずにいれば、最小公倍数のような演奏になるだろう。それは例えば音を出さなくても良いということ、演奏は終わるべくして終わり、引きずる必要は無いことを理解できる程ならだが。
<騒乱武士>は、のなか悟空をリーダーとして、様々なバンド、アンサンブルから蝟集した手練れの演奏家達である。昭和的なスタイルの多様なレパートリーを保ち、固定的ではなく十人程が期に応じてライブをしている。 その彼らが、細江が土方を撮影した秋田県羽後町の旧家を改装した「鎌鼬美術館」で演奏したライブ録音がこれだ。「鎌鼬」は細江の写真集の名である。
騒乱武士は無頼集団なのか。その梁山泊を「鎌鼬美術館」においてみたのか。
以前リリースされた、のなからの「蓮根魂」でも感じた事だが、テーマ、展開、各自のソロ、展開、テーマという構成そのものは、どんなに曲調が変わろうと同工異曲である。この戦いはもう古い。いわば長篠の戦い以前であり、あるいは、そこで敗北した騎馬集団戦法〜後の「風林火山」に象徴される〜よりも古い。つまり源平合戦、一騎抜きん出て大音声を発し「やあやあ、遠からんものは音に聴け、近くばよって目にも見よ。我こそは… 」という戦いが、まさに「フルィ・ジャズ」なのだ。
いや、私はそれを非難しているのではない。そんなことを言うのは歴史の否定だ。いや、違った。「物語」の否定だ。つまり<騒乱武士>の音楽は、あたかも語り物芸能のように、土俗的で、かつ土壌にしみ込んだパトスをふるわす事もあるだろう。それでいい。
戊辰戦争は、奥羽越列藩同盟が新政府軍に対し、彼らの権利を主張しただけの事を嚆矢とする事件だ。しかし新政府は旧幕藩勢力を徹底して破壊するために、そして士族からではない兵卒を主とする西欧式戦争の実戦訓練として同盟軍を叩き、懲罰を加え、かつその論功行賞を分配しないという意味では画期的だった。このとき真っ先に同盟から脱退したのは現在の秋田、当時の久保田藩であった。
それ以来、山口県人と福島県人の比ではないが、岩手県と秋田県は反りが合わない。
というのはまあよく言われる冗談であるが(いや、本気かも)、純然たる盛岡人である私は秋田県人の土方の大ファンである。がしかし、暗黒舞踏という表現は彼一代で終わってしまったのではないかと思う事がある。土方の前に土方無く、土方の後に土方なし。其の意味で彼をアイラーに例えてはいけないだろうか。
なにもそこまで話を土方に引き付けなくても良い。
しかしはやり「鎌鼬」だ。あの写真集の迫力に<騒乱武士>はどこまで迫れたのか。鎌鼬というからには、知らぬ間に切れた傷口から、ぬらぬらと、はたと気づけば、こりゃ血ではないかと慌てて見回してみるが、誰もおらぬ。疾風が過ぎただけじゃわいな。
嗚呼「来たよで戸が鳴る、出てみりゃ風だよ」という期待と現実のあわいで妄想を育む「えじこ」を脳内の奥六郡に編んでくれたのか?
この二枚組を聴きつつ、だらだらと井蛙が夜郎自大に語ったこと、お許しの程を。