#1990 『Cory Smythe / Accelerate Every Voice』
Text by 齊藤聡 Akira Saito
Pyroclastic Records
Kyoko Kitamura (voice)
Michael Mayo (voice, looper)
Raquel Acevedo Klein (voice)
Steven Hrycelak (vo bass)
Kari Francis (vo perc)
Cory Smythe (p, electronics)
1. Northern Cities Vowel Shift
2. Accelerate Every Voice
3. Marl Every Voice
4. Kinetic Whirlwind Sculpture 1
5. Vehemently
6. Kinetic Whirlwind Sculpture 2
7. Knot Every Voice
8. Weatherproof Song
9. Piano and Ocean Waves For Deep Relaxation
Compositions by Cory Smythe, Pluripotent Publishing (BMI)
Recorded by Ryan Streber in December, 2018 at Oktaven Audio (Mt. Vernon, NY)
Vocal direction/additional production by Kari Francis
Mixed by Ryan Streber and Cory Smythe in August, 2019 at Oktaven Audio
Mastered by Scott Hull in January, 2020 at Masterdisk (Peekskill, NY)
Images by Julian Charrière, The Blue Fossil Entropic Stories I-IV, 2013 (copyright the artist © VG Bild-Kunst, Bonn, Germany)
Album design and layout by Spottswood Erving and July Creek for Janky Defense
Produced by Cory Smythe and David Breskin
コーリー・スマイスは、クラシックを出発点としてジャズ・即興の領域でも素晴らしい作品を作ってきているピアニストだ。ソロピアノやタイショーン・ソーリーのトリオでは、強弱の表現が一次元の音量操作という水準などではなく聴き手を多次元の波に誘い込む表現力を持つものだった。また、ピーター・エヴァンスとのデュオ『Weatherbird』はリラックスさせながらも随所に輝きがある作品だった。
今回、スマイスがまた刮目すべき作品を発表した。ヴォイス/ヴォーカルの5人を呼び寄せ、緻密かつ自由なアカペラを展開させるとともに、自身は鍵盤とエレクトロニクスで演奏に参加している。
緻密なサウンドはスマイスの異常なほど複雑に書き込まれたスコアから生まれた。アルバムリリースを記念して行われたトークイヴェント(>>「Cory Smythe Interview listening party」)において、カーリー・フランシスはその驚きを口にし、北村は短い時間でのダイナミクスや確かなヴィジョンを指摘している。北村に確認したところ、スコアは母音と子音の組み合わせが1音ずつ指定されており、音程は四分音単位、さらに変拍子といったもので、やはり複雑なアンソニー・ブラクストンの音楽を展開する彼女さえはじめは怯むものであった。
自由についていえば、スコアに基づくパフォーマンスに加え、北村とマイケル・メーヨーのふたりが即興も行っていることが貢献している。だが、スコアによって決められた部分にしても制約ではない。5人のヴォイスの変動やマチエールといった個性はもとより自由を持っている。そのこともサウンドを聴けば実感できることだ。
本作のコンセプトは、同じピアニストのアンドリュー・ヒルが自身のカルテットに5-6人のヴォーカリストを加えた異色作『Lift Every Voice』(1969、70年録音)からインスパイアされて得られたものだという。これは、ドナルド・バード『A New Perspective』(1963年録音)、マックス・ローチ『It’s Time』(1962年録音)、同『Lift Every Voice & Song』(1971年録音)といった、ジャズのサウンドにクワイアにより教会音楽の色を重ね合わせた作品群(すべて作曲家・ピアニストのコールリッジ=テイラー・パーキンソンがクワイアを手掛けている)よりも安寧を逸脱し、クワイアのぞくりとするような和声に重きを置いたものとなっていた。サウンドが依拠するものがジャズなどの伝統的なコードではなく、サウンドの中心を動かし続けるヒルの個性にあったからかもしれない。そして本作は管楽器もベースもドラムスも抜き、「ジャズ」的要素を無きものとした。ヒル作品の特異な部分のみを取り込む過激な手と言えようか。
方法論が異色だとはいえ、このサウンドはとても聴きやすい。高音域のラケル・アセヴェド・クラインと中音域からの北村の伸びやかな声は驚きをもたらすとともになめらかに耳に入ってくる。メーヨーの柔軟にしてエッジが丸い声やフランシスのビートボックスによる推進力は聴く者の身体をゆったりも速くも躍らせる力を持っている(聴いていると愉快で笑ってしまう)。また、スティーヴン・ヒリスラクは低音域からサウンドを揺動するとともに、その厚みを増すことに大きく貢献している。そしてスコアやヴォイスに加え、機敏にして落ち着き、そこにその音が差し込まれることの必然性さえ感じさせるスマイスの演奏にも、驚嘆すべきものがある。
このサウンドは、大きな広がりも有機的な重層性もあり、全体として意思を持つようなものである。言ってみれば、小説家スタニスワフ・レムが想像したソラリスの海だ。最後は20分ほどの「Piano and Ocean Waves For Deep Relaxation」により、まさに、聴くものを海に誘う。
(文中敬称略)