#2015 『阿部薫/完全版 東北セッションズ 1971』
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野 Onnyk 吉晃
Nadja21/King International KKJ-9003-5 (3CD) ¥6,800+税 (40pブックレット付)
CD1
阿部薫+佐藤康和デュオ Live at 東北大学
阿部薫(Bass Clarinet-M1,2 / Alto Saxophone-M3,4 / Harmonica-M3)
佐藤康和(Percussion-M1,3,4)
1.アカシアの雨がやむとき 19’49
2.バス・クラリネット・ソロ・インプロヴィゼーション※ 2’23
3.チム・チム・チェリー~暗い日曜日 27’53
4.恋人よ我に帰れ 22’47
Total Time 72’52
1971年10月31日 東北大学教養学部教室にてライヴ録音
CD2
阿部薫ソロ Live at 秋田大学
阿部薫(Alto Saxophone-M1,2,7,8 / Bass-Clarinet-M4,5)
1.アルト・サキソフォーン・ソロ・インプロヴィゼーション1 1’01
2-3.アルト・サキソフォーン・ソロ・インプロヴィゼーション~阿部薫MC※ 10’58
4.アカシアの雨がやむ時 18’34
5-6.風に吹かれて~花嫁人形~阿部薫MC※ 18’41
7.アルト・サキソフォーン・ソロ・インプロヴィゼーション※ 0’45
8.アカシアの雨がやむ時 9’16
Total Time 59’15
1971年12月4日 秋田大学学園祭共用棟にてライヴ録音
CD3
阿部薫ソロ Live at 一関・ベイシー
*阿部薫+佐藤康和デュオ Live at 東北大学
阿部薫(Alto Saxophone-M1,3,4 / Bass Clarinet-M2)
佐藤康和(Percussion-M4)*
1.アルト・サキソフォーン・ソロ・インプロヴィゼーション 17’39
2.バス・クラリネット・ソロ・インプロヴィゼーション 16’15
3.暗い日曜日 16’15
4.恋人よ我に帰れ Part.2 11’03*
Total Time 61’12
1971年12月6日 一関・ベイシーにてライヴ録音
*1971年10月31日 東北大学教養学部教室にてライヴ録音
Originally Recorded by Yoshie Ono 小野好恵
Liner-notes:小野好恵・清水敏彦・大場周二・菅原正二・町田康・稲岡邦彌
「フリージャズの生きた化石」と言われたチャールズ・ゲイルが、来日したときに、彼が出会って来た様々なジャズメンの話を聞く事が出来た。
ゲイルはサニー・マレイとはピアノで共演し、後には街角でテナーを吹くようになった。そんなことはどうでもいい。
しかし彼が何度もアルバート・アイラーのライブ演奏を聴いていた事は特筆すべきだろう。
私は彼のアイラー観について尋ねた。しばらく遠くを見つめた後、私の目を覗き込むようにして彼は言った。
「彼のメロディはとても美しかったんだ」
それだけで彼は口をつぐんだ。
今回、阿部薫の東北ツアー・コンプリートを聴いて、私は何故かこのときのゲイルの言葉を思い出した。
誰よりも速くなりたかった男、そして音それ自身になってしまった男、その演奏を聴きなおして、「彼のメロディはとても美しかったんだ」という言葉が浮かんでくるのは意外でもあり、いやむしろ素朴な感想でもあった。
アイラーは初期にはスタンダードを、そして後には「ゴースト」に代表されるような、独自の、明るさの中に憂愁をたたえた、そして単純ながら、それ故に難しい旋律をテーマに吹き捲くった。その旋律は確かに美しい。
その旋律をカタパルトにして飛翔して行く即興演奏は、テナーサックスとは思えない程の高みで激しくヴァイブレーションを持続し、そのエネルギーの尽きるままに34歳で没した。彼のアンサンブルの誰もそれに付いて行く事は出来なかった。
実を言えば、私がアイラーを聴いたのは、阿部を知った後だった。
78年、当時二十一歳の私はデレク・ベイリーの初来日公演を見ようと上京した。そしてそこで「共演」した阿部薫を聴いた。
阿部の異様さは群を抜いていた。確かに私はベイリーを聴くために渋谷のパルコ劇場に行ったのだが、終演後、彼の、アンサンブルを切り裂くようなアルトが鼓膜にこびりついていた。
高木、近藤、土取、吉沢、そしてベイリー、どんな組み合わせのセットにおいても、誰とも協調する音を出す事の無い阿部は、喉に刺さった骨のように違和感そのものだった。
若い私は思った。「阿部はダメだ。彼は音楽を破壊しようとしている」と。
後年思った事だが、阿部の自ら望んだ孤立は、アイラーのサウンドに誰も付いて行けなかったという事と対照の位置にある。
何故なら私を含む多くの人は、阿部においてはまず、あの熾烈なソロを聴きたいと望むであろうし、無伴奏ソロを残さなかったアイラーにおいては、アンサンブルの中で高みに向かって行くあの切ない祈りの叫びを聴きたいのではないか。
私はフリーミュージックを聴き漁った後に、ようやく60年代のフリージャズに辿り着いた人間だから、当時廉価版で再発されたESPやフリーダムのシリーズを聴き漁り、思ったものだ。
「フリージャズは結局ジャズだ。私の求めているフリーミュージックの祖先ではあるが、ここには過去しか無い」と。
しかしその中で『スピリチュアル・ユニティ』に出会ったとき、何か根源的なものに触れた圧倒的な何かを感じた。それは間違いなくアイラーのテナーの咆哮により齎(もたら)された。
もしこれが真のフリージャズならば、日本でフリージャズと称しているものはなんだろうか。
「ところで、ぼくらにとってジャズの伝統とは、ある意味で歴史的連続性を信じることから生まれた一つの幻想のようなものであり、単なる知識でしかない。しかも知識は表現されたとたんに堕落する。なぜなら。それは自己の無意識、狂気、不条理を知らないからだ。こうしたラディカルな認識にもとづいてジャズのありうべからざる白紙還元に、そして音楽が内蔵する頽廃をしてついに語らせようとする企てに、可能な限り接近しようとしたのが阿部である。」
これは故清水俊彦が、阿部と吉沢のデュオ『NORD』に寄せたライナーノートからの抜粋である。
小説家を目指した高校生の阿部は、「北」を目指した。大量の原稿用紙持参で北海道の果ての離島へ向かった。しかしそこでは何も書けず、実家にも帰らず、今度は日本のかつての文化的中心とも言うべき場所に潜んで執筆に励んだ。
書けなかった。
小説を諦め、詩を断片的に綴っていた阿部。もし時代が彼にジャズ、アルトを与えなかったら彼は、天才詩人として名を残したかもしれない。そう、26歳で逝った石川啄木のように。彼もまた小説家を諦めていたのだ。
二人は共に気づいただろう。言葉は嘘をつく為の道具であることに。啄木は、それなら徹底して美しい嘘を仕上げてみせようとした。
そして阿部は、音は嘘をつかないことを知った。
阿部はついに自分の武器を見つけてしまった。そして徹底的に技を磨き、その響きで「人が殺せる」ほどの鋭さを得た。彼は鈍く光るアルトをケースに隠し、その強固な意志を小柄な体に潜ませ、日本のジャズ界という魔窟へ入って行った。
このアルバムには、演奏中の阿部を撮影した連続写真が付いている。動きが多く撮影に難しいと言われたが、その難しさゆえに我々の視覚と想像力は動きを補って余りある。
私は、ケネディ暗殺の瞬間を捉えた「ザップリューダー・フィルム」の決定的な何秒間かのコマを思い出した。
大観衆の中で権力者が射たれた瞬間と、限られた聴衆を前に演奏者が何かに達する瞬間。両者はその時点で世界最高の地点に居た。
そして最高であることは、墜ちて行くことを意味した。
人は誰でも死刑囚である。しかしいつ「その日」が来るかは知らない。
このライブ演奏を聴きなおして、特にしみ入るのはバスクラリネットの音である。「彼のメロディはとても美しかったんだ」という言葉が浮かんでくるのは、その瞬間である。
阿部のソロは、やはりジャズのスタンダードを、そして日本の歌謡曲や古い歌をモチーフにして展開した。
その意味では全くテーマの無いフリー・インプロヴィゼーションであるより、フリージャズの伝統に根ざしていると言っても良い。
しかし、彼がぎりぎりと引き延ばし、時に切れ切れに吹き募る旋律には、豪奢なドレスや絢爛な和服をずたずたに引き裂き、そしてまた縒り合わせていくような、情愛と暴力のせめぎあいを感じる。彼はそのメロディを偏愛するがゆえに破壊してしまう。
それはアイラーのメロディが、血に根ざした、霊的な邂逅を目指して謳い上げるためのアンセムであるのとは異なる次元であろう。
今年の夏は暑い。
私はある夜、阿部の「アカシアの雨がやむとき」を聴いているうちに、何故か「君が代」の旋律を思い出していた。
私は眠るのを諦め、阿部を聴きながら曙光を待つことにした。
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