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CD/DVD DisksNo. 270

# 2019 『Sabu Toyozumi, Rick Countryman, Yon Yandsen / Future of Change』
『豊住芳三郎|リック・カントリーマン|ヨン・ヤンゼン/フューチャ・オブ・チェンジ』

text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野 Onnyk 吉晃

ChapChap CPCD-017 ¥2,500(税込)

1. Future Of Change
Alto Saxophone – Rick Countryman
Drums, Erhu – Sabu Toyozumi
Tenor Saxophone – Yong Yandsen* 35:52
2.Two Snakes, Dark River
Alto Saxophone – Rick Countryman
Drums – Sabu Toyozumi
Tenor Saxophone – Yong Yandsen* 24:34
3. Sol Overtones
Alto Saxophone – RickCountryman
Drums – Sabu Toyozumi
Tenor Saxophone – Yong Yandsen* 12:46

Recorded live at Limbo Art Gallery in the Philippines on February 29, 2020.
Engineer – Alvin Cornista


「未達のフリージャズ。<サブ・ミッション>としての」

豊住芳三郎、リック・カントリーマンのフィリピン録音シリーズは、サイモン・タン(b)、ヨン・ヤンゼン(ts)という未知のミュージシャンを発掘してくれた。
2020年録音の『Voices Of The Spirit』はピアノレス、2サックスという編成で、彼等の演奏が聴ける。
今回のリリースは、ベースのタンの抜けた2サックス、ドラムという、さらにシンプルなトリオになった。
私は、彼等の前作に、かつてマグマの様に熱かったフリージャズのスピリットが甦り、東南アジアの精霊と、アイラーのホーリー・ゴースト(聖霊)が共に謳うと書いた。
しかし、冷静になってみるとこれは過去の幻影ではないのだ。つまりジャズとフリージャズ、フリージャズとフリーミュージックの差異を考えてみる必要があることを思い出さなければならない。
例えばアイラー。彼はいつも歌い上げていた。彼の演奏にはほとんどテーマが明確にあった。それが無い例を探すのが難しい。
しかし無い訳ではない。例えば「ニューヨーク・アイ&イアー・コントロール」は映像作家(音響作家でもある)マイケル・スノウの依頼で、映画に先立って、アイラーのグループにより、テーマ無しで、またソロも無しで演奏されている。その二点もスノウの要求だったという。
私はこの演奏はアイラーの履歴の中では高く評価しない。反対する声もあろうが、そう主張する人でも、これをアイラーの代表的な演奏だとは言うまい。つまり、アイラーはテーマとその変奏という、ある意味古典的な様式の中でこそ、その爆発力があったのではないだろうか。「禁止の禁止」などとはいったものの、そういったテーマ、ソロによる変奏、テーマという回帰様式はフリージャズにおいてかなり重視されていたのではないか。
実は、私にはそれを強く思い出す経験、記憶がある。
96〜99年当時、私はローカルなフリージャズ的カルテットをやっていた。私がサックス、そしてピアノ、ベース、ドラムのカルテットだった。一応テーマを決めて演奏していたが、あまり重視はせず、完全に決め事無しでの演奏もやった。何人か海外のミュージシャンとはやったのだが、ここで書き留めたいのは、フリージャズの生きた化石と言われたサックス奏者チャールズ・ゲイルを呼んだときのことだ。
当時の彼は、既に60はかなり過ぎていたが、矍鑠(かくしゃく)たるものがあり、物静かな長身の黒人だった。我々が先に演奏し、彼がソロ演奏を披露し、いよいよ共演となった。
さて、一斉に5つの音が出た瞬間、私は非常に嬉しく感じた。これはイケるという感触だった。演奏が進み、各自がそれぞれにソロらしきことをやった。そこでローカル4人組はそのまま終わろうと「盛り上げ」に入ってしまった。
そのときちらりとゲイルを見ると、盛んに指で自分の頭を指差し、それを見ろと身振りで示している。しかし私以外の3人はもう夢中になって気づいていない。ゲイルのアクションを私は分かっていた。「テーマ(ないし最初)に戻れ」ということである。彼はテーマに戻す事でエンディングを作りたかったのだ。私は軽く頷いたが、ダメだろうという意味で首を振った。我々4人は最初にやったことなど覚えていなかったのだ。ゲイルは諦め顔をして演奏を終えた。
私は似た経験を以前にしていた。黒人のジャズメンとやるのは、故ダニー・デイヴィス(ex.サン・ラ・アーケストラ)が最初だった。ダニーは演奏中に盛んに身振りで指示した。その意味するところは、「共演者の音を聴け」、「いい調子だからこいつにソロをやらせろ」、そして「テーマに戻れ。終わろう」、である。テーマなど決めていないにも拘わらずだ。しかしテーマはやはりあるのだ。譜面に書かれないようなものでも記憶されているテーマ、その場において生起したメロディこそがテーマでもある。
我々ローカルな、偽物フリージャズ・カルテットには、そういう考えはなかったのだ。
その意味では前作にせよ、今回の『Future of Change』も、フリージャズ漸近線とでも言えるように思う。彼等が真性のフリージャズたりえないのは、そこにテーマ性、メロディが見えないからである。そこにあるのは限りなくフリージャズ・テイスト.フリージャズ・イディオム、フリージャズ・サウンドの、フリーミュージックなのだ。あくまで彼等の音はコンヴェンショナルなジャズよりは、フリージャズ寄りである事は疑いない。
しかしむしろこれはジャズ的な問題を一切排したところに成立した日本、アメリカ、マレーシアのハイブリッドな音楽であり、そのテーマは、まさに「変化して行く未来」に期待するべきだろう。
このトリオが、もし「ゴースト」や「ロンリー・ウーマン」のようなメロディを奏でる日が来たら、そしてそれを我々がそれを記憶して、鼻歌や口笛で鳴らせるなら、私は必ず、迷う事無く彼等をフリージャズ・コンボと呼ぼう。

啄木は、日本人が短歌や俳句といった短い詩型を持つ事を誇ると言った。そうだ、我々は古来からの名作をいつも記憶のポケットからとりだせるではないか。西行でも芭蕉でも子規でも。それに匹敵するようなフリージャズのメロディをこそ、私は必要としているのではないだろうか。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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