#2191 『渋谷 毅/カーラ・ブレイが好き』
『Takeshi Shibuya / I Love Carla Bley!』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
Owl Wing Record 2022年06月15日
渋谷毅(p) ソロ
01. Lawns
02. IDA LUPINO
03. Sing Me Softly Of The Blues
04. Utviklingssang
05. Little ABI(菊地雅章)
06. Soon I Will Be Done With The Troubles Of This World
07. The Lord Is Listenin’ To Ya Hallelujah
08. 通り過ぎた時間(渋谷毅)
Composed by Carla Bley except 05 & 08
長い時間をかけて、私の中にエキセントリックなカーラ・ブレイのイメージができあがっている。だから、新しいカーラのソングブックに接する時には、なぜだか新解釈の妖気のようなものを期待して、それがどんな感覚を呼び起こすのか、と身がまえることになる。良くないクセである。
渋谷毅の新しいアルバム「カーラ・ブレイが好き」“ I Love Carla Bley” に出会ったとき、そんな期待はみごとに裏切られた。無心に奏でられる8曲はひたすら美しい。素朴派の絵画と同じで、カーラの音楽のはじまりに遡行して子供のように描く。
「そうか、カーラのなかにオリジナルが生まれたとき、こんなにユーモアがあふれていた」
「それがカーラのあたまやからだを通すと、はじめて彼女の音楽に変化する」
だから
「こっちがアプリオリなかたちかもしれない」
など、あらぬ思いをめぐらす。
8曲のラインナップには“Ida Lupino”や“Sing Me Softly Of The Blues” (「ブルースをそっと歌って」)のように多くの音楽家に愛されたカーラの曲がある。一方、渋谷毅オーケストラでも演奏してきた“Utviklingssan”、 “ Soon I Will Be Done With The Troubles Of This ”はあまり知られていない。
例外は渋谷毅自身と菊地雅章の2曲。
ラストに配された新曲「通り過ぎた時間」は、まさに渋谷流「子供のための音楽」のタイプ。きくだけで微笑みがこぼれる。
音楽家たちにとって「プレイズ・カーラ・ブレイ」は特別な意味をもつ。
ゲイリー・ピーコック、ポール・ブレイやスティーヴ・スワロウといったいわば「身内」をはじめ、1960年代以降アート・ファーマー、ゲイリー・バートン、スティーヴ・キューン、チャーリー・ヘイデンなどがある。カーラに潜む巧まざるユーモアを理解するゆえ、さらなる展開ができたユニークな作品ばかりだ。
なかには菊地雅章のようにフル・アルバムを計画しながら、果たせなかったケースもある。
「2曲の例外」のもうひとつが8曲目の「リトル・アビ」(“Little ABI”)だ。これを加えることでアルバムはカーラと菊地雅章を含む三者が交錯する世界となった。
渋谷毅と菊地雅章は十代からの長い交流で知られる。デュオ・アルバムの「タンデム」(TANDEM)(Verve 2000)はデューク・エリントンのソングブック。渋谷毅のピアノから凄まじく鋭利なセンテンスがほとばしる。互いを知り尽くした者どうしの、いつもはみせない表情を垣間みることができる。
菊地雅章は1972年“MASABUMI KIKUCHI+GIL EVANS”(EMARCY)でカーラの“Ictus”をとりあげている。のちのソロ・アルバム“ATTACHED”(transheart 1989)の2曲“Sad Song”、 “Intermission Music”になると音楽はより研ぎ澄まされ、カーラの本質と渡りあうことになる。親近性を前提とした「身内の方々」とはずいぶんと立場がちがうのだ。この、まるで道場破りのようなアプローチでは、異質な個と個が激突している。
こんな音楽はカーラを動かした。そして、菊地雅章は2015年のインタビューで将来の計画について語っている。(*1)
カーラの最近の三部作(*2)は自己トリビューションといえるし、近作の回顧展のようでもある。マンフレート・アイヒャーがキュレーター役だ。
“Trios”(ECM 2287 2013)
“Andando el Tiempo”(ECM 2487 2016)
“Life Goes On”(ECM 2669 2020)
(レコーディングはいずれもリリースの前年)
3作全てがカーラのオリジナル。アンディ・シェパード(Sax)、スティーヴ・スワロウ(B)とのトリオで自身のレーベルWATTを離れてECMからリリースされた。
リラックスして自己を見つめる。簡素化された指遣いとフレージング、その脱力感すらが魔力的だ。80才をめぐる8年間、カーラには新しいステージが訪れている。スティーヴ・スワロウとの1980〜90年代のデュオ・アルバムに漂っていた穏やかな空気感、その先の視界がひらけた。空間を生かし、極小化された「3人オーケストラ」からは小宇宙がのぞめる。
ニューヨークでの諸作と異なりレコーディングはスイスのルガーノで行われた。エンジニアのステファノ・アメリオが新鮮なカーラ像をつくりあげた。長大なセッションを3つに切り分けたのではなく、定期性をもって同じメンバーが3回集ったのだ。
アイヒャーはカーラをもういちど素形に還し、純化してみせる。
この美しいやりかたは、渋谷毅のアプローチに近くないだろうか。
「ごあいさつ」としてCDに添えられた文章には心にひびく一節があった。
〜(前略)「カーラ・ブレイ、いやカーラ・ブレイの音楽はもっと身近にあって、そのどれもが、優しくて、知的で、ユーモアがあって、でもどこか幼稚で、というようなアマチュアの心が感じられて、それが好きだ。」 (渋谷毅)
すごい
いかに(ほぼ)同世代の特権とはいえ「どこか幼稚で」までいってしまうものなのか。
しかし、おもえば、渋谷毅のなかに起こったこと起きたことの説明はこのひとくだりに尽きている。
そのことを音楽であっけらかんと表明されると、勝手に「カーラの妖気」なるものに期待していたのはナゼか、と自問する破目に陥る。
そもそも、妖気など初めからなかったのだ。
渋谷毅は教えてくれる。
なるほど、「カーラ・ブレイが好き」が体現している穏やかな時間は美しい。
だが、その背後に1930年代生まれの3人の音楽家たちがジャズの激動期を生きてきたことを見逃すわけにはいかない。
渋谷毅(1939〜)、カーラ・ブレイ(1936〜)、と菊地雅章(1939〜2015)は時代の音楽のトポスを、たしかに共有している。
(*1)intoxicate #117 2015 August
〜前略(稲岡氏宛に『ATTACHED』の感想を告げてきたカーラ自身の言葉として)。
「私の楽曲をいろんなミュージシャンが演奏してくれるけど、こんなふうに弾いた人を知らない。本当に戦慄が走ったわ…」 菊地雅章も同じ号でこう言い遺している。 「あと、ピアノ・ソロで考えているプロジェクトとしては…カーラ・ブレイの曲でも1枚作ってみたいな。カーラの曲は既に10曲くらいレパートリーに入っているから、あと少なくとも15曲くらい自分のものになったらレコーディングしようと思っているんだ」
(*2)現時点では三部作。ジャケット写真3点が同じポジションなので、レコーディングも同じ素材からと誤解されそうだが、違う。一作ごとに微妙に変化を遂げていくのが聴きどころ。今後も第4作や、ライブ、映像バージョンがあるかもしれない。