#2222 『高橋悠治&豊住芳三郎/閑雲野鶴』
『Yuji Takahashi & Sabu Toyozumi / The Quietly Clouds And A Wild Crane 』
text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃
NoBusiness records NBCD156
Yuji Takahashi 高橋悠治- piano, percussion
Sabu Toyozumi サブ豊住- drums, percussion
1. Lovely Silver 6.000 km 33:39
2. Shoulder Blade and Hip Joint
Recorded live on 16 March 1998 at C・S・Aka Renga, Yamaguchi City, Japan by Takeo Suetomi
All improvised and composed by Y.Takahashi and S.Toyozumi
Concert produced by Takeo Suetomi
Piano tuner Hiroichi Sumikawa
Mastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios
Cover painting by Sabu Toyozumi
まずはリーフレットの表紙の絵に注目。豊住さん、いやサブさんと呼ばせて頂くが、彼の墨絵が美しい。墨の滲み、筆の運び。何とも言えぬ味わいが在る。おそらく一分もかからずに出来ただろう。否、そうではないサブさんの、それまでの人生時間プラス一分だ。それをいうなら、ドラムをポンと叩く、その一打にもサブさんの人生が詰まっているだろう(これは濱田庄司の絵付けの話を元ネタに…すみません)。
それにしても長閑な雲に鶴の飛びゆく様、このイメージが先にあって描いたのか、それともさらっと描いたその画が、そう見えてしまったのか。それはもうどちらでも良い。即興演奏にタイトルをつける場合だってそうだ。先にタイトルが在って即興を、しかも共演でやるなんて考えにくい。まあ先にコンセプトやテーマや方法論があって、それに沿うような演奏をするというのはままあることだけれど。
私の聴いているのはCDだが、長めの二つの演奏が収録されている。1998年、山口市の「C*S* 赤れんが」でのライブ録音だ。もちろんプロデュースは「ちゃぷちゃぷ」の末冨健夫。何度言っても足りないが、日本の即興演奏を語るに欠かせない存在の一人。そしてレーベル運営までしているのだから、日本のEMANEM、マーティン・デヴィッドソンのような人だ。
まあ各国、各地域にそういうキーパーソンが居てこそ即興演奏シーンは持続する。そして彼等の連携によって。今回もリトアニアのNoBusinessレコードがシンプルで美しい制作をしてくれた。本当に彼等の鑑識眼には頭が下がる。彼等は、レーベル名に言う通り、商売、収益目的で運営しているのではない。まさに「文化財」としてのCD、LPを遺す事、広めることを意識しているのだ。会社ではなく、NPOと言っても良いだろう。
絶滅危惧種としての即興演奏家達の保護、なんていうと叱られるだろう。いや、即興演奏家の遺伝子はもう新世代に、そして多くの種のなかに入り込んだ。ウィルスのように。若い世代の演奏家、作曲家、DJ達は、即興演奏を栄養として、自分達なりの方法論を構築している。彼等の視界にはジャンルの差異などない。ノイズも民謡もKポップもジャズも自家薬籠中、いやHDの中に入っているのだ。
或る者は言う。「もうメディアで音楽を聴くなんて古い」と。それは音楽を消費するヒトだけの意識だ。音楽が配信だけで売買されたり、それは聴くより踊るものだったり、あるいはファッションの一部だったりするなら、それはそれで違う発展をするだろう。私のような頑固な年寄りはメディアに固執する。断固としてだ。
私にとって音楽は、消費される商品(それは否定できない)である以上に「今に生きる文化財」「我々の世代の音楽」「人類のアーカイヴに属するもの」である。それは蒸発する事も忘却することもない。常に参照され、想起され、耳をすまして脳の襞のなかに染込ませて行く振動だ。
このCDの演奏の印象をもし一言でというなら、まさに朝焼けの空にたびく雲の静けさかもしれない。決して過激な音はなく、肝胆相照らす二人が、それぞれの音楽的志向性を十全に発揮している。
この関係、この結果を、サブさんが佐藤允彦と演奏した『合気』と比較してみたらさらに面白い。高橋悠治は佐藤とよく似た側面もあるが、「できればあまり音を出さない方がいい」と思っているような風である。古い作品だが、私は悠治さんのピアノ曲では〈毛沢東 詩三首〉が好きだ。
彼が即興でかなり積極的な演奏をしても、ミシャ・メンゲルベルクよりも点描的な、池の中の飛び石をひょいひょいと渡りあるいたり、もどったり….その瞬間にバランスをとる為に最適な音を選んでいる。
「鍵盤の上に片手を置いてね、その広げた範囲だけで音を出せばいいんだよ。」
これは私がかつて八戸で、彼に聴いた言葉である。
1989年、八戸を拠点として特異な演劇集団「モレキュラー・シアター」を主宰していた精神科医、豊島重之が、世界中からカフカをテーマにした研究者、表現者を招いて「国際カフカ演劇祭=KAFKA Colloque」を開催した。カフカについて考え続ける悠治さんも招聘され、演奏した。恥ずかしながら私もカフカを素材にサウンドパフォーマンスを上演したのである。
カフカの、奇妙な音に対する感性は、今でもまだ注目されている。大きな音はアンプのボリュームを上げれば済む事だ。しかしいかに小さな音を出すか。これは演奏するよりも聴く力を試される。
最近、聴力が落ちてテレビドラマの台詞が聞き取れない。しかし、このCDの二人の声ならざる対話は実に良く聞こえる。しかしこれはコミュニケーションではない。レゾナンスというべきだろう。
とかなんとか書いているうちに、鶴は飛び去り、雲も消えてしまった。(了)
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