# 893 Big Phat Band
2016年5月11日 18:30 南青山「ブルーノート」
text : 悠雅彦 Masahiko Yuh
撮影 : 佐藤 拓央 Takuo Sato
ゴードン・グッドウィンズ (band leader,ts)
エリック・マリエンサル (as,ss,fl,piccolo) サル・ロザーノ(as,piccolo,fl,cl)
ブライアン・スカンロン (ts,cl,fl)ジェフ・ドリスキル(ts,cl,fl) ジェイ・メイソン (bs,bcl,fl)
ウェイン・バージェロン ダン・フォーネロ ウィリー・ムリロ ダン・サヴァン (以上tp)
アンディ・マーティン チャーリー・モリラス フランシスコ・トレス クレイグ・ゴスネル (以上tb)
アンドリュー・シノワイエク (g)
ケヴィン・アクスト (b) レイ・ブリンカー (ds) ジョーイ・デレオン(perc)
かつて7、80年代にビッグバンド黄金時代の伝統を継承し、文字通り最後の砦としての活躍を持続してファンの期待に応えたサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラとギル・エヴァンス・オーケストラが第一線を去って以来、しばらくはビッグ・バンド・ジャズに親しむ機会が極端に減ったことがあった。それからまもなく日本のビッグ・バンド・ジャズを牽引した原信夫もシャープス&フラッツをたたんでジャズ界を退き、激しく競い合ったニューハードの宮間利之も病床に伏して久しい。そんな中で、奇妙なことといってよいのか、わが国では特にこの数年、ビッグ・バンド(以下ビッグバンド)などの大編成ジャズ・オーケストラへの関心が高まりつつあり、守屋純子オーケストラやジョナサン・カッツの Tokyo Big Band のコンサートともなれば常連のファンのみならずバンドの音楽性に注目する人々が多数詰めかける。最近では、南青山の「ブルーノート」や丸の内の「コットンクラブ」が内外のビッグバンドを招いてプログラムを組むと評判を呼び、ファンの間で決まって話題になる。ドイツが世界に誇るNDR Big Band がドラマーのピーター・アースキンと組んだ3月公演が大盛況だった一事を見ても、ビッグバンドへのファンの関心は高まる一方のように見える。決して一過性の人気ではない。事実、去る4月半ばに文京シビックホールでの恒例の『Big Band Festival』も老若男女のビッグバンド愛好家たちで大盛況だった。その直後の5月に来演したのが、米西海岸を代表するビッグ・ファット・バンド(BIG Phat BAND)だ。
奇妙なことに、このビッグバンドはわが国では表面的にはさほど話題にのぼらないし、ジャーナリスティックな評判を呼んだこともないに等しい。吹込CDも2001年の『Swingin’ for the Fences』以来10作以上を数えるが、日本のレコード社からの発売はない。にもかかわらず、2008年の初公演以来、ブルーノートでの公演は常に多くの熱心なファンでごったがえす。アカデミックな批評誌としての使命をたとえ僅かとはいえ誇っていた「スイング・ジャーナル」誌が健在だったころなら、ビッグ・ファット・バンドが現代を代表するビッグバンドとして紙面を賑わしていたに違いない。替わってその役割を担っているのがネット情報だろうが、このバンドの魅力や日本での評判をネットで知った人々の拍手喝采を間近に体験するとき、ネットの底知れない力を再認識させられたのは私だけではないと思う。
それにしても不思議だ。このBig Phat Band を率いるのはゴードン・グッドウィンズという男だが、普段はピアノの椅子に座ってバンドをリードし、演奏が終わればマイクでファンと交歓しあい、喜々としてメンバーや演奏曲の紹介を通して雰囲気を盛り上げる。だが、それだけではない。ピアノを弾いていたと思ったら、突如立ち上がって傍らのテナー・サックスを手にしてソロをとる。この夜もオープニングの<Why We Can’t Have Nice Things>で溌剌としたテナー・ソロを披露した。しかも、これに留まらない。バンドが演奏する全曲のアレンジ(編曲及びオーケストレーション)を一手に処理するのもグッドウィンズ。一方、バンドを離れたら、彼は教育者の顔をももつ。つまり、バンドのリーダーであり、アレンジャーであり、ピアニストであり、テナー奏者であり、バンドを離れたら教育者として活動するグッドウィンズは、1人4役どころか1人5役をやってのけるスーパーマンだ。ところが、この男はそれをひけらかしたり、さもバンドを切り盛りするリーダー然とした、嫌みなところがまったくない。西海岸の人気ミュージシャンが声さえかかればバンドに参加するのも、彼の信望厚い人間性を物語って余りあるだろう。
グッドウィンズがテナーを手にしたのは最初の1曲だけだったが、この夜はいつもとは趣向を変え、アレンジャーとしての彼の才気に注目して聴いた。たとえば、ガーシュウィンの<ラプソディー・イン・ブルー>。全体の構造は1924年の歴史的な初演時の演奏を踏まえてはいるが、冒頭のクラリネットによるグリッサンドの前後のアンサンブルでもジャズ的な洒落っ気をプラスし、グリッサンドの提示が終わるとモダンなフォー・ビートにのせたアンサンブルでテーマを奏する。このアンサンブルが普段聴き慣れているパッセージよりはるかにビッグバンド・ジャズの爽快なスイング感に満ちているのも、アレンジャーとしてのグッドウィンズのペンの冴えゆえであることは言うまでもない。
サンバ調の<Don’t Blink>、キューバン・サウンドの流れに乗った<Garnje Gato>でも、この抜群のアンサンブルときたら足を踏み外したり、誰かが抜け駆け的に和を乱すようなプレイに走ったりすることはまったくといっていいくらいない。それが先に触れたガーシュウィン曲やグルーヴィーな曲調の<It’s Not Polite to Point>、モード・ジャズ調の<Lost in Thought>などバンドの十八番ともいうべき作品になると、この抜群のアンサンブルが舌を巻くほどの威力を発揮して人々の拍手と喝采を喚んだ。ときには<It’s Not Polite~>での4本のトロンボーン、<Lost in~>での4本のフルートのように、セクションごとの精緻なアンサンブルを披露したりと、聴く者を唖然とさせる場面も。アンコール曲<Five Kinds of Crazy>では総勢18人全員がソロのリレーをするホットな大団円で盛り上がる。まさに痛快な幕切れだった。