#1343 石当あゆみ 2025年1月のミニツアー
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
NYで活動を続ける石当あゆみ(サックス)のミニツアーが行われた。再演のほか新たなミュージシャンとの手合わせもあり、ふたたび東京の即興シーンに足跡を残した。ここでは開催された4回のライヴのうち3回について報告する(なお、最終日にはヴォーカルの齊藤涼子らとの演奏もなされた)。
2025/1/11(土) Bar subterraneans(渋谷)
with 神田綾子(ヴォイス)、加藤一平(ギター)
このトリオでは再演ということもあり、演奏中のふるまいからは、3人ともはじめから互いの力能を信頼しているようにみえる。石当は前半ではエフェクターを多用し、後半ではサックスのみに依拠する。「変えてもどうにでもなる」という共演のポテンシャルを前提としているからだろうし、天井の高い空間での音響の遊びかもしれない。
だがこの日のおもしろさは響きよりも速度にあるように感じられた。変化の速度、呼応の速度が音楽となる。そして変化という関数を共有する船において幾度となく三者が相互にシンクロする局面に驚かされた。混ざり合いかたもそこからの逸脱もカラフルである。雲の切れ目でみえる加藤一平のギターの艶も特筆すべきものだ。
2025/1/12(日) 月花舎(神保町)
with 北田学(クラリネット、バスクラリネット)、野津昌太郎(ギター、ギタレレ)
月花舎は打てば響く生々しさの空間。二管が直接的に対話することになるため、石当はアコースティックで臨もうと考え、共演者と話し合った。サウンドのエーテルがないということになれば、管から放たれる一次情報としての音にはごまかしが効かず、また壁も対話相手となる。観客はトータルサウンドを受け止めるものだが、その因数分解を垣間見るおもしろさもあるのだ。
そのような視線をもってみれば、壁はクラやバスクラには機敏に反応し、テナーにはちょっと間をおいて返事をしてみせるような印象があった。テナーがバスクラの佇まいに自らを似せようとすることがあり、そのときも壁はまずはひと呼吸おいていた。ギターは対照的に管ふたりの音を吸収するように受け止め、それを執拗に続けることによる蓄積のポテンシャルじたいが音楽となっているように思えた。
2025/1/13(月・祝) hako gallery(代々木上原)
with 池田謙(エレクトロニクス)、阿部真武(ベース)
hako galleryは外から電車の音が入ってくる開かれた場だ。それゆえにアンビエント的な環境を作るのに適しているということができる。この3人のなかで演奏の人為性が強く聞こえるのは阿部真武のベースかもしれない。だが、場への柔軟な働きかけになにか方法論や意思への依存はまるで感じられず、たしかに池田謙が阿部を「植物」と評したのも納得できる(*1)。
サウンドに全体性を与え続ける池田謙がその反対側に立っているとして、石当あゆみは阿部と池田のあいだにいる。サックスは呼吸を音にする装置であるから人為を表してもよさそうなものだが、石当の音はそうではない。彼女はワイヤー型のピックアップマイクをネックの中に仕込み、外の音を拾わずフィードバックも回避しているという。そのような電気との共存に対する音色への追求が、他の人に似ていない個性につながっている。
(文中敬称略)
(*1)本誌「インプロヴァイザーの立脚地 vol.23 池田謙」
加藤一平、北田学、フリー・インプロヴィゼーション、神田綾子、石当あゆみ、池田謙、阿部真武、野津昌太郎