JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 43,139 回

Concerts/Live ShowsNo. 235

#979 第50回ティアラこうとう定期演奏会~オペラ「夕鶴」

reported by Masahiko Yuh 悠 雅彦

2017年9月30日・土曜日  14:00~16:20

オペラ『夕鶴』全一幕 演奏会形式(字幕付)

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団/高関健(指揮)

腰越満美 ソプラノ (つう)
小原啓楼 テノール (与ひょう)
谷友博 バリトン (運ず)
峰茂樹 バス (惣ど)
江東少年少女合唱団(児童合唱)
戸澤哲夫(コンサートマスター)

 
*画像クリックで拡大表示

 

オーケストラの最初のサウンドが耳に入った瞬間、突然、これまで何度となく親しんできた『夕鶴』とはまったく違う響きに、思わずも耳が全開した。過去に何度となく聴いてきたこのオペラのオーケストラ・サウンドがこんなにも洗練されて魅力的だったかと、久しぶりに目から鱗が落ちる思いを噛みしめることになった。作曲者の団伊玖磨が書いた『夕鶴』の音楽を聴くたびに心打たれる感動を味わいながらも、私は『夕鶴』のストーリーに埋没しては涙するのが常で、作曲者が精魂込めて書いたオーケストレーションに全神経を集中させて聴いたことが奇妙なくらいなかったことに、はたと思い当たった。

それがこの日は、違った。初めてというのがお恥ずかしいくらいに、団伊玖磨が書いたオペラのスコアから生まれる洗練された音楽に酔いしれた。団は交響曲を数曲書いているが、実はその大半を熱心に聴いてはいない私がこんなことを言うのはおこがましいことを承知の上で言えば、そのオーケストレーションが際立って美しいと、思わず感嘆の声をあげたというような経験は正直にいうとまったくなかった。それだけに、団伊玖磨がオペラ『夕鶴』に作曲したスコアの、とりわけオーケストレーションの繊細な洗練美には居ずまいを正したくなるほど目をみはったというわけである。すなわち、ふだんオペラ『夕鶴』では気がつかなかったオーケストレーションの洗練美をコンサート形式の『夕鶴』で初めて体験することができて、まさに感無量だった。言葉に尽くせぬ感激を体験できた裏に、『夕鶴』をコンサート形式で聴いたという一事があったのだ。

実はもうひとつある。それは、コンサート前のプレ・トークで指揮者の高関健が聴き所を中心に話した最後の締めくくりで、今回初めてコンサート形式でこのオペラを指揮するに当たって改めてスコアを丹念に読み込んだ結果、この『夕鶴』のオーケストレーションがいかによく出来ているかを発見したと、高関にしては珍しいくらいにエキサイティングな口調で話したこと。そこに、オーケストラ・ピットで振っているときとは違う作曲者のオーケストレーションへの再発見がいかに大きなものであったかを雄弁に表した高関の喜びを見るような気がした。その新たな体験があったからこそ、高関はそのスコアを十全にオーケストラ・サウンドとして響かせるためにリハーサルを繰り返したという内輪話をも打ち明ける気持が働いたのだろう。この二つの理由があって、人々の記憶に長くとどまる『夕鶴』の公演が稀に見る内容となったことは間違いない。恐らくこのリハを通して高関はスコアから生まれる響きをじっくり観察し、随所で驚きを感じながら作曲者が生み出そうとした音楽の真髄に肉迫する最良の機会を得たのだろう。

オペラ『夕鶴』はコーラスをになう子供たちを除けば、登場人物はつう、与ひょう、運ずと惣どの4人だけである。団伊玖磨(1924~2001)が作曲したオペラという側面だけが一人歩きした感が拭えないが、実は名高い劇作家、木下順二(1914~2006)が民話に材をとった戯曲の1つに作曲したものだ。もう少し詳細に触れれば、木下が題材に用いたのは、柳田邦男が編纂した<全国昔話記録>。木下はその中から『鶴女房』を選び、第2次大戦のさなか同名の戯曲に仕立て上げた。戦後になって木下はこの戯曲を日本の代表的女優だった山本安英(1902~1993)のために新たに書き改めた。それが戯曲『夕鶴』だった。私も山本安英の朗読で聴いた記憶があるが、彼女の日本語の余りの美しさに大げさにいえば驚倒した思い出があり、今でも忘れられない。木下順二が山本安英と話しあって決めた『夕鶴』というタイトルの戯曲に、付随音楽をつけたのが団伊玖磨であった。ノルウェーのグリークが戯曲『ペールギュント』に付随音楽を作曲した例を思い出していただければよいだろう。そのときこの『夕鶴』を戯曲ではなくオペラにしたいと切望し、戯曲をいっさいの変更なしにオペラにする約束で作曲したのが団伊玖磨だったのである。しかし、オペラには台本が要ることは言うまでもないが、木下は新たな台本を拒否したため団は木下の戯曲に従って作曲を進め、こうして出来上がったのがオペラ『夕鶴』だったというわけである。藤原歌劇団による初演は1952年1月。これが好評を博し、5年後にはスイスのチューリッヒで初の海外公演まで実現した。現在まで800を超える公演を実現しているという。まさしく日本が生んだ日本的オペラの最高峰である(プログラム参照)。

さて、この日の演奏会形式の『夕鶴』。東京シティ・フィルハーモニックの演奏が素晴らしかったことはすでに述べた通り。加えて4人の歌手たちも好演した。つうの腰越満美が豊かな声量を巧みにコントロールし、つうの与ひょう思いの優しさと哀しみを歌い表したし、与ひょうの小原啓楼も健闘した。与ひょうをそそのかす通ずの谷友博と惣ど役の峰茂樹も力のはいった好演で、とりわけ峰茂樹の力強いバス唱法が印象深かった。公演ホールのティアラこうとうが江東区の顔となりつつある中、江東少年少女合唱団の参加もあって、ここをホーム・グラウンドとする東京シティフィルの健闘が歌手たちを守り立て、鶴の恩返しとして親しまれているこの民話風オペラに新しい命を吹き込んだ点が特に印象的だった。欲を言えば、せっかく地元の少年少女のコーラスを使ったのであれば、つうと手をつないで遊ぶシーンなどを挿入するなどもう一工夫があってもよかったのではないかと、その点がやや心残りだった。(2017年10月4日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください