#1137 マクイーン時田深山+池田陽子+池上秀夫 ― 弦弦弦
Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by m.yoshihisa
2020年8月9日(日) 四谷三丁目・喫茶茶会記
Miyama McQueen-Tokita マクイーン時田深山 (17-string koto)
Yoko Ikeda 池田陽子 (viola)
Hideo Ikegami 池上秀夫 (contrabass)
1. Improvisation
2. Improvisation
はじまりは三者がピチカートで抑制的に音を出す。やがて池上が落ち着いて時間を引き寄せたことによって、空気が変わったように聴こえた。
そのように重さと低さによって雰囲気を変えるのがコントラバスの、また弦から弦への流れが箏の、弓による連続的な音色の変化がヴィオラの「らしい」姿だとしても、この場で展開されるのは、「らしさ」からいったん離れて一音ごとの響きと他との重なりを試してみるありようだ。それは即興演奏の共有空間を手探りするふるまいでもある。演奏者自身がサウンドを予測できてしまうとしたら、そこからは曲や事前の打ち合わせがない即興演奏のダイナミズムが失われてしまう。
そして三者とも自分自身の楽器の特性を表現と不可分のものとしている。池田いわく、ヴァイオリンのほうが楽曲の演奏時には自由度が高いが、即興演奏において好む音色はヴィオラなのだという。また十七絃箏は低音域に拡張された箏であり、深山は、音の響きや伸び方だけでなく箏という固定観念からも離れているという面で自身に合っていると考えている。宮城道雄が十七絃を開発してからおよそ100年が経つが、それは開発者のねらいを超え、表現の拡がりにつながっているわけである。
池田は音の太さをゆっくりと変化させ、深山は繊細なグリッサンドで音を選んでいる。ここでふたりがその場で互いに呼応しあい、急に弦の上をスライドさせた。この驚きが騒乱につながってゆく。箏は異音を、ヴィオラは高音を強く、コントラバスは太く響かせる。
演奏者間の呼応はそのように運動神経的なものばかりではない。池上が弓で触れ叩く音と深山がギリギリと擦る音とが重ね合わせられ、また、池田と池上の弓によるグラデーションが重ね合わされて音価の長さが変えられてゆき、音色の足し算にとどまらない響きが作り出された。
セカンドセットは三者の音の連鎖からはじまった。深山が鐘の束を鳴らしては弦にぶつけ、池上が弦や胴を手で叩き、池田がいくつもの音のアーチを作っては飛ばす。音の静的な相互作用に、時間の進行という要素が加わったわけである。それは各々の発展へとつながった。池田は小さい振幅を重ねて激化させ、池上は弓の下部で強い響きを与え、深山は優美さから弦が切れるかと怖れるほどの強さへと振れた。
音が出されていないのに演奏が持続する緊張もすぐれた即興演奏の魅力のひとつである。訪れた静寂に池田が別世界への扉を軋ませ、それを機に、深山は存在証明のように、また遊ぶように、弦を爪弾いた。池上のコントラバスはうたのように聴こえる。池上と池田の和音は拡がってゆく世界を見せてくれるようであり、対照的に、深山の箏の音は純化していった。
そしてスピードを獲得してゆくコントラバスと箏とをつないだ紐は、震えるヴィオラの音だった。三者はそれぞれの強さを出しつつ、上へ上へと上昇した。それが強度を持つ繰り返しであっただけに、演奏が終わっても聴く者の中に響きが残った。
(文中敬称略)