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Jazz and Far Beyond

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Concerts/Live ShowsNo. 283

#1184 神田綾子+細井徳太郎+岡川怜央

Text by Akira Saito 齊藤聡

Photos by t.yoshihisa

2021年10月30日(土) 水道橋・Ftarri

Ayako Kanda 神田綾子 (voice)
Tokutaro Hosoi 細井徳太郎 (guitar)
Leo Okagawa 岡川怜央 (electronics)

1. Improvisation
2. Improvisation

ギターの細井徳太郎はジャズ、ポップス、ノイズなどの領域を拍子抜けするほどあっけらかんとして行き来する人であり、上京してから6年が経ち、東京のライヴシーンでの存在感がどんどん増している。エレクトロニクスの岡川怜央は対照的にサウンドを作り込む手仕事を音楽活動の中心に据えているようであり、ライヴはその発展と模索の断面のように思える。

表現のかたちがなし崩しに変化し拡張する電子音の使い手ふたりと、体内や脳内のプロセスを音波として表出させるヴォイスとが同じ場を共有したらどうなるだろうかという興味があった。この三者ははじめての手合わせにちかい(2015年に、上京前の細井と神田は群馬で少し共演した)。したがって、化学変化も予見しにくいものにちがいない。

とは言え、神田綾子のヴォイス表現がなにも電子サウンドに対置されるわけではないだろう。彼女の音を聴いた者がシャーマン(巫)ということばを口にすることは少なくない。すなわち、ジャズ・スタンダードのように音と意味との関係性が貼りついているわけでもなく、完全にシーニュ(記号)を失った抽象表現というわけでもない。電子サウンドだってひょっとするとその中間領域にあるかもしれないではないか。

どうやらリハーサル時に、まずは岡川と細井とが先行してサウンドを作り上げ、10分もしたら神田が参入するという構成のみを決めていたようだ。岡川の持続音はうなり、持続しているがゆえにときに存在を消し、そして虫や木々がひそひそと話す森のように場を包み込んだ。静寂もサウンドの一部に取り込むものとなった。細井はサンドストームから特定の音を浮き出させてゆき、ときに野蛮なほどの太いラインを提示した。ここにきて、弦を使うこと自体が事件となり、それが物語性の獲得に貢献しているように思えた。

30分ほどが経ってようやく神田がマイクの前に歩み寄り、喉を鳴らしながらサウンド空間に入った。彼女は十分に間を取り、低い持続音と高い可愛い声の両方で、岡川と細井の出してきた音をそれぞれいったんフィルタリングし加工しているようにみえた。逆に神田のヴォイスに細井が呼応して喋りかける瞬間も少なくないのはさすがだ。そして神田はなにか説明できないことを語りはじめた。

セカンドセットは一転して神田と細井がなにかに擬態しながら飛行し、その位置を前面と背後とでときに入れかえる。もちろん役割によって音のありようは異なっている。一方の岡川はやはり場の大きな流れを作り続けているのだが、その雰囲気を意図的に変え、聴く者を覚醒させる。集中して演者を横目で視ながら潮目を変える演奏はとても繊細なものだった。

予見できない三者三様の発展と新たな関係、これがすぐれた即興演奏の醍醐味である。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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