#1249 ライヴ「響き合う東アジアの歌声」と河崎純著『ユーラシアの歌』についての冗長なレポート(前編)
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃
1.オペラ上演という書を読む
2022年12月3日、岩手県盛岡市の<もりおか町屋物語館・浜藤ホール>で、音楽詩劇研究所によるコンサート版ユーラシアンオペラ「響き合う東アジアの歌声」が上演された。作曲、構成は、同研究所主宰者の河崎純である。
ユーラシアン・オペラの一部が盛岡で上演されるのは二度目である。
まだ世相が騒然としていなかった2018年10月4日、同じ会場で、サインホ・ナムチラクをメインにした「中央アジアからの声が岩手に響く」が上演されている(JT.No.247/#1040参照)。
今回は、メインキャストにジー・ミナとエリ・リャオの歌手二人、さらにチェ・ジェチョル(韓国打楽器) 、坪井聡志(歌)、吉松章(舞・謡)、小沢あき(ギター)、 河崎純(コントラバス)、三浦宏予(ダンス)、亞弥(舞踏) という、河崎の昔からの盟友たちがやってきた。
私は、昨年同時にリリースされたジー・ミナとマリーヤ・コールニヴァのCDのうち、後者のレビューをJTに書かせてもらった(JT.No.289/#2177 参照)。また私にとって河崎は一緒に楽旅、アルバム録音し、自分の演奏経験のなかでも最も濃密、貴重な時間を共にすることができた存在である。
今回は、盛岡公演のレビューを書くつもりでいたが、既に大部時間が経ってしまったし、書くべき事は多々ある。何よりもこの上演を少しでも深く理解するうえで、河崎の著書を看過する事はとてもできないと感じた。そこで、レビューと書評的な内容を含め、少し長くなるが、河崎の思想というべきものに触れてみたいのだ。
また私は二度の公演の地元主催者であり、インサイダーという意味ではレビューには本来相応しく無いだろう。
12月の上演チラシには『岩手に、台湾、琉球、日本、韓国の芸能が跋扈する宴』とある。
朝鮮宮廷唱法の歌手ジー・ミナ、台湾原住民出身のエリ・リャオ、柔らかで繊細な歌い手坪井聡志が声を響かせあう。舞の陣には、岩手県遠野出身で、神楽とモダニズムのダンスを混淆した三浦宏予、憑衣する舞踏家亞弥。演奏は、多様性と技巧のギタリスト小沢あきと、座長の河崎純がコントラバスとチン(朝鮮の銅鑼)を。そして音楽と舞をつなぐ「声と楽」に、東北三陸、アジア各地の民俗芸能と韓国の農楽を自家薬籠中にするチェ・ジェチョル、能・狂言の舞と謡を伝承する吉松章が居る。
サインホの公演よりもキャストが多い分、複雑な構成になるのだろうか。
河崎からは事前に構成が送られて来た。それとともに「盛岡のためのリハ時間がとれない。あれやこれやトラブル続きだ」と告白した。
ライブやツアーの実践には、音楽以外の要素が極めて重要である。聴衆が出会う「音楽」は、アーティストとそのチーム、関係者の尽力の結果である。スプーン一杯の蜂蜜は、ミツバチ何千匹の一生の抽出なのだ。
前回公演は「山椒大夫」を下敷きにしていたが、今回は朝鮮半島のパンソリ(伝統的民衆歌唱)でも有名な「春香伝」や「沈清歌」をベースに創作された。
「東の地中海」である東シナ海周辺の民衆交流を、河崎の作曲による新たな音楽、舞踊空間の中に再構成した。と、一言ですまされるなら話は早いが、それでは何も伝わらないだろう。
「朝鮮の『ロミオとジュリエット』」とも言われる純愛物語(ハッピーエンドではあるが)の「春香伝」。キーセン(高級遊女)の春香を、ヤンバン(貴族で官僚)の夢龍が見初め、恋に落ちる。しかし夢龍は修学のためソウルに行かざるをえない。彼の不在中に春香は地元官僚に横恋慕され、受け入れない彼女は投獄される。貞節を守り通し、戻った夢龍の一計で脱出。苦難の末に結ばれるという物語である。
韓国では誰もが知る物語だが、日本での知名度はそれほどでもない。芝居や舞台芸能では、観客が皆物語を知っていて、それをどう演出するかを楽しみに来る。が、河崎はここに、春香の母が台湾から琉球を経て流されてきたというエピソードを付け加えた。これらをどこまで観客は理解し得るだろうか。
オペラの冒頭、河崎はコントラバスを舟に見立てて、ひきずりながら現れる。それは春香の母が舟で済州島に辿り着くというイメージである(最近公開されたヤン・ヨンヒ監督の「スープとイデオロギー」はご覧になっただろうか。光州よりも知られていない済州島の悲劇を、家族の視点で捉えた映画である。リゾート地には血が染込んでいたのだ)。
サインホを主とした公演よりも、歌い手が多く、配役があるため、夫々の歌声を聴き、かつ場面毎の歌、演奏の変化を、一つのプロットとして追って行くのは容易ではないという印象がある。
一人の歌い手が多様な表現をするのは浪曲やパンソリ的な話芸に近く、多数の歌手がそれぞれの役割を果たすのはまさにオペラであるが、今回の上演では一人の登場人物の声を、心情を、複数の歌手が担う。またその人物の舞踊も決して一対一の関係ではない。さらに河崎は、一切装置のない舞台で、背景さえも歌や踊りによって表現しようとしている。
つまり一人の存在の中の複数性、あるいはまた複数の中にある共通要素を、「音/演奏」と「歌/声」の組み合わせ、すなわち実体のない「音楽という現象」によって、鑑賞者に共感を求めているのではないだろうか。
だから、そこでは正確にプロットが伝わらなくてもよい。詩の言葉も全ては理解されない。なにしろハングルも日本語の古語もあり、琉球語もあって、それらは時代や場所を越えて、その場で「声/ウタ」となり、演奏もチャング(杖鼓)、ケンガリ、チンといった半島の伝統楽器に、コントラバスと、生ギター、エレキギターが響きあうのだから。
曲調はその場面ごとにかなり色々である。基本的には各地域の民謡をベースにしている。が、モダンな和声を用いたり、拍子もまた舞踊に沿わせたり離れたり。
特にコントラバスとギターにおいては、その演奏法が多様であり、特殊奏法が同時代の即興演奏の精華を響かせた。おそらく多くの聴衆は通常の西欧楽器があのような非楽音的ノイズを、意図的にコントロールして演奏できることを知らなかっただろう。
チェの叩きだす、生き生きとした半島系のチャンダン(リズム)は、物語のメリハリをつけ、その踊り、渦潮のような円運動も、サムルノリなどに馴染んだ人には楽しめただろう。
しかしまた、エリ・リャオの驚くべき多彩な声と、ジー・ミナのどこまでも透明感のある、しかし芯の通った声の双方に、我々が日常聴く歌声とは、違った文化的背景を感じたであろう。それは日本の民謡とも違うものだ。
こうした驚きのどれかが、一人一人の耳の、記憶の中に沈み、また浮かび上がって来るのを私は待ちたい。
上演の最後には、全員が声を一つにする。その前に彼等が歌うのは、まさに「歌声高きところ恨みの声も高し」「まだ見ぬ世界に声響かせん」というコトバなのだが。
残念ながら、舞い手達に言及する力量がないし、休憩を挟んだ第二部の面白さをいちいち書き留めるだけの余裕も無い。私には書きたい事がまだまだある。
また私は言っておきたい。ないものねだりの不満を。
今回の上演ではまだ、ひとつの物語に沿って、縒り合わされるオトとウタの織物の不完全な文様でしかないと。
せっかく河崎が、艮(うしとら、東北)へと視座を持ってくれるのであれば、岩手のみならず、アイヌにもある義経北行伝説の名残り、あるいは東北に散在する田村麻呂と大嶽丸(阿弖流為の変容)の説話を謡う「奥浄瑠璃」、キリストの墓、東日流外三郡誌など、そうした偽史とされる、まつろわぬ民の心情に、彼はいつ達してくれるだろうか。
日本海(東海)もまた「東の地中海」であり、東北もひとつの凝縮したユーラシアである。
2.書籍という旅
3年前、ユーラシアン・オペラの一環として、サインホ・ナムチラクが同じ会場で公演し、大好評であった。人口30万の地方都市で70人強の来場者があったことは、他の地域からも驚かれた。
今回は状況が難しく、ようやく50人の来場を確保したが、これも地元のコリアンのオモニが色々協力してくれた成果である。二日に亘り、飲食を提供してくれたことは、それだけで有り難い。
上演後、河崎は私に著書『ユーラシアの歌 原郷と異郷の旅』(ぶなのもり刊 2022)を贈呈してくれた。
400ページにも亘り、しかも二段組みで、写真も満載だ。丁寧に各項目、人物などの索引までついている。なによりもこの本は、その厚みにもかかわらず、軽くて、持ちやすくて、文章が読みやすい。だが、内容の濃さといったらかなりのものだ。索引のおよそ1500以上の項目を読むだけで「ユーラシア音楽・文学・民俗事典」とでも言える程の。
彼の探求に影響した書籍の紹介もあれば、自身の関わった表現者たちへの言及も、彼等の生い立ちから現在まで詳細に、数ページずつ割かれている。そこには生者も死者も含まれる。現在、ネット上にある関連情報はQRコードで読み取れるようになっている。この一書がそのままユーラシア文芸手引書なのだ。
私は敢えてこの書の詳細を語ろうとは思わない。
河崎が現地点までいかにして辿り着いたか、ユーラシア大陸のあちこちを遍歴し、再訪し、どのような人に会い、協力し反発し、彼がどのような詩人、音楽家に誘われてそこに至ったか、その故地において何を想ったのか。共演した人名を上げるだけでも1ページを越えるだろう。
書評でもない私の文章は、それでは終われないのだ。
この書のサブタイトルは、彼が2022年にリリースした二枚のCD、それぞれのタイトルでもある。
もし移民が、否応無き事情で故地、原郷を離れ、異郷で生を営み、家族を作り、集団を成し、芸能や歌舞音曲で故郷を懐かしみ、二世三世は見た事も無いそこへ思いを馳せるなら、それが20世紀までの大衆音楽の源流になったことは間違いない。これをサウダージという。
そのようにして人々を追いやったり呼び寄せたものは、資本主義と戦争である。それは否定とか拒否できるようなものではない。
反対するのは権利であり、自由である。ある者達がそれらにアンチとしての態度を形成するのは、それが否応無く押し迫って来るからだ。しかしその圧力が無ければ彼らは、アイデンティティを確認しなかったかもしれないし、結束も無かったかもしれない。資本主義と戦争も意識されなかったかもしれない。あるいはまた、その根底に帝国主義と産業革命がある。そして二十世紀にはメディアというもう一つの怪物も急速に成長した。
それが実は「民族音楽」という観念を「ワールドミュージック」という商品に押し上げたのだ。が、それによって目を、いや耳を開かれた人は多い。この辺のことも河崎は丁寧に書いている。
『終わりはいつも終わらないうちに終わっていく』というのは、2015年の音楽詩劇研究所の最初の作品名だ。
河崎はこの構想を、中国の作家、遅子建の『アルグン川の右岸』という小説から得た(思えば河崎の最初のソロアルバムも『右岸・左岸』という)。中露国境地帯に住む少数狩猟民族エヴェンキが、二十世紀の国家に編入されて行く過程を一人の老婆の語りとして記述する。編入はまた部族の離散でもあった。
「共同体の生から解放されて、死を迎えるそのとき、(中略)自然物のなかに還るその時間のなかに、幸福があるのかもしれないとも想像してみた。その瞬間に響く音楽を想像し、創造する。それを『死者のオペラ』と呼んでみることにした。」(本書31ページ)
この意識から、彼は上演を『死者のオペラ』という概念でくるむことにした。
死後の世界、すなわちこれまで生まれ、死んだ、あるいは、これから死ぬ者達、ヒトだけでなく生きとし生けるものは、そこで繋がっているのかもしれない。
『死者のオペラ』という言葉で、石棺の中で目覚める死者の思い、折口信夫の『死者の書』を想起せざるを得ないし、『終わりはいつも終わらないうちに終わっていく』というセンテンスで、カフカの箴言を思う。絶望と希望は表裏一体だ。
『右岸・左岸』を眺める場所は川の流れの真ん中だろう。それは橋の上か、渡し船か。彼にとって川とは何か。そうだ、それは此岸と彼岸を隔て、また繋ぐ流れである。かつては海も川も、その向こうが異界であり、死者が住むと同時に祖先の地であった。つまり流れを挟んで、両岸に住むもの達は互いに対岸を、死の国、そして同時に「妣(はは)の国」として怖れ、憧れた。
死者の国、祖先の国、それは神の領域であり、その異界と現世を繋ぐ存在がシャーマンである。一つの部族に一人のシャーマンというのは分かりやすい構図だが、実はもっと普遍的な存在だ。それは一家に一人のシャーマンが居るという意味だ。それはオバアチャンかもしれないし、オカアサンか、オバサンか、いや末の娘かもしれない。それは神の嫁でもあり、生きた依り代であり、斎宮の原型でもある。河崎の旅はユーラシア各地の巫を求め歩く旅であるともいえる。
河崎は、本書において各部の扉ページに、紙の舟の写真を載せている。その舟は、東アジアの地図で折られている。
この舟の渡し守〜カロンこそは、夢の案内人、河崎純だ。意図せずして、いやそれ故当然の帰結として、私がマリーヤ・コールニヴァのCD 『STRANGELANDS』(異郷)に寄せたレビュー(JT.No.289/#2177参照)の最後の文章と同じになってしまった。(未完・前編の終わり)