#1273ザイ・クーニン+川島誠
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2023年9月2日(土) 横濱エアジン
Zai Kuning (changgoh, dance, voice)
Makoto Kawashima 川島誠 (alto saxophone)
「ダブンタ・ヒャン」というザイ・クーニンの作品がある。巨大なスケルトン船だ。ザイは骨組みを結わえた紅い紐を自らほどいて手元に集め、長野県大町市で開かれた「信濃の国 原始感覚美術祭」において紐を撒きながら踊った(2018年)。それは結界を作り出し、文字通りこの世のものとも思えないものであった。船は、東南アジア島嶼部から、ザイとコントラバス奏者の齋藤徹が想い描き表現世界として結実させた「黒潮」とともに日本に到来し、血液としての紐が生命を噴出させたのだ。紐はなぜかその場かぎりで消失してしまった。そして翌2019年、齋藤はこの世を去った。
ザイが同じ横濱エアジンで齋藤、南アフリカのジャッキー・ジョブ(ダンス)と共演し、天井の梁を齧って傷をつけたことがあった(2010年)。今般、ザイは紅い紐を蘇らせ、天井の別の場所から垂らし、下の端に石を結わえて回転させた。哀悼の儀式であるとともに、オラン・ラウト(マレー語で水上生活をする漂海民を意味する)たちの間に伝わるシャーマンの儀式からザイが想起したものでもある(*1)。オラン・ラウトの生業の基礎は漁業にあるが、かれらのなかには造船技術と航海術とにすぐれ、かつて貿易や海賊を行ったものがあった(*2)。「黒潮」によって想像される姿である。
川島誠は晩年の齋藤徹といちどだけ共演した(2018年)。それは川島にとって一期一会の忘れがたい時間であっただろうし、ザイとの共演を受け入れたのはそのことがあったからなのだろう。後日、川島は「徹さんも一緒にいるような気がしました」と言った。
そしてかれのアルトの音は以前にも増して複層的なものとなっている。なにかを記憶領域から歌のかたちで引き出すありようから変貌し、音の質にさらに意識が向けられているように感じられた。その変化そのものがかれの祈りなのかもしれない。ザイに訊くと、川島のサックスにとてもエモーショナルなものを感じ取り、演奏後、たとえばパーカッションとして使ってみてはどうかと話したという。筆者は、これを機に川島のあらたな音の展開があるかもしれないと想像する。
ザイはチャンゴ(韓国打楽器)も演奏した。韓国では右手で竹の撥、左手は素手か撥で叩く奏法が伝統的であり、それにより韓国伝統音楽に固有の「長短」(チャンダン)というグルーヴが生み出される。だが、ザイの叩き方はまるで異なっていた。それは両手の指をきわめて柔軟に使い、腹や関節の打音により幅広いグラデーションを聴かせるものだった。ライヴを観にきた香村かをり(韓国打楽器)も玉響海月(演奏用のチャンゴを提供)も驚きを口にした。ザイによれば、(もちろんザイのことだから)独創奏法ではあるけれど、マレーの叙事詩ガザルの影響を受けているという。
かつてマレーにはインド商人やアラブ商人とともにイスラム教が伝わった。長くマラッカ海峡を支配したアチェ王国の代々の支配者たちは、イスラム教を積極的に庇護してこの地をイスラム神学研究の中心地とするとともに、イスラム商人たちによる貿易の保護も行ってきた(*3)。もとよりマラッカ海峡への視線は西向きのものでもあった。元末から明の時代、中国人はボルネオ島より東を「東洋」、マラッカ海峡に至る一帯を「西洋」と称したという(*4)。ザイの父クーニン・スライマンもまた音楽家であり、かれのガザルはパキスタンの宗教歌カッワーリーの影響を受けていた。たとえばカッワーリーの偉大な歌い手ヌスラット・ファテ・アリ・カーンとザイとを同じ視野のなかに入れることはおそらく誰もしてこなかったわけであり、この驚きは文化というものに向けられる。
誰もが驚いたことだが、セカンドセットにおいて、ザイはカウベルを股間にぶら下げて腰を振り、吊り下げられた石に当てて音を発した。もう齋藤がいない家を訪れたとき、ザイはこのカウベルを見つけたという。かつてザイが齋藤に贈ったものだった。そしてまた、無数の紅い紐とともに横臥した。それは精と血を介した生死の間の往還にみえた。呼びかけであり、召喚であったのかもしれない。ザイの背中の彫り物は齋藤に捧げられてもいる。2020年末に筆者がアイヌ紋様集をかれに贈ったところ触発され、齋藤のイメージとともに結実したものだ(*5)。
だから、極めて個人的なものにみえるザイの表現には、東南アジアからアイヌモシリまでの「黒潮」が流れている一方で、その音楽的ルーツは西方に遡る。かれの表現を支える想像力はあまりにも大きい。
(文中敬称略)
(*1)ザイ・クーニンはオラン・ラウトの研究を進め、短編映画『リアウ』(2003年)を撮っている。
(*2)羽原又吉『漂海民』(岩波新書、1963年)
(*3)ザイナル=アビディン=ビン=アブドゥル=ワーヒド編『マレーシアの歴史』(山川出版社、原著1983年)
(*4)鶴見良行『海道の社会史』(朝日選書、1987年)
(*5)拙著『齋藤徹の芸術』(カンパニー社、2022年)の裏表紙を飾っている。