#1281 「悠々自適」悠雅彦さん追悼コンサート
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2023年11月25日(土) 渋谷・公園通りクラシックス
出演者:CANNONBALL EXPLOSION ENSEMBLE (砲弾爆発合奏団)[山澤輝人 (ts, fl) 剛田武 (vln, fl) ルイス稲毛 (b)]、ギラ・ジルカ (vo)+深井克則 (p)、田村夏樹 (tp)+藤井郷子 (p)+福本佳仁 (tp)、仲野麻紀 (sax)、藤本昭子 (地歌)、矢沢朋子 (p)、 八木美知依 (エレクトリック21絃箏)、加藤葵 (vo, p)
2023年11月25日、プロデューサーとして、また文筆家として、大きな功績を残した悠雅彦の追悼コンサートが行われた。亡くなった翌月と急な開催だったにもかかわらず、この場に集まった演奏者、関係者、観客の多さが、悠の影響力の大きさをものがたっていた。そして、展開された音楽の世界は、伝統と革新の両方を同等に重んじる悠の姿勢と重なるものだった。
CANNONBALL EXPLOSION ENSEMBLE(砲弾爆発合奏団)は、破壊力でいえばマシンガンよりも砲弾だというわけで結成されたばかりのグループであり、おそらくそこには悠より数か月前に亡くなったばかりのペーター・ブロッツマンらによる『Machine Gun』への敬意がある。いまの東京のシーンで、情を激しい濁流のように吹くサックス奏者といえば山澤輝人の名前が挙がることも多いのだろうし、このグループ名とマッチする。ここに焦燥感にも似た別の音要素を持ちこもうとする剛田武、さらに全体として強力なグルーヴを与えるルイス稲毛。先人への敬意を爆発をもって示すという意味で、集会の幕開けにふさわしいものになった。悠を偲ぶということは、悠が視てきた前衛音楽を受け止めるということにほかならない。
前衛ジャズの音を追いかけてゆく者は、必ずといっていいほど悠雅彦の仕事の大きさを知ることになる。リード奏者チコ・フリーマンのデビューアルバム『Morning Prayer』は、悠がプロデュースしたWhynotレーベルから1976年にリリースされた傑作だ。そのさい共演して異色のソロで存在感を誇示したリード奏者ヘンリー・スレッギルもまた、その1年前にグループ・AIR(スレッギル、スティーヴ・マッコール、フレッド・ホプキンス)の初作『Air Song』を吹き込み、やはり同レーベルから新しいサウンドを世に問うていた。もちろん現在のわれわれはその後のかれらの偉大な足跡を知っているわけであり、その起点を刻んだことの重要性は、強調にあたいする。
なぜそのような仕事ができたのか。筆者は、2017年にニューヨークで演奏後のアンドリュー・シリル(ドラムス)と話した際、かれが開口一番「悠雅彦は元気か」と聞いてきたので驚いたことがある。悠がほぼ同い年のシリルと強く長い友情関係で結ばれるほど「現場の人」であったことは、「アンドリュー・シリルとの対話」(*1)を読めば実感できる。チコ・フリーマンやヘンリー・スレッギルとの関係もそのようなものだっただろう。そしてこの追悼集会に出演した藤井郷子(ピアノ)も、「とにかく演奏の現場に来てもらわなければダメなんです。悠さんはそれをしてくださる方でした」と話した。
その藤井は、田村夏樹と福本佳仁のツイントランペット、八木美知依のエレクトリック21絃箏と共演した。もとより13本の絃を持つ箏が宮城道雄により拡張されて十七絃箏が開発されたのがおよそ百年前のこと、さらに野坂操壽により二十絃箏(21本)、二十五絃箏が登場してきたわけだが、八木は表現拡張の歴史を踏まえつつ、他の箏奏者と大きく異なる個性を持っている。それは箏の世界というよりも八木の世界であって、音の鮮烈さにはやはり気圧されるものがあった。八木とともに、ユーモラスでもある田村と福本、それから藤井が懐の深さをもってヴェクトルの向きが外へ内へと変わり続けるサウンドにしおおせた。
ソロ表現の強靭さという点で印象に残る演奏をみせてくれたのは、矢沢朋子(ピアノ)と仲野麻紀(サックス)である。一方で伝統に立脚した方法論であっても、ギラ・ジルカ(ヴォーカル、ピアノの深井克則とのデュオ)、藤本昭子(地歌)、加藤葵(ピアノ弾き語り)の声の深さには強く惹かれるものがあった。
(*1)悠雅彦『ぼくのジャズ・アメリカ』(音楽之友社、1979年)
(文中敬称略)
ギラ・ジルカ、加藤葵、CANNONBALL EXPLOSION ENSEMBLE (砲弾爆発合奏団)、福本佳仁、ルイス稲毛、山澤輝人、深井克則、藤本昭子、藤井郷子、田村夏樹、八木美知依、仲野麻紀、矢沢朋子、剛田武、Masahiko YUH 悠 雅彦