#1052 上野優子ピアノリサイタル プロコフィエフ・ソナタ全曲シリーズ 第2回Fazioli
2019年12月13日(木) すみだトリフォニー 小ホール
Reported by Kayo Fushiya 伏谷佳代
Photos by Sho Yamada 山田翔
<出演>
上野優子 (ピアノ) Yuko Ueno (piano) 使用ピアノ:Fazioli F278
<プログラム>
スカルラッティ:ソナタロ短調K.27/L.449
ソナタニ短調(トッカータ)K.141/L.422
ソナタヘ短調K.466/L.118
ソナタホ長調K.531/L.430
ソナタイ長調K.533/L.395
ドビュッシー:版画 1.塔 2.グラナダの夕べ 3.雨の庭
エレジー
プロコフィエフ:風刺(サルカズム)op.17 Ⅰ 嵐のように Ⅱ.間のびしたアレグロ
Ⅲ.せき立てるアレグロ Ⅳ. 狂気したように Ⅴ.激しくせきたてるように
ピアノ・ソナタ第3番イ短調「古い手帳から」op.28
ピアノ・ソナタ第4番ハ短調「古い手帳から」op.29
*アンコール:
プロコフィエフ:『つかの間の幻影』より第17曲「ポエティコ」
ピアノ・ソナタ第7番op.83 より第3楽章
バッハ:『平均律クラヴィーア曲集』第一巻より第1番プレリュード
上野優子によるプロコフィエフのピアノ・ソナタ全曲演奏6回シリーズの第2回。毎回使用するピアノを変えるという画期的なシリーズだが、今回はイタリアのファツィオリをフィーチャー。プロコフィエフに主眼を置いてはいるものの、作曲家の系譜や使用楽器の文化的背景など、様々なエッセンスが編み込まれて毎回のプログラムができあがる。今回は生誕333年を迎えたイタリアの名匠・スカルラッティのソナタから始まり、モスクワ音楽院時代のプロコフィエフの師匠が多大なる影響を受けたというドビュッシー(没後100年)、そしてロシア革命をうけ亡命するあたりまでのプロコフィエフ作品が並ぶ。あたかも上野のピアノにナビゲートされ、音楽史の濃厚なワン・シークエンスを追体験する旅のような趣向。すみだトリフォニーホールでファツィオリが演奏されるのも、初めての試みだという。
プログラムの進行とともに時代が現代に近づくが、それに比例して音色が目に見えて変化する。終盤のプロコフィエフをターゲットに、じりじりとフォーカスが絞られていくようだ。バランス感覚に秀で躍動的、ヴァ―ティカルに立ち昇りのよいピアニズムは、スカルラッティのようにまやかしの効かない構造の曲において、のびやかにその美点を発揮する。つづくドビュッシーでは一転、氷結したような硬度と澄み切ったソノリティに。多様な響きのテクスチュア、リズムやテンポの揺らぎが内包された細部を丁寧に描き出しつつ、メリハリの効いた音楽運びで要所では一気にパノラマが開ける。そして迎えた後半のプロコフィエフ『サルカズム』。華やかかつ獰猛なテンペラメントが全開になるが、そうしたピアニスティックな側面と表裏一体に絡みつく情緒—音間にたゆたう静寂(Ⅰ)、ドライな寂寥感(Ⅱ)、濃密に空気中に吸収されてゆく残響(Ⅳ)、単音のスタッカートが内に抱えもつ儚い小宇宙(Ⅴ)、など—が豊かな曳きをみせつつ堆積してゆく。終盤のソナタ2曲に至っても、太いドライヴ感でぐいぐいと地殻を引っ張る一方で、ドラマティックな濃淡や浮沈を実現する多彩なタッチが音楽の実存を盤石たらしめる。大局的な俯瞰と並走する繊細できめ細やかな描写力、砂塵を巻く疾走感と揺籃する余韻—楽器のフレキシブルな属性とともに、アンコールの末端に至るまで音楽のアンビヴァレントな醍醐味がたっぷり詰まったステージであった。(*文中敬称略。伏谷佳代)
<関連リンク>
http://yuko-ueno.com/
http://www.shin-en.jp/artists/mini/piano18_ueno_yuko/index.html