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R.I.P. 鈴木勲No. 289

全てにおいて規格外。音色、グルーヴ感、フレージングどれもOne&Only!凄い人でした。 by 鈴木良雄

Text by Yoshio Suzuki 鈴木良雄

オマさんは世界を見渡して見ても、何処にもいないユニークなベーシスト、ミュージシャンだった。

オマさんに初めて会ったのは記憶を辿る限り、自由が丘にあった「5スポット」という店だったと思う。
その頃僕はピアニストとしてプロになったかなる少し前の頃で21歳の頃だったと思う。
緊張しながらプレイした事を覚えている。

23歳の時ベースに転向してすぐにオマさんの存在が大きく目の前に感じられる様になった。
とにかくオマさんのベースは誰にも真似の出来ないユニークなスタイルで、僕もどこかで影響は受けているのは確かだと思うけど、孤高の存在だった。

ベーシストになって2年位経った頃、ある大きなコンサートホールでビッグバンドをバックにオマさんピッコロベース、僕がチェロを弾いて2人でフロントに並んでブルースを弾いた事があった。

曲はコルゲンさん (鈴木宏昌) の書いたブルースで、譜面がさほど強くない僕が読み間違えて間違って弾いているのを、オマさんも同じように弾いてた。

しばらくして間違えに気付いて直したらオマさんも同じように修正して来た。
後から聞いた話だけど、オマさんは譜面を読まない人でその時僕の弾いた音を瞬時に耳コピーして弾いていたんじゃないかなと思う。

オマさんは全てにおいて規格外、音色、グルーヴ感、フレージングどれを取ってもOne&Only!
凄い人でした。

沢山の若いミュージシャンも育てました。

オマさんからの電話、
「お〜、チンか? オマだ!」
これには毎回ちょっと戸惑いましたよね。(笑)

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
向こうでも抜群のリズム感で、グルーヴしまくってください!

鈴木良雄
CHIN


鈴木良雄 (BASS・PIANO・作曲)
1969年~73年の間、渡辺貞夫、菊地雅章のグループで活躍。73年渡米し、74年スタン・ゲッツ・グループ74年~76年アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレギュラー・ベーシストとして活躍。1985年帰国後、MATSURI、EAST BOUNCE、BASS TALK、GENERATION GAP等、自己のバンドを結成。自身のオリジナル曲をメインに演奏。2010年1月に南里文雄賞を受賞。2016年竹書房よりジャズ入門書「人生が変わる55のジャズ名盤入門」を出版、大好評を得る。2022年4月には新しいバンドTHE BLENDによるライブ・レコーディングCD『FIVE DANCE』をリリース、全国ツアーを展開中。 ‘チンさん’のニックネームでファンから親しまれ、日本ジャズ界のリーダー的存在である。
公式ウェブサイト

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