Jazz and Far Beyond
ペーター・ブロッツマンがヨーロッパのフリージャズにおける最重要作のひとつ『マシン・ガン』を録音してから半世紀経つ。「怒り」を象徴するかのような攻撃的なサウンドといい、『マシン・ガン』はこの時代を表象するアルバムだ。そして、表現スタイルこそ違えど現代のオルタナティヴ音楽へのとば口を開いたのも彼らなのである。
<我々がプレイするとみんなダンスを始めようとする。それが興奮というもので、人々の心の奥底に触れるからだ>ディジー・ガレスピー。
学校のひとつではあったOLEOから学んだことは、計り知れない。それから『ジャズ批評』からも。松坂比呂さん、有難うございました。
松坂さんは、少女のようにチャミーングで楽屋で山下さんと打ち合わせていた時のはにかんでいた姿が今も忘れられない。
42分間のナマの音を通じて、現在最高のドラマーのひとりチャド・テイラーが提示してくれる創造的なプロセス『Myths and Morals』、ブルックリンの同世代の即興・実験的なミュージシャンの中でも目立つ個性を持ったアナイス・マヴィエルのパフォーマンス。
ポール・モチアンの愛したピアニストの一人、ラス・ロッシング。その独自の奏法と魅力を探る。
恐らくコルトレーン本人はお蔵入りさせるつもりだったのではないかと思われるレコーディングが発掘された。筆者にとってコルトレーンとは何だったのか、ということに触れながら、先行公開された第一トラックを解説。ビ・バップのフレーズを否定し、4度飛びとペンタトニックなどのフレーズを開発したコルトレーンに焦点を当ててみた。
”新しいレーベルが誕生する、それは3都市でのライブ録音、CD3枚組で、クラシックのレーベルという打ち出しなのだが、
ホワイトシャツはスーツを着用する男性にとっては基本必須アイテムだ。今回は、ジェリーマリガンのホワイトシャツ姿がいかに魅力的か、見てみる。
この過程はテイラーだけのものではない。日本に孤高のギタリストが居た。ボサノヴァでプロデビューし、トリスターノの研究からクール派の演奏を成就し、タンゴを異形な演奏で示し、漸次投射/集団投射の方法論で日本独自のフリージャズを顕現させ、遂にはそのギターソロが轟々たるノイズの壁を屹立させるに至る。高柳昌行、その人である。
「体感する現在進行形ジャズ」が写真とエッセイで綴られ、NYのジャズシーンの熱気に手が汗ばむほど。
こうしたピットイン育ちが集ってのこのアルバムからはピットインの音が聴こえてくる。
この不動にして強固な5人の漢達による、ラテン・ジャズ・ユニットとしての抜群の“絆”は今作でも健在、自在にして闊達・洒脱なラテン・ジャズのエッセンスを開陳し、聴くものを心地よく悦楽の世界へと導いてくれる。
メロディのもつ含蓄、演奏者の表現力、時の移ろい、雨や夢などの言葉が放つイメージの連鎖が結ぶ像には、粋とメランコリーがバランスよく結集している/The connotation of the melodies, the musicians’ expressiveness, passage of time, and a chain of images unleashed by such words as rain and dream; in a picture connected by all these elements, stylishness and melancholy are brought together in good balance.
NY即興シーンを代表する二人の音楽家の初デュオ作品は、大胆なスタジオ・ワークを駆使して、即興音楽の先にある異端世界を目指す問題作。
ピーター・エヴァンスとコリー・スマイス、90年前の歴史的デュオへの“返歌”
フリージャズや即興音楽に限定されない活動を貫く二人の個性派アルトサックス奏者、望月治孝と川島誠のスプリットLPがフランスから登場。
個性の方向がそれぞれまったく異なる傑出した3人による成果。楽器間の権力構造や、演奏内での中心と周縁といった構造を排することによって、他にはみられないトリオ演奏の形を提示している。
パトリック・シロイシ、ロサンゼルス在住の日系四世。驚くべき個性を持ち、響きを追究してやまないユニークなサックス奏者である。
豊住さんはたしか東京芸大を卒業しているはずだが、それも確かではない。彼にとっては(多分)どうでもよいことだから直接聞いたことはない。
フランス音楽に全情熱を傾注した正戸の才気がこのラヴェルで一気に開花した感じだった。
曲へと結実するまでの作曲家の人生の化身ともいえる演奏。全方位的に己を賭さずして到達できない、うち震えるような濃艶さと鋭さがある。聴き手が皮膚感覚で打ちのめされるのはそのためだ/ Her performance can be described as the embodiment of the composer’s life until the fruition of this musical work; it has a trembling-like sensuality and sharpness, which cannot be attained without the artist risking herself in every direction. That is why the listener is overwhelmed by the auditory sensations playing on their skin.
民話的な哀感は同時に未来的。微視と巨視の並走。覚醒と熱っぽさの混在—「風ぐるま」は、統合された知覚による経験の最先端を飄々と廻り続ける。
特に素晴らしかったのがメンデルスゾーンの「イタリア」。この演奏を目の当たりにして、この俊英指揮者の楽曲へのハイセンスなアプローチ、日本のオーケストラというより日本フィルとの相性の良さ、伸びやかで若々しいリズム感が、並ならぬものであることがよく分かった。
ピアノがバランスの表に出るなかで、ベースの勢いを失わない浮かび方が素晴らしい。
音楽の構成が、録音技術の鮮明さあっての印象を強く感じる。
すべてオンマイクの鮮明さを表に構成したサウンド。
怒濤の開放感溢れるサウンド。ふと思い出したのがGRPサウンド。
素晴らしいバランスはライヴ空間の雰囲気を一気にもり立てる。
音創りに気負いがまったく無く、聞こえるが「まま」をさらりと録音したと!
テナーに乗り掛かるミックス・バランスが見事な仕上げ。素晴らしい音創りだ。
ラテンリズムの快適さ突出のサウンド。お見事なミックスバランスだ。
kokotobの凄いところはそこだよね。誰かが曲を持ってきて、自分の考えを固持しようとするのではなく、意見を出し合い、それをみんなで試していくみたいな。
曲の雰囲気に色彩を感じるエフェクト処理が、また驚くテクニックだ。