Jazz and Far Beyond
1970年代後半から1980年代、ヨーロッパ即興音楽シーンでは女性の演奏家が多く活躍するようになった。その動きをフェミニスト・インプロヴァイジング・グループ、イレーネ・シュヴァイツアー、カネイユを中心に振り返る。
ドクターとジャズ・トランペッターの2足の草鞋を履くエディ・ヘンダーソンは、The Cookersの創立メンバーのひとりで今も中心的存在。
しかし,私の音楽体験の原点となった演奏といえば、あのレクオーナ・キューバン・ボーイズ<タブー>をおいてない。
この4月12日にケニー・ギャレットの新譜がリリースされる。先行公開された1曲を聴いてすっかり虜になった。運よくアルバムのプロモーション音源を手に入れることが出来た。本人はアルバム全体で1曲と言ってる、そのアルバムはまさにマイルス愛に溢れている。コラボレーション相手のスヴォイがこれまたすごい。書いていて興奮してしまった。
異次元の世界に遊んだウィークエンドの午後のひととき、会場を出ると陽はまだ高く、星の王子さまとの出会いにはまだだいぶ間があった。
巡る季節を進むLAL。三寒四温の内に春の兆しを感じつつ今日も彷徨う独り旅。
今月号では時計の針を巻き戻し如月に巡った充実の現場6本をご紹介。
この「日本聖殉教者教会」は、日本人のカトリック画家/フレスコ画家の長谷川路可画伯によって祭壇画・天井画・小祭壇画が描かれ、今に至っている。
最初にCDで聴いた時には前情報は何も知らずに聴いたのだが、一聴してミクスの集大成的な作品という印象を強く受け感動しました。
多種のリズムのサラダボウルを遊び心たっぷりに料理するワイスの”勝算五分五分”トリオの創造の泉は滾々と溢れ続ける。
目まぐるしく変化する声、異世界へ誘う「歌」を繰り出す神田綾子、ピアノとパーカッションから、繊細な表現も大地を揺るがす激しさも、自在に生み出すsara(.es)。宇都宮泰が録音・マスタリングを手がける2人のライヴ盤。
コントラバスという楽器は単数でも複数でもある。幅広い周波数の葉叢を発生させるだけに、その音にはひとりの演者の意思を超える匿名性がある。また、矛盾するようだが、同時に演者の個性がもろにあらわれる。田辺和弘、瀬尾高志、田嶋真佐雄はそれぞれに自身の音を追い求めてきた者たちであり、なおさらのことだ。
ニカラグア出身の熟達な知性派ピアニスト、ドナルド・ヴェガの新作、拾い物とも言えそうな仲々の逸品だ。
本盤は<渡良瀬>1曲のみのアンソロジーという極めて特異な構成であることはプロデューサー若杉実氏の意思であり板橋の意思でもあったことだろう。
ピアノ、フルート、 クラリネット、ヴァイオリン、チェロという、クラシック界でもなかなかお目にかかることのできないユニークな編成による、とてもワクワクする楽しくも美しいジャズ・ミュージック!
3日間にわたるペーター・ブロッツマン追悼コンサートの最終日の模様を、ロンドンの Cafe OTO からリポート。
KARMはプラハのミハル・ヴルブレフスキ(アルトサックス、クラリネット)とベルリンのトルステン・パペンハイム(ギター)による即興のデュオユニットである。かれらの特徴はまったく電気を使わないことだ。
テナーサックス奏者3人(西口明宏・陸悠・馬場智章)がフロントに並ぶ。燃え上がり、吹き荒れ、やがて和する三本のサックス。西梅田ガロンの本営業初日は、満員御礼で幕を開けた。
急速な進化を続ける武本和大の新プロジェクト “Departure”
「舞台というカンヴァスを描き切る身体の自在さ」は、この日の出演者すべての共通項。聴き手は視覚と聴覚をフルに動員しながら、演者たちが差し出す内的世界へとり込まれていくことになる。
石田幹雄のピアノについて、「こんな感じ」だと説明することはむずかしい。その愉快なもどかしさの鍵は、石田のいう「中庸」「立体」「色味」かもしれない。
私の役割は、楽器の演奏者というよりも作曲家だと思っています。ECMのレコーディングに必要とされる重要な資質は、エゴが全く無いという事です。