ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #13 『Lucky Punch』
偉大なベーシストが2人次々に他界してしまった。本年2016年11月2日にBob Cranshaw(ボブ・クランショウ)、そして11月11日にVictor Bailey(ビクター・ベイリー)だ。
クランショウは筆者のお気に入りの一人であった。本誌No. 215で筆者が追悼記事として取り上げたポール・ブレイの<BeBopBeBopBeBopBeBop>でベースを務めたのがクランショウだった。その他でもウエス・モンゴメリーやソニー・ロリンズのアルバムなどで馴染みが深い。オン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブするベースは実にジャズファンをドキドキ興奮させてくれる。その他でもアメリカ人気番組、サタディ・ナイト・ライブでベース兼音楽監督を務めたり、セサミ・ストリートのレギュラーだったり、とあちらこちらで活躍し、成功を収めていたのを思い起こす。83歳、癌であった。クランショウを取り上げたいと考えたが、残念ながら筆者が知る限り彼のソロ・アルバムはない。ロリンズ等との映像を観てわかるように、彼はバンドをドライブする真のベースプレーヤーだった。逆にサタディ・ナイト・ライブで音楽監督をしていた事実が意外で、「できるのにやらなかった」人だったことが窺われる。
Victor Bailey
ベイリーは全く逆のタイプのベーシストである。彼が有名になったのは周知の通りウエザー・リポートでジャコの後釜に入ったからだ。ジャコと同様のサチュレートした音色と、音の粒を離したマルカート奏法をブリッジ近くで弾き、ビハインド・ザ・ビートのグルーヴ感を強調するのが特徴で、ウエザー・リポートで何の違和感なくジャコの後釜に収まったのを思い起こす。しかしウエザー・リポートの1983年アルバム、『Procession』の最後に収録されている<Molasses Run>ではオン・トップ・オブ・ザ・ビートのドライブするウォーキング・ベースを披露する実力の持ち主だ。
そのベイリー、若干56歳で亡くなってしまった。彼の父親の死因でもある筋萎縮症だった。アメリカではALS (Amyotrophic lateral sclerosis) と呼ばれるこの病気(正確にはベイリーは別の筋萎縮症、Charcot-Marie-Tooth diseaseとの合併症であったが)に対する喚起がこの1、2年盛んに行われており、バケツに入れた氷水を頭からかぶる動画(Ice Bucket Challange)をソシアル・メディアにアップしてALSのリサーチのための資金を集める運動が大成功を収め、ニュース・キャスターや政治家や有名スポーツ選手などが驚くほどの数で参加した。今まで一般人が気が付かなかったこの病気への理解が急に高まったところで亡くなったベイリーが残念だ。あと数年したら盛んになり始めたこの病気の研究成果が現れているかもしれない。
ベイリーはアメリカの黒人音楽で最も重要な州の一つ、フィラデルフィアに生まれ育った。家族中がミュージシャンで、彼はドラマーとしてキャリアを始めた。バンドのベーシストが、子供であるベイリーにあれこれ演奏に注文をつけられることに怒り、出て行ったことをきっかけでベースを始めると、父親にベーシストとして続けろと言われたそうだ。ベーシストが出て行ったその場でドラムからベースに持ち替えることができたことからもわかるように、ベイリーは色々な楽器をこなす。マイルスがマーカス・ミラーに出会い、「これからのミュージシャンはマーカスのように全ての楽器をこなさなくてはいけない」と言っていたのをふと思い出す。そうそう、ベイリーの売りの一つである、彼の歌のうまさと、ベースソロに合わせて歌うスキャットの凄さも忘れてはいけない。
『Slippin’ ‘n’ Trippin’』
このStudio V Productionsというレーベルから2010年にリリースされているベイリーの最後のリーダー・アルバム、自主制作なのではないかと筆者は考えている。実際ミックスはやや稚拙で、120Hzあたりが部屋鳴りしていたり、シンセの4kHzあたりが耳障りだったり、という難がある。クレジットにはベイリー本人がミックスとあり、マスタリングのクレジットは見当たらない。そう考えると、このアルバムはベイリーが後世に残したかったものであった気がする。以前のジャコを思わせるサウンドはこれっぽっちもしないのは特筆すべきだ。
いい意味でフュージョンのアルバムだ。フージョンというジャンルの音楽という意味ではなく、いろいろなスタイルの音楽が混ざったアルバムだ。ベース奏者のリーダーアルバムというと、やりたいことや共演したいミュージシャンが盛りだくさんで、何がやりたいのか理解できないものが多い中、このアルバムは実に上手にプロデュースされている。オープニングの<Ape School>はハウスビートに乗せたクインシー・ジョーンズを思わせる音のレイヤーに、ベースの超絶技巧を効果的に見せびらかしている。ベイリーは超絶技巧を見せびらかしている時もベーシストとしての枠を外れず、ベースでギターのようなことをしようとはしないのがとても好ましい。実は筆者は六弦ベースが嫌いだ。ベイリーは五弦ベースで、下にB弦が足されているだけなので、ギターのようなことはしないのが嬉しい。
2曲目はタイトル曲の<Slippin’ ‘n’ Trippin’>で、これはなんとお洒落なシャッフルだ。しかしシャッフルなのにベースでスラップする時はストレートビートで、と凝っている。シャッフルなら3連を感じさせるラウンディッド・ビートのはずだ。このストレート・フィールとラウンディッド・フィールのトランジションも実に自然なのは、スネアのバックビートが変化なく続くからだ。十分にグルーヴを楽しませてくれる。
4曲目の<Countdown>でベイリーはコルトレーンのインプロをベースソロ+スキャットで披露するが、なんとアップライトベースがロン・カーターなのだ。だが、ロン・カーターのあの驚異的にドライブするオン・トップ・オブ・ザ・ビートが全く生かされていないのだ(?!)ドラムはベイリーと数多くコラボレートしてきたレニー・ホワイトだ。レニー・ホワイトとロン・カーターと言えば<Red Clay>だ。あのアルバムではロン・カーター、問題なくドライブしているし、レニー・ホワイトのライドシンバルもビハインドで気持ち良くグルーヴしているではないか。このアルバムでの<Countdown>、全くドライブ感がなく、どうしたことかと実際頭を抱えてしまった。アルバム全体を通してとても気持ち良く楽しめる中、この1曲だけ筆者は楽しめないでいる。
<Lucky Punch>
アルバム最後に収録されている、これまた不可解な題名の曲である。俗語で考えると<Lucky Punch>というのは同性愛の性行為の体位を示唆するが、ベイリーがゲイだったのかは筆者は知らないし、まさかそんな題名の曲を、とも思う。そういう意味でないのなら、例えば殴り合いの喧嘩で偶然相手をノックアウトできてしまった、という意味なのだろうか。いずれにせよ理解に苦しむ題名だ。
このトラック、ベイリーをウエザー・リポートに招いたベイリーの古くからの親友、オマー・ハキムがドラムだという以外は全てベイリーが自分で演奏している。ベイリーのキーボードは実に素晴らしい。レイドバックしてグルーヴするタッチにドキドキさせられる。曲のスタイルはラウンディッド・ファンク、つまりジャズのスイングするタイム感をチャック・ブラウンがバックビートに置き換えたゴーゴー系のファンクで、筆者のお気に入りのグルーヴだ。ジャズの3連フィールでグルーヴするヘッドのメロディーがベイリーのローズ系キーボードで始まると昇天しそうだ。
分析
筆者がこの曲を選んだ理由は、ベイリーにしてはかなり斬新なクリエイティビティーを秘めているからだ。ベイリーは前述の<Countdown>で示したようにトラディションを重んじる。彼のインプロのラインを見ると教科書に書いてあるようなフレーズが多い。そんな中この曲は聴いた途端におっ!と思わせるコード進行とメロディーラインなのである。コード進行自体は4小節フレーズを繰り返しているだけだが、進行自体が難解なのである。まずは4小節シーケンス7回目から始まる8小節のヘッドのメロディーをコード無しで見てみよう。
ダブルシャープがあって読みにくいかもしれないが、最初の4小節はメロディー自体D#マイナーから外れているのは3小節目3拍目最後のFダブルシャープ(ドミナントのトライトーンに聞こえる)だけであり、これは続くG#音に対する導音と考えてよいだろう。2小節目のダウンビートのB#はD#マイナーに対するドリアンの音で、後半でモーダルになるのを示唆しているのであろう。そして後半の4小節だ。まず最初のD#マイナーのコードをエオリアンからドリアンに移行し、それに続く2小節はフリーダム・ジャズ・ダンスを思わせるようなモーダルに、もっとコードに対して直下的なメロディーへと変貌し、最後の小節でトーナルに戻る。かなりお洒落だ。8小節フレーズできっちりと起承転結が構成されている。
では次にベイリーが弾いているシンセのヴォイシングを見てみよう。4小節の繰り返しだ。
内声に2度を多用し、ほとんどのコードがサスペンション、つまりあたかも3度抜きのサウンドになるようにしている。ベース音とメロディーを分析すると実はサスペンション・コードでないことがわかる。面白いのは4声の基本形から5声を投げたりしているが、3声の時は必ず増5度ヴォイシングにして音の厚みを減らして不安感を煽っている。天才的だ。
ヘッドのメロディーにコードを当ててみよう。ここでひとつ難問が持ち上がる。3小節目に現れるD#-7(13)だ。ヴォイシングから判断して、これはドリアンコードなのだが、メロディーはなんとエオリアンのB音だ。もちろんB音は経過音として扱われているので不協和音には聴こえないが、一体これは意図したことなのか摩訶不思議である。
このコード進行はかなり分析しにくい。表にしてみよう。4小節の繰り返しだが、繰り返した5小節目は1小節目のエオリアンと違ってドリアンだということを留意していただきたい。
小節番号 | コード名 | 使用スケール | 機能 | 説明 |
1 | D#-(Sus) | D#エオリアン | 一度マイナー | トニックコード |
1 | A7(13) | Aミクソリディアン#11 | 不明 | |
2 | C Maj 69 | Cリディアン | 不明 | |
2 | E7(#11) | Eミクソリディアン#11 | Sub V7 | 一度マイナーに対するドミナントの代理 |
3 | D#-7(13) | D#ドリアン | 一度マイナー | モーダルインターチェンジ |
3 | A7(#11) | Aミクソリディアン#11 | 不明 | |
4 | C#-11 | C#ドリアン | 不明 | |
4 | E Maj7(#11) | Eリディアン | ♭2度メジャー | モーダルインターチェンジの応用形 |
5 | D#-(Sus) | D#ドリアン | 一度マイナー | モーダルエクスチェンジ |
5 | 以下1小節目から同様 | 以下1小節目から同様 | 以下1小節目から同様 | 以下1小節目から同様 |
理論的に説明できない部分が多いのだが、ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック理論に影響を受けているようにも見える。詳しい説明は長くなるので避けるが、ラッセルが説いたTonal Gravity、つまり調性の重力と、ホリゾンタル・メロディーを導入しているのではないかと思う。ラッセルのこの理論はかなりサイコロジーを利用している部分があり、それに基づいて少し考えてみよう。これは重力に従ったコード進行、重力に逆らったコード進行、と今は認識して頂ければよいと思う。ただし、この分析を適用するにはミクソリディアン#11コードはドミナントとして扱えない。例えばA7(#11)コードはEメロディックマイナー上に存在する4度コードという認識だ。
では表にしてみよう。重力に対する正負は人間が自然に感じる音の進みに従っているか、または逆らっているかを表し、5度圏ステップ位置は前のコードからどれほど離れているかを表す。
コードの順番 | モード | 重力基音 | 重力に対する正負 | 5度圏ステップ位置 |
1 | D#エオリアン | F# | 出発点 | 起点 |
1 | Aミクソリディアン#11 | G | 正 | 5 |
2 | Cリディアン | G | 同 | 0 |
2 | Eミクソリディアン#11 | D | 負 | 1 |
3 | D#ドイアン | C# | 負 | 5 |
3 | Aミクソリディアン#11 | G | 正負 | 正反対位置 |
4 | C#ドリアン | B | 負 | 4 |
4 | Eリディアン | B | 同 | 0 |
5 | D#ドリアン | C# | 負 | 2 |
5 | Aミクソリディアン#11 | G | 正負 | 正反対位置 |
6 | ,以下1小節目から同様 | 以下1小節目から同様 | 以下1小節目から同様 | 以下1小節目から同様 |
実際にベイリーがラッセルの理論を使用したかは定かではないが、こういう分析も一興あるだろうと思う。ではこの奇抜だが思いっきりグルーヴする曲をYouTubeでお楽しみ頂こう。
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