#20 映画「戦場のピアニスト」(2002)〜外出自粛の中で
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
長引くCovid-19のパンデミック対策として不要不急の外出自粛が求められ、やむなく自宅籠城を強いられた市民が多かった。その多くはネット(とくにFacebook) を通じて仲間の安否を求め、さらには特定のテーマの下、リレーによって趣味の楽しみを共有し合った。思い出のレコード・ジャケットを共有し合ったり、マニアックなところでは書物のカバー・デザインを共有し合うリレーもあったようだ。誘われて僕が参加したのは、チャレンジ映画リレー。これは単にそれぞれが好きな映画を紹介し合うだけでなく、自粛で撮影や公開の中止が続く映画産業への支持表明もあったようだ。ひとりが7本の映画を順次紹介し、その都度1人の友人を新たに加えその友人がそれぞれ7本の映画を紹介、友人も加えていくというネットワークづくりの目的も果たしていた。キーワードをハッシュタグとして付け加えることによりその目的はさらに確実なものになっていく。この映画リレーで確認できたことは団塊の世代前後を中心として隠れ映画ファンが圧倒的に多いこと。名作・大作ファンから、ラヴストーリー・ファン、B級映画ファン、音楽映画ファンなど対象とするジャンルはじつにさまざま。なかにはアメリカ映画の男性俳優のコスチュームにマニアックな蘊蓄を傾けるファンもいて学生時代以来映画からほとんど遠ざかっている僕などあっけにとられるばかり。
何らかの形で自分が関わった映画を中心に基本の7本を紹介したあと、<番外編>として「戦場シリーズ」を始め、『戦場にかける橋』(1957)、『戦場のメリークリスマス』(1983) に続いて紹介したのが大作『戦場のピアニスト』(2002) だった。僕は、この長引くパンデミック下の生活をある種の戦時下の生活と捉えているので、耐乏生活の中で渇望する音楽との出会いという点でこの映画に平時以上に共鳴するところがあったのだ。先日、通りがかった池袋・芸術劇場前の広場から流れてくるジャズの音に耳が吸い寄せられ、思わず足を止め、さらにはナマの楽器をの音を求めて知らず知らずバンドに足が向いて行ったのだった。やはり、人間が生きていく上でナマの楽器の音、音楽は欠かすことができない絶対必要条件のひとつであることを確信した瞬間だった。便宜上、ホールやクラブから配信を通じて音楽が提供されているが、やはりナマで実演を耳にすることができる日を1日も早く実現させたいものである。
映画『戦場のピアニスト』(原題「The Pianist」2002)
監督:ロマン・ポランスキー
原作:ウワディスワフ・シュピルマン
主演:エイドリアン・ブロディ
製作:フランス/ドイツ/イギリス/ポーランド
受賞:カンヌ映画祭<パルムドール>
アカデミー賞<監督賞><脚色賞><主演男優賞>
実体験を綴ったウワディスワフ・シュピルマンの原作は終戦直後の1946年『ある都市の死』としてポーランドで出版されたがすぐ絶版処分となったまま復刊ならず、その後息子の手により半世紀ぶりに1998年に独訳版がドイツで、1999年に英訳版がイギリスで、2000年に邦訳がそれぞれ出版された。
ストーリーはシンプルで、実名で登場する原作者のユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンのナチスによる迫害と逃亡、ピアニストでもある敵国ドイツ人将校の手による奇跡の生還までを描く。2時間半の大作だが最初の2時間はナチスのポーランド侵攻とユダヤ人迫害の実態に費やされる。すでに充分見聞きした内容だが、父親は強制労働、身重の母親はアウシュビッツでドイツ人に虐殺、自らも「ユダヤ人狩り」を逃れて転々とした経験を持つロマン・ポランスキー監督(1933~)のユダヤ人としての歴史の証言、ナチス告発とみるべきだろう。物語が動き出すのは2時間を経過したあたりからだが、地獄絵の中で救われるのはやはり音楽の響き。逃亡中に友人の妹が弾くバッハの「無伴奏チェロ組曲」、ドイツ人将校が弾くベートーヴェンの「ピアノソナタ月光」、そして、何よりもクライマックスのシュピルマンがドイツ人将校に聴かせるショパンの「バラード第1番」。数年にわたる逃亡生活でピアノに触れることのできなかった主人公のピアノへの想いが一気に溢れ出て敵国将校を感動させる。音楽が憎悪を超えて人間味を取り戻させるシーンで、鑑賞者の胸を詰まらせる。