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~No. 201ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥

ある音楽プロデューサーの軌跡 #3「インスピレーション&パワー14〜フリージャズ大祭 1」

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

[宣言文]
今、アートシアター新宿文花劇場で十四夜にわたるフリージャズ大祭が開かれようとしている。題して「インスピレーション&パワー14」。
それは、魂の叫びと意識のスピードが織り成す音空間であり、音を創る者と聴く者との交感が創出する新しい地平への展望となるだろう。
ジャズは、沈滞した文化状況の中にある<今日>を超え、<明日>を内視する契機を提出しようとしている。
この大祭は、ジャズにとっても新しい時代の幕あけなのである。
プロデューサー 副島輝人 / 二見 暁

 

1973年(昭和43年)。パリでベトナム和平協定が調印される一方で、第4次中東戦争が勃発、第1次オイルショックが記された年だ。
ジャズ界では、67年のジョン・コルトレーンの死を受け、精神的桎梏(しっこく)から解き放たれたミュージシャンたちには、『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチェス・ブリュー』(共にマイルス・デイヴィス/1969)、『ウェザー・レポート』(ジョー・ザヴィヌル/1971)、『リターン・トゥ・フォーエヴァー』(チック・コリア/1972)のようにジャズの領域外からイディオムを獲得し、表現の幅を広げていく者が多かった。しかし、一方では、オーネット・コールマンにその源を発する、いわゆる<ロフト・ジャズ>派の面々は、あくまで伝統的なジャズのフィールドの中で表現や意識の革命に身を砕いていた。
日本ではこの年、多くのミュージシャンが海外に雄飛した。エルヴィン・ジョーンズとの共演のために渡米した菊地雅章、渡辺貞夫はカルテットを率い『モントルー・ジャズ・フェスティバル』に出演、日野皓正はクインテットでヨーロッパ各地を歴訪、シカゴAACM(創造的ミュージシャンの進歩のための協会)を後にした豊住芳三郎はパリに飛び、留学中の加古隆とグループ「エマージェンシー」を結成した。
このような時代背景を得て敢行されたのが、我が国初のフリー・ジャズ・フェスティバル『インスピレーション&パワー14』であった。それはまさに「敢行」と呼ばれるに相応しい画期的なイベントであった。1968年から5年間にわたって<ニュージャズ・ホール>、<プルチネラ>をホームグラウンドに日本のフリー・ジャズをプロデュースしてきた副島輝人(1931年生まれ)が満を持してその成果を世に問うべくついに立ち上がることになる。過激派学生運動から映画・演劇界に身を投じた二見暁(1941年生まれ)が共同プロデューサー役を買ってでた。
会場は、葛井欣四郎の経営する伊勢丹脇<アートシアター新宿文化劇場>。当時、新宿アートシアターは、ATG<アートシアターギルド>の制作する映画の上映とともに、若き蜷川幸雄の前衛劇や土方巽の暗黒舞踏などに場を提供するいわば実験的アートの情報発信基地として機能していた。
夜間9時に映画の上映がはねたあと、30分の仕込みを経て9時30分の開演。14日間の連日興業。一日に10時間近い連続演奏を行うジャズ・フェスティバルは存在していたものの2週間にわたる長期フェスティバルはジャズ史上空前の試みであった。 イラストレータの黒田征太郎が総合ポスターに加え、14種の日替わりポスターを制作、西武デパートでポスター展を開催、連帯した。コンサートの入場料は前売700円、当日900円。
集客と確実なメッセージの伝達を期して6月15日付で機関誌が発刊されている。巻頭を飾るのは詩人・清水俊彦の「創造的なヴァイブレーションを求めて」。同じく、詩人・八木忠栄の「新宿を危険でいっぱいにする」、北沢方邦の「ニュージャズに期待する」が続く。映画俳優の殿山泰司は「ニュー・ジャズ讃」を、詩人の白石かずこは「ニュー・ジャズの恋人たち」を寄稿した。
このフェスティバルには所期の目的通り「日本のアヴァンギャルディストの大半が結集」し、まさに「70年代における《創造的であること》の何たるかを、その多様性と異質性において明らかにする」(清水俊彦)ことになる。
趣旨に賛同して結集したアーティスト、グループを公演プログラムに沿って記すと以下の通りである:

6月27日(水)
前夜祭
演出:蒲生和臣
司会:秋山裕徳太子+清水あきえ
出演者:秋竜山/高信太郎/荒木経惟/青木宏之/佐藤重臣/山谷初男/女優EH/宝井琴時+宝井琴桜/ナウ・ミュージック・アンサンブル/高柳昌行/笠井紀美子
コルトレーン映画の上映

6月28日(木)
パーカッション・アンサンブル(ジョー水木/田中保積/佐藤康和/中村達也)

6月29日(金)
高木元輝+中村達也デュオ ゲス・マイ・ファインズ(中村誠一/山本剛/福井五十雄/小原哲次郎)

6月30日(土)
宮間利之とニューハード・オーケストラ

7月2日(月)
タージマハール旅行団

7月3日(火)
吉沢元治ベース・ソロ 江夏健二+角張和敏デュオ

7月4日(水)
詩とジャズ(詩:諏訪優/白石かずこ/吉増剛造 JAZZ:今田勝/沖至/藤川義明+翠川敬基デュオ)

7月5日(木)
沖至四重奏団/宇梶昌二ブラス・アンサンブル

7月6日(金)
ナウ・ミュージック・アンサンブル 秋山裕徳太子(特別参加)

7月7日(土)
冨樫雅彦+佐藤允彦デュオ

7月9日(月)
高柳昌行=ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ

7月10日(火)
コンポーザーズ・オーケストラ

7月11日(水)
佐藤允彦<がらん堂>

7月12日(木)
山下洋輔トリオ

幸いにも、ヨーロッパ楽旅中の豊住芳三郎と入院加療中の阿部薫を除いて主要なアーティストは全員参加した。この時点で加古隆は未だパリ・コンセルバトワールに留学中であった。

ところで、1973 年という年は、われわれ旧トリオレコードにとって画期的な年であった。すなわち、シカゴのデルマーク(前衛)、ロンドンのブラックライオン(主流)、ミュンヘンのECM(コンテンポラリー)とそれぞれ個性的なレーベレと契約、TJM(トリオ・ジャズ・マニア)と称するディーラー組織を通じて定期発売を開始したのだった。TJM特約店は全国で約150店。トリオの全ジャズ・カタログを常備してもらう代わりに、広告宣伝や販売促進を通じて契約店を強力にセールス・サポートするというシステムを構築した。
大学を卒業後4年間のドイツ商社勤務を終えた私は、1968 年、レコード事業を開始したステレオ御三家の一社、トリオ株式会社音楽事業部(のち、レコドード事業。通称トリオレコード)に入社。文芸課で海外レーベルと契約交渉をするうち、編成・制作も兼務するようになった。ザルツブルグで指揮者・井上道義のデビュー・レコーディングに立ち会ったものの、ディレクター経験は皆無だった私が最初に手掛けたけることになったのが、セシル・テイラー・ユニットのライブ・レコーディングだった(『アキサキラ』TRIO PA-3004/5)。1973年5月のことだった。6月、スタン・ゲッツ・カルテットで来日したデイブ・ホランド(b)とジャック・ディジョネット(ds)のデュオ・レコーディング(『タイム&スペース』 TRIO PA-7012)に続く企画が、この[フリージャズ大祭]であったのだ。

『インスピレーション&パワー14』収録にあたって主催者側と合意したのは、全14日間を完全に録音すること。その中から8アーティスト/グループをピックアップ、2枚組のアルバムとして発売することであった。

録音は全編AMPEXの4トラック・デッキを使ってハウス・エンジニアの荒井邦夫が担当。アシスタントは斉藤忠志。ディレクターは私とその後数々のプロジェクトでコンビを組むことになる原田和男。記録用のスチル写真は営業部のセミプロ・カメラマン石井隆が出動するなど、全社を挙げての収録体制となった。
(この項続く/『Out There』創刊号から改稿転載)


*初出:JazzTokyo #7   (2004.10.04)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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