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小野健彦の Live after LiveNo. 276

小野健彦の Live after Live #138-#143

text & photos by Takehiko Ono 小野健彦

#138 3月21日(日)
鎌倉 Jazz Club Daphne
https://www.jazz-daphne.jp/

鈴木良雄(b) 増尾好秋(g)

そして幕は上がった。今宵遂に私の2021年のライブの現場巡りがスタートした。
朝から続いた強い雨風に支配された天も夕方には奇跡的にその静けさをやや取り戻したため、意を決して向かった記念すべき今夜のライブの現場は鎌倉 Daphne。
コロナ禍に立ち向かうべく2月に行われたクラウドファウンディングも、多くのファンのご支援によりスタッフの事前予想を大幅に上回る24時間以内での目標金額達成となり、ここ湘南のジャズの老舗の灯が消えなかったことは、誠に朗報であった。このお店、その料理が美味いことでも知られるが、それもその筈、今はなき鎌倉の名店 KIBIYAレストランのレシピを受け継いでおり、生地に拘ったピッツァなどに美味い酒を合わせながらご機嫌な音に身を任せられるという鑑賞スタイルとなっている。
かく言う私も、1992年会社生活の初任地がここ湘南にあったことから、旧 KIBIYA さんには当時の諸先輩方に何度も連れて行って頂いたというご縁もあり、このハコを訪れその味に舌が触れると、途端に当時を思い出しノスタルジーに浸ってしまうという部分もある。

当夜のステージは、このコロナ禍で長く帰米断念を余儀なくさせられているギターの増尾好秋氏と、本日3/21に目出度く75歳の誕生日を迎えられたベースの鈴木’チン’良雄氏の同窓生コンビ。この「同窓生」の意味するところは、多くの方がご存知だと思うが、早稲田大学モダン・ジャズ研究会において、当時は主にピアノでジャズを弾き始めていたチンさんの一年後輩として増尾さんが入部して来られた時にまで遡り(お二人の初共演の際チンさんが弾いたのはベースだったとのこと)その後は、ご両人共にプロ入りし渡辺貞夫氏のカルテットで、国内のジャズクラブから、遠くは、スイス・モントルー等迄の旅を通して同じ釜のメシを食べた仲であることから、その交流の道程は既に半世紀を超える訳である。

そんなお互いを十二分に知り尽くした盟友同士のDUOであるが、そこは熟達者同士、徒に馴れ合いダレる瞬間は皆無であり、常に相手の出方を慎重に測りつつ、自らは持てる技量の全てを曝け出して、時に相手から驚きの表情をも誘いだしながら対峙して行くその様は、こちら聴き人におおいなるスリルを味わわせてくれた。ジャズが「心から信頼し合える表現者同士が、決して守りの姿勢に陥ることなく魂を込めて紡ぎ合う会話の応酬である」とするならば、当夜のおふたりのパフォーマンスは、その最良形であると感心した。

招かれざる隣人との付き合いが未だ当分続きそうな四囲の状況下にあって、久しぶりに訪れた心身の解放のひとときであった。

#139 3月22日(月)
西荻窪 音や金時
http://www2.unetsurf.ne.jp/~otokin/kokogaotokin.html

石橋 幸 (vo) 石塚俊明 (ds) 黒田京子 (p) 翠川敬基 (cello)

昨夜に続いてのまさにLA L。今宵のライブの現場は、愛しの街・西荻窪。

JR駅北口に降り立ち、真っ直ぐ正面の小道ではなく、右方面を目指して杖をひと突きし一歩足を踏み出す。そう、この感じ。中央線の駅からライブのハコに向かうこの忘れじの感覚。頬にあたる夜風に混じる細かい春雨もなんとも心地良い。そんな感傷に耽りつつ向かった今夜のライブの現場は、その美味なる各種ネパール料理〈現在はお休み中〉とオーナー慧眼のブッキングによる多彩なジャンル(所謂民俗音楽や異種格闘技戦等連夜盛り沢山)の企画でもお馴染みの音や金時。

いつものようにマスターに介助頂きながらその急な階段を降りて行く。
扉を開けると、2018年、沖至氏と最初のご縁を頂いて以来親しく伺うことになった少しヒンヤリとしていながら、それでいて演者と聴き人をしっくりと包み込んでくれる少し暗めの空間が今宵もそこに在った。

当夜登場のユニットは、音金ママ書によるあの味わい深きスケジュール表 (店㏋音金通信) にて毎月出演の有無をチェックしながらもなかなかタイミング合わずにて、これまでついぞ出会うことが叶わなかった念願の面々。そう、題して「ロシアのうた」。
リーダーは新宿ゴールデン街の酒場「ガルガンチュア」のオーナーでもある、通称「たんこ」さんこと歌唄いの石橋幸〈みゆき〉氏。そのたんこさんを支える面々がこれまた強者揃い。
以下50音順に、ドラムは「頭脳警察」「原田依幸グループ」、また友川カズキ氏・三上寛氏らとの活動でも知られる石塚俊明氏、キーボードは黒田京子氏、チェロが翠川敬基氏というカルテット編成。(尚、定例メンバーのバイオリン・向島ゆり子氏は残念ながら今宵はご欠席。)
私は、いざこのユニットとご対面出来るという段になって、改めてたんこさんの〈友よ祈りを〉盤のCD帯に寄せた作家・中上健次氏の言葉に目を落とした。氏曰く「石橋幸は、ロシアの歌をロシア語で歌いあまりに深くロシアの人と土地に共振れする」と。
正直言って、少し怯んだ。
そのひとときを無心になって唯受け止めれば良いだけと分かってはいるが、私とロシア〈特にその生活感〉を結びつけるものが、あまりに少なかったからだ。
ショスタコーヴィッチの楽曲は交響曲を中心にある程度聴いていることに加えてチェーホフの戯曲・舞台には数回接しているが、ドストエフスキーもトルストイもましてやツルゲーネフなど、全く通過したことはなく、家のどこを探してもマトリョーシカのひとつも見つけることも出来やしない。そんな希薄なロシアとの関わり合いの中で敢えて一番の思い出と言えば、祖母がその二代目オーナーの奥様とご縁があったことから度々訪れることとなったかつては渋谷にあったロシア料理店・ロゴスキーで食した料理。それらは、おこちゃまだった私にはなかなか馴染めなかったセリョートカ〈鰊の酢漬け〉や、こちらはお気に召した揚げたてのピロシキの味くらいのものだった。
そんなことをつらつらと思いだしながら幕開きを待った。

果たして、幕開きと共に4人の表現者の紡ぎ出した音の塊は、私を完全に圧倒した。
コトノハがヒタヒタと床を這い、オトノナガレが壁を、天井を乱反射しつつググッとと伝わりながら空間全体と我々聴き人の心身を徐々に満たして行く。私も無心になったが、その幸せなひとときを共有したおひとりおひとり〈それは演者ご自身達も同様だったとお察しする〉が無心になっているように感じられたそんな圧倒的な2時間のステージだった。春に、鳥に、娘に、兵士に、恋に、とバラエティに富んだ事物を題に採った印象深い楽曲の数々。それらが醸し出す迫力と凄味がもしかするとたんこさんの生き様を借りたロシアに生きた市井の人々等の憑依の成せる技であるのかは、ほんの一度の出逢ひでは、当然到底掴みようもない。故に是非、また足を運びたいと強く思わせてくれるユニットとの得難いご縁を頂けた心持ちだ。きな臭さを内包する都会の片隅の地下空間の夜の帳に咲いたささやかながらも麗しき抒情。堪能させて頂きました。

#140 3月23日(火)
合羽橋・jazz & gallery なってるハウス
http://www.knuttelhouse.com/

Ludus Tonalis:小森慶子 (reeds) 清水一登 (p,kybd) 小林武文 (perc)

感染対策ゆめゆめ怠らず自らも感染第4波の根源にならぬよう慎重な行動を心掛けながら快調に続くLA L。今宵のライブの現場は合羽橋・なってるハウス。
この思い入れ深きライブのハコ訪問も、昨年8/1の「オマツとマサル氏」〈松倉如子&渡辺勝〉以来だから、約7ヶ月半・実に235日ぶりであり、まさに、念願の帰還の心持ち。
新店長・横山さん〈通称横チン〉との再会もなんとも嬉しい限り。

そんな今宵のステージに登場したのは、グループとしては‘なってる’初登場の「Ludus Tonalis」。マルチリード奏者・小森慶子氏がリーダーをつとめるスリーピース・ユニットだ。
今宵は、クラリネット、ソプラノサックス、バスクラリネットを、曲の「根」に合わせながら彩り豊かに吹き分けた慶子さんの脇を固めるのは、ピアノ・キーボードの清水一登氏とパーカッションの小林武文氏。
「 Ludus Tonalis」〈ルードゥス・トナリス〉は独のピアニスト パウル・ヒンデミットのピアノ曲に同名のタイトルがあるが、慶子さんにそのユニット名の由来をお聞きすると、さにあらず。「音で遊ぶ」という言葉を探している中でこの羅語に巡り合い、採用したとのこと。
ライブに臨むに際して、私の事前の予想では、策士御三方が大事に育んでいるユニットだけに、含蓄のある思索に富んだ文系路線か?はたまた、収斂と解体に支配された微分・積分の公式を駆使するが如くの理系路線か?を思い浮かべていたが、それは開演冒頭からアッサリと覆された。それは遊ぶというより戯(たわ)ぶるといったほうがお似合いの変幻自在なリズムに支配された肉感溢れる体育会系路線の趣き。卓越した音楽観をお持ちの三人の大人達が飛び跳ね回る夜の校庭を覗き見した、そんな感を強くしながら帰宅の途についた。

#141 3月25日(木)
茅ヶ崎 Jam in the box
https://ameblo.jp/jazz-g/

小林洋子 (p) 加藤真一 (b) 角田 健 (ds) 多田誠司 (as/ss/fl)

今週日曜〜火曜と続き1日の休息を経て再び滑り出したLAL。
今宵は、河岸を自宅近場に戻し隣駅の茅ヶ崎へと向かう。
今夜のライブの現場は、JAM IN THE BOX。
そう、あちらはオープンから約2年半の時を経て今や湘南の雄とも言えるハコになった感のある「ストリービル」@茅ヶ崎南口を経営する菅原一則氏の本業である税理士事務所3Fにある多目的スペースだ。

そのステージに登場したのは、ご当地初お目見えとなるピアニスト小林洋子氏率いるTEAM TUCKSの面々。洋子さん曰く「このコロナ騒動が起きなければ、恐らく誕生しなかったであろう」旧い友達を召集して渾身のペンをふるうユニットだ。その面子が如何にも曲者揃い。即ち(p)小林洋子氏(b)加藤真一氏(ds)角田健氏という、安定感と機知に富むリズム・セクションが描く無垢な軌道に各種木管楽器(as/ss/fl) の多田誠司氏が巧みに絡み微妙な陰影をつけて行くというもの。

閑話休題

今宵は、複数の「ご縁」が交わった得難い夜でもあった。
まず、フライヤーを見るとそこには、「悠々として急げ」のタイトルが。このフレーズは、言わずと知れた作家・開高健氏が「河は眠らない」の中でいった言葉であるが、洋子さんにとっては、2018年・海の日にシーンへ本格復帰以降、ドラマー・池長一美氏と共に現在も慈しみ育んでいるDUOチームT T T〈 The Third Tribe〉をその活動の主軸に置きつつも将来を見据え、自らに課す更なる革新のステップとして 確か2019年秋頃、丁度ソロピアノ録音の構想を発意した時分に出会い(以降も折りに触れ)、背中を押してくれる金言となったようだ。

「ご縁その①」開高健氏が’74から亡くなる迄その活動の拠点にされたのが今夜のハコからは東の方向に向い程なくの場所に位置する茅ヶ崎市東海岸南の地。(尚、その旧邸宅は、現在は茅ヶ崎市開高健記念館として一般解放されている。)

今宵、自らの人生訓とも言える格言を言い放った表現者の暮らした同じ土地の風を受け自らも表現活動を繰り広げた洋子さんの心境は如何ばかりだったか!
さて、話を前に進めよう。
私には有難い手摺りを頼りに急な階段を登り当夜のハコに足を踏み入れる。ここでいつも先ず目を引き寄せられるのは、スペース奥に鎮座ましますグランドピアノ。
これが単なるグランドピアノかと思うとそうは問屋が卸さない。その正体は、なんとかの銘器・ハンブルグ・スタインウェイ(B-211)なのだから驚いてしまう。

「ご縁その②」洋子さんのお師匠さんは’17/2に惜しまれつつ逝去された辛島文雄氏。実はその辛島師も晩年このハコをいたく愛されたのだが、(私も何度かお逢いし、親しく接して頂いたが。何を隠そう、私が日本人のジャズに最初に触れたのが、旧ピットインにおける辛島3+L.コリエルのレコ発(当日のギターは渡辺香津美氏)の’83=私が14歳の時だったため、その辛島氏とのご対面は感慨もひとしおだった。更に、洋子さんと過日会話をしていて、彼女もそのレコ発の場にいらしていたのを聞いてこれまたびっくりもしたのだが...)今宵ピアノの椅子に座り眼前に広がる同じ景色をみながら師と時空を超えてご対面した洋子さんの心境は如何ばかりだったか!

おっと、イントロが随分と長くなってしまったが、肝心の当夜のステージである。
昨年11月に本八幡を船出し、同月に新宿を経由したこのチームがこのオリジナル・メンバーにてリアルのライブの現場に集結するのは当夜がなんとまだ三回目。私は、幸運にもその船出のステージに立ち会うことが出来たが、その日に感じた想いを踏まえて尚、いずれも各メンバーの自由に遊べる余白を十分に確保しながらのしっかりとした構成を持つ洋子さんが仕込んだ楽曲達(今夜は前・後半4曲ずつ)の趣意をメンバー各人が十分に咀嚼しつつ互いとのバランスを瞬時慎重に見極める中に生じる〈ゆらぎ・にじみ・ぼかし〉などのコントラストとダイナミクスの振れ幅が(この僅か数ヶ月の短期間の中でも)より一層鮮烈に印象的な形で発露・顕在化して来るのを驚きを持って感じとることが出来た。アレンジの妙の観点から言えば、各人のソロパートは其々に聞き応えのあるものだったが、アンサンブルパートにおいても、まさにそれが前述のソロの集合体として蠢めくような仕掛けが施されているところが改めてこのユニットのおおいなる魅力だと痛感した。

最後に、
「ご縁その③」洋子さんのFacebook上にて、ライブ告知として直前に飛び込んで来たニュースから。
当夜は、発売以来アマゾンでの在庫切れを繰り返すこと数回、さらには、先頃ジャズ批評誌ジャズオーディオ・ディスク大賞2020ジャケット賞も受賞し、目下大好評を得ている自身初のソロ・アルバム『Beyond The Forest』のスタッフ(謂わば「小林組)のレコーディング・エンジニア五島昭彦氏が別件にて神戸より上京された合間を縫い現場に駆けつけヘッドフォンを装けるという好機も得た。今日は配信などは無かったが、洋子さんの言葉を借りれば、「先々、素晴らしい音で御披露目できるかも、かも。」ということであったので、期待を持って待ちたいと思う。
今宵、共演者に加えスタッフにと、安心してその身を委ねられる協働者を得た洋子さんの心境は如何ばかりだったか!

さて以上、私も諸々重い溢れて、極めてまとまりの無い長文になってしまったが、今宵も 聴き人の感情の襞に寄り添い、人生の機微を鮮やかに掬いとりつつその音創りに投影しながら進む統率力に溢れたバンマスの手際の良い仕事振りが冴えた清々しいステージだったと言える。
四囲の世情を反映してか、やや静かな客席ではあったが、浮足だった熱狂に居心地の悪さを感じてしまう性質の私にとっては、極めて快適に音楽に集中出来たひとときだった。

トリオ→デュオ→ソロとその編成を柔軟に変えながらも、自己革新を続ける小林洋子氏の活動にはやはり依然目が離せそうにない。

#142 3月27日(土)
町田  Jazz Coffee & Whisky Nica’s
http://nicas.html.xdomain.jp/

鈴木央紹 (ts) 北島佳乃子 (p) 金森もとい (b) 海野〈うみの〉俊輔 (ds)

今宵は、これまた愛すべきライブの現場・町田ニカズへ。

こちらは、昨年11/8の清水くるみ3以来4ヶ月半・約140日振りの帰還となった。いつもの様に、ご機嫌な音との出会いにはやる気持ちを抑えながら、3F迄の急な階段を昇って行く。ドアを開けると、名物マスターの懐かしき笑顔が迎えてくれるのも嬉しい限りだ。このニカズ、ご本人の言葉を借りれば、「ここに住みついて早や6年」の名ピアニスト元岡一英マスターの慧眼により、既成ユニットからここでしか見られない組み合わせ迄を体感出来るところにその真骨頂があり。度々足が向かう訳である。

そんな今夜のステージは、現在47歳まさに脂の乗りきった感のあるテナーマン・鈴木央紹〈ひさつぐ〉氏をリーダーに据えたセッション。脇を固めるのは、これまた皆既にシーンを支える中堅どころとなっている実力派達 即ち(P)北島佳乃子氏(B)金森もとい氏(DS)海野〈うみの〉俊輔氏らの面々である。

ここでいささか話が逸れるが、

思い起こせば、私とリーダー鈴木氏との出逢いは、約17年程前迄遡る。当時会社から大阪異動の辞令を受け、東京のジャズシーンと別れた寂しさを胸に抱き、単身赴任先・大阪野江の社宅で、SJ誌やJL誌の巻末に掲載されていたジャズスポットのスケジュール表を眺めていて、当時既にenjaレーベルにおけるE.ジョーンズ氏との共演で見覚えのあったピアニスト田中武久氏がオーナーの道頓堀〈セント・ジェームス〉の欄に的を絞り、その中で私の大好きなテナーサックスが入る夜を目掛けて行ったのが最初だった。

さて、話を前に進めよう。

‘セッション’にはリスクが付き纏う。その場限りの手合わせ故に、そつなくこなして、はいお終い的なことにもなりかねないし、一方で思わぬハプニングが起きる余地も多分に残されている訳で、その意味で、私のライブ前の期待は、リーダーが如何にリズムセクションを使いこなし、お行儀の良い流れに持ち込まないか、また、一方でリズムセクション側はリーダーをどう追いこんで行くか、にあった。

果たして、上記のそんな私の浅はかな心配は杞憂に終わった。冒頭のMCで鈴木氏から、今夜演奏する曲は、10分くらい前に茶々っと決めました、のコメントがあったが、その後繰り広げられた充実のステージから私はこのリーダーの卓越したステージ構成力を見せつけられることになる。

1stセットは、J. ヘンダーソンの〈serenity〉でスタートした。テンポはミディアムながら、リーダーがテナーに吹き込む息のスピードは、極めて力強く速い。その勢いを意気に感じてか、リズムセクションの三人も重心を低くしフロントのリーダーに勢いをつけるべく丁寧なサポートに徹して行く。続いて、少しテンポを少し落とした〈come rain or come shine〉が流れて来た。ここまで来て、私はなんとなくリーダーの今宵の狙いが見えた気がした。今宵は「テンポの追究」なのではないかと。3曲目はバラードで〈sophisticated lady〉が登場した。深い!メンバーが皆心地良いタイム感を共有しているのがこちら聴き人にもびんびんと伝わって来る。そうして次は、やや意表を突いて、アップテンポでのB. パウエルの〈hallucinations〉が飛び出して来た。もう、この頃になると、リズムセクションは十分に温まり切っており、塊となってリーダーを鼓舞しにかかる。それを受けて、如何にも太く逞しい豪放なトーンでテナーを吹き切ったところでこのステージが終了した。

引き続く時短営業の終了時刻を考慮しての短めのブレイクを取った後の2ndセットは、爽やかなスローボッサ調の〈only trust your heart〉を皮切りに、アップテンポの〈ornithology〉と続けて、更にバラードの〈if you could see me now〉で場を鎮めた後、本編最終曲の〈withcraft〉をミディアムテンポでご機嫌に仕立て上げた。ステージ全般を通してこの夜のリーダーは、自らの意図を見事に汲みとり快適な土台を築いてくれた機動性に富むリズムセクションに囲まれて、終始気持ち良さそうだった。そんな姿を見続けさせて貰えて、こちら聴き人も清々しい気分になれた’セッション’だった。しかしこれでドラマが終わらないのがジャズの現場なのかもしれない。万雷のアンコールに対して、リーダーから発っせられた一言に文字通り満場がどよめいた。「今夜は、会場にピアニストの海野雅威〈うんのただたか〉君が来てくれているので、ステージにお呼びしましょう!」と。ご存知、昨年9/末にNY地下鉄構内でアジア系に対するヘイトクライムとみられる暴行に見舞われ重症を負うも、手術後のご自身の懸命な御努力と世界中の仲間からの支援の呼びかけなども手伝って奇跡の復活に向かっている不屈の表現者である。その雅威さん、なんと幼少期から元岡師にピアノの手ほどきを受けたといい、リーダーとは、今はなき高田馬場・ホットハウスにて度々duoもされたとのこと。そうした得難きご縁も下敷きにしつつ、〈willow weep for me〉をカルテット編成の中でブルージーにかつソウルフルに極めて熱く雄大なスケールの語り口で弾き切ったところで、今宵のステージは大円団となった。

#143 3月28日(日)
合羽橋・jazz & gallery なってるハウス
http://www.knuttelhouse.com/

山崎比呂志 (ds) 広瀬淳二 (ts) 大友良英 (g) 

先週の日曜日3/21から久しぶりに本格復活したLALも今日で8日目。
今宵、私のライブの現場は、先週火曜日に続いての合羽橋・なってるハウス。

今宵は、私にとっては、1年間待ちに待ち焦がれた待望の夜。ドラマー山崎比呂志氏が昨年3/28に傘寿を迎えられる記念にと、同所で3/27-28の2days公演が企画されたが、コロナ禍影響であえなく延期になった第一目のメンバーによるリベンジセット。即ち(TS)広瀬淳二 (G)大友良英 (DS)山崎比呂志のトリオである。

さてここで、当夜のライブ・レポに入る前に、あるサイドストーリーから開陳させて頂こうと思う。力みが入り少し長めになること必至だが、ライブ・レポへのイントロとして御容赦頂きお付き合い頂ければ幸甚である。

私と山﨑さんのお付き合いは、’18/12末の新宿ピットイン公演(w/大友良英氏+千葉広樹氏)にまで遡るが、その後の極めて濃密な交流を通して、山崎さんは、今や私にとっては、ジャズ界の愛すべきオヤジのような存在になっている。そんな関係からか、特にこのコロナ禍になってからは、まるでオヤジの生存確認をするが如く、毎週末に電話での互いの近況報告が続き、加えて、その他の情報のやり取りはLINEでというのが日常になっている。そんなLINEの中に、昨年11月頃から、バスドラムヘッドに描かれた龍の絵が頻繁に含まれる様になって来た。その筆致の鮮やかさに驚愕し、山崎さんに経緯をお聞きすると、それはとある夜、瑞江夫人と散歩をしていて、自宅から程近い鹿島神宮の杜の上に突如現れた龍神様(龍神雲)におおいに触発されて描き始めたのだという。その後送付されて来る作品のいずれもが「自らが龍神様の御加護の下に生きている」という山崎さんの精神性を圧倒的な筆致で表現したものと感じられ、それらを拝見し続けるにつけ、これはより多くの方にご欄頂きたいと思ったのが、このサイドストーリーの発端だった。そう思った私は、僭越ながら、にわか舞台監督よろしく、渋る山崎さんを説得し続け、一方では、なってるハウスの横山新店長に最大限のご協力を要請し、結果的に、当夜の舞台背景が実現したという訳である。(詳細は添付写真をご覧下さい。)

さて、いよいよ肝心のライブである。

定刻19時に開始された1st.ステージ。それはまるで太古の記憶を手繰り寄せているかのような抑制の効いた思索からスタートした。その後DNAの螺旋を辿るように徐々に速度を上げて行く3人。そうして約15分が経った頃、山崎氏が竹風鈴をまるで神儀のように高々とあげながらかき鳴らした途端に、大きく潮目が変わり、未踏の地に向けた三者一丸となった疾走が始まった。そしてその疾風がひと段落したところで、山崎氏がシンバルとスネアを打ち鳴らし、一転タムで場をなだめ銅羅を一撃したところでこのセットは終了。第一のドラマの所要時間は30分。

続く2ndステージは、まるで銀河系のどこからか地球を俯瞰しているかのよう。大友氏の音叉の様なU字金属を効果的に使ってのストロークに導かれて、場が自転を開始する。その後は、三者各々が彗星となって銀河系の億光年を散り散りに旅しマトリクスの美を求めて突き進む。約20分が経った頃、ここでも山崎氏の竹風鈴が今度は銅羅に激しく擦りつけられたのを受けて、各々は、収斂に向け方向を変えて行く。その鋭さは維持しつつも徐々にその勢いを鎮めたところで本日の道行が終わりを告げた。

第二のドラマの所要時間は35分。

その予定調和に決して安住しない厳しさを常に持ちながら世代を超えて響き合う三人が刹那に織り成したタペストリーからは、職人気性を貫き通す男達の鮮烈かつ清々しいロマンとエレガンスが色濃く見てとれた。

しかし、引き続き時短営業が続く中での祝祭の夜が無事にフィナーレへ向かっている時、その背後の龍神様達が蠢いていたのに気づいた方は恐らく少なかったに違いない。

 

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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