小野健彦のLive after Live #288~#299
text & photos by Takehiko Ono 小野健彦
#288 11月3日(木)
高田馬場 Blues & Jazz GATE ONE
https://jazzgateone.com/
村上寛カルテット:古谷淳 (p) 吉田豊 (b) 森田修史 (ts) + 梶原まり子 (vo)
高田馬場 GATE ONEにて、村上寛氏(DS)のカルテット+梶原まり子氏(VO)〈同店オーナー〉を聴いた。
ピアノの椅子に座るは、私自身お初となる(聞けば寛さんも今宵が初共演となった)逸材の誉れも高き現在は甲府在の古谷淳氏。続いて、ベースを抱くは寛さん久々の秋のツアーにも同行するなどかねてからその信頼も厚い吉田豊氏。更にフロントには、’12から長野県下伊那郡阿智村在にて(同地では特産の茗荷を肥料・農薬不使用にて自然栽培する「森田自然農園」を運営する横顔も持つ)私自身’18/3末以来の再会となった森田修史氏(TS)が迎えられ、そこにまり子さんも加わるという豪華編成が実現したなんとも楽しみな展開。
果たして、19時過ぎにスタートし、ハード・ドライヴィングな〈invitation〉と、続けて比較的緩やかな I.リンス作〈comecar de novo〉を冒頭に据えた後、森田・村上・吉田各人のオリジナルを連ねた1stセット。その後短めのブレイクの後再びハード・ドライヴィングな〈i hear a rhapsody〉と、続けて落ち着きのあるJ.ヘンダーソン作〈black narcissus〉を経由して、森田氏オリジナルのバラード〈アサギマダラ〉にて場を鎮めた後お待ちかねのまり子さんを迎え、おおいに聴き応えのあるスタンダード全4曲(〈there’ll be another you〉→〈teach me tonight〉→〈tis autumn〉→ tha’t all〉)が供された2ndセット。それら約2時間のステージを緩急自在に快走した先ずはカルテットについて、そこでは4人が文字通り一糸乱れぬ一丸となり圧倒的な迄のストレートアヘッドなジャズの醍醐味を発露する音の軌跡を描いて見せてくれた。古谷氏の終始思慮深い中に強靭さと繊細さが同居するタッチとパッセージは場に鮮やかな煌めきを差し、吉田氏の常にメンバー全員の動きを視野に入れた堅実な音運びはメンバー各人に波及する効果的な余白を生み出してサウンド全体に随意な流れを持たせるのに大きな役目を果たしていた。そんなピアノとベースの動きに対して如何にもしなやかに緊張感溢れたテンポを送り出しつつ盤石なピアノ・トリオの下地を固めた寛さんの仕事降りには改めて惚れ惚れとさせられた。そうして今宵はそんな体幹の強さを持つトリオの上を悠々と吹き込んで行く森田氏のテナーがこれまた聴きものだった。持ち味のセクシーな音色から生み出される一切の小細工無しの深く強い畝りがこのバンドが持つエレガンスのレベルを一層引き上げたという感が強かった。
そんなバンマスの鼓舞に十二分に応えながら活き活きとした音創りを見せたカルテットをバックにまり子さんの唄もおおいに弾けた。佳作の実相を捉え、その曲想をストレートにこちら聴き手に伝え得る解釈力と表現力の豊かさが今宵も抜群の冴えを見せて、そこでは声をまるで楽器のように扱っていると感じられる場面が何度も見られた。
今宵私の眼前で繰り広げられたのはボーカルを迎えたテナーカルテットの世界というよりは、大人の余裕を色濃く湛えたバンドサウンド。そう、それはまさしく村上寛5:’クインテット’だった。
#289 11月4日(金)
茅ヶ崎 Jazz & Booze ストリービル
http://www.jazz-storyville.com/
纐纈雅代 (as) トリオ w/山本剛 (p) 粟谷巧 (b)
今宵は自宅隣町茅ヶ崎のストリービルにて、纐纈雅代氏(AS)が召集した、なかなかお目にかかれないなんとも興味深いトリオを聴いた。
〈共演〉山本剛氏(P)粟谷巧氏(B)
果たして、ステージは今年芸歴55年を迎えられた当代本邦ジャズ界の大看板である剛さんが次代を担う後輩に胸を貸しながらの、おおいに噛み応えのある音創りが展開されることとなった。
リーダーの纐纈氏は、持ち味のフリーフォーム・インプロヴァイザーとしての横顔をもたげることなく剛さんの紡ぐ繊細なピアノのタッチに導かれて、冒頭の〈bags’ groove〉では凄みのあるブルース吹きとして、〈everything happens to me〉〈autumn in new york〉〈black orpheus〉等では説得力に満ち溢れたバラードの仕立人として、更には雄大な世界観を描いた希望の光が差すような曲想を持つオリジナル〈african shower〉ではこちら聴き人の想像力を強く刺激するコンポーザーとしての其々非凡さを見せながら、この日この刻を通して稀代の表現者としての引き出しの多さと充実振りを見せつけてくれた。対する粟谷氏にしても、指弾きに弓弾きにと、故福井良氏や渡辺貞夫氏の下で培った単に技術の巧みさに止まらない音楽観の大きさが際立った。
北米大陸からは遠く離れた島国日本の寒風吹き荒ぶ海辺の街でジャズの歴史が受け継がれて行く。そんな感傷さへも感じさせられた稀有なひとときだった。そうして満場のアンコールの拍手の中流れて来たのは剛さん十八番の〈misty〉だった。
しかし、当夜の3人により紡がれたそれは“TBMで一世を風靡した” ’70のリバイバルではなく、現在を生き未来へと繋がる〈misty〉だったと言ったら言い過ぎだろうか。最後の音が消えた後の剛さんと纐纈さんの笑顔を見ながらそんなことに迄考えが及んだ痛快な夜だった。
#290 11月12日(土)
歌舞伎座
https://www.kabuki-za.co.jp/
「十一月吉例顔見世大歌舞伎」
「いつもは独り旅が常の私のLALであるが」はこれまでに度々使ってきた枕詞であるが、その後に続くのが、今日の同行者が聴き人仲間や友人・先輩でないことは異例の出来事だった。今日は、そこになんと同行人として「カミさん」と「次男」が続くこととなった。
今日はこのコロナ禍により約2年半の順延の憂き目をみた
■市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露
八代目市川新之助(本名堀越勸玄)初舞台
「十一月吉例顔見世大歌舞伎」
夜の部を東銀座•歌舞伎座で観た。
昨日は主役のおふりが青山学院出身/在籍者である由縁から「青山学院 総見」の趣向。
今後約2年間に亘る襲名披露興行の幕開けとなるこの11〜12月歌舞伎座での襲名披露公演も売り切れ日が続出する中、偶然にも小野家の3人共が青学出身/在籍者であることから運良くこのプラチナ・チケットを入手出来た嬉しさをかみしめながら歌舞伎座を目指した。
しかし思い起こせば、私が初めてナマの歌舞伎に触れたのは’85、16歳の時祖母に連れられて行った十二代團十郎の襲名披露興行。
比すれば現在21歳の我が次男にとっては遅すぎる歌舞伎デビューといえたが、当の本人の「日本人なら観といた方が良いっしょ?」の意思を尊重したという次第。
果たして、16時に開演し、20時前に終演した当夜の舞台にあっては、江戸元禄年間から数えて約350年間に脈々と受け継がれた團十郎家系(屋号:成田屋)の歴史の重みを実感させられる瞬間が続き、一時もだれることのない終始緊張感に溢れた舞台が展開されたと言える。
これまで良くも悪くも話題に事欠かなかった新團十郎の表現者に望み得る最高位レベルの芸の大きさ、華やかさ、スピード感、キレの良いテンポ感が特に際立った。
そんな彼を昨今の(瞬間的にせよややコロナ禍の猛威が落ち着きを見せているとの印象もある)世情が後押しした一幕も書き忘れてはなるまい。こちらもコロナ禍に配慮して長らく自粛されていた「大向こう」(所謂成田屋!等の掛け声)も(下手4F特設スペース内からの劇場指定関係者限定ではあるが)解禁され、更には幕間の劇場内での飲食も解禁される等、至るところに「歌舞伎らしさ」が溢れたのは嬉しい光景と言えた。
肝心の演目では、襲名披露に相応しく豪毅並びに伊達といなせ、更には絢爛豪華を兼ね備えた成田屋のお家芸とも言える歌舞伎十八番の内2題が採り挙げられ、口上の最後には團十郎の伝家の宝刀「睨み」(これに触れると無病息災との言い伝えも生まれた)が披露されるとともに、舞台上の引幕(祝幕)にも現代美術家•村上隆氏の作品が採用される等、場内には終始祝祭ムードが横溢した。
そんな劇的空間に触れ、更には(舞台の邪魔にならない極めて効果的な解説の入るイヤホンガイドの助けをかりた)我が家の次男の観劇後談は「眠くならなかった、これならまた来ても良いな」だった。市川家の芸が繋がれた舞台を通して、ひょっとすると小野家の何かも繋がれたのかもしれない。そんなことも考えながら新之助君の團十郎襲名にも思いを馳せた、そんな愉快な一日だった。
#291 11月17日(木)
横浜みなとみらいホール
https://yokohama-minatomiraihall.jp/
横浜市招待国際ピアノ演奏会・第40回記念特別公演
今宵は、1年10ヶ月の改装期間を経て新装開場した横浜みなとみらいホールにて、〈リニューアル記念事業〉横浜市招待国際ピアノ演奏会・第40回記念特別公演を聴いた。
その舞台には、同演奏会企画委員長で現在は日本ショパン協会会長の海老彰子氏と、氏とは長年の友人であり、ヨーロッパでは度重なる共演歴があるも、日本では初のDUO公演となるマルタ・アルゲリッチ氏が登場した。この、世界の至宝とも言われるピアニストについては、我が家のライブラリーに音源は無く、アーカイブ映像等にも頼ったことがないながら、その6文字のお名前が頭から離れずに今日に至ったというのが実際のところ。
そんな折、今回の演奏会を知ったのは既に前売りが開始されてから久しい10/末。当然残席無しを覚悟で問い合わせをすると、キャパシティー2020席中2席空席があるとのこと。それが舞台後方席上段と聞かされても、「きっと何か面白い体験が出来そうだ」との直感に従い即座に購入を決定した。
結果的には、後述するようにその直感は嬉しい当りとなった。
今日の演奏曲は添付のフライヤー(④⑤は当日曲順変更)をご覧頂くとして1部に(2台のピアノによる)①モーツァルトと②ラフマニノフ、2部には③(2台)ルトスワフスキ④(2台)ラヴェル〈ラ・ヴァルス〉⑤(連弾)ラヴェル〈ラ・メール・ロワ〉等を披露した後満場のアンコールに応えた⑥(連弾)J.S.バッハ〈神の時こそいと良き時bwv106〉と続け、更に客席も演者も立ち去り難い頃合いを見事について譜めくりの女性が楽譜を差し出したダブル・アンコール⑦モーツァルト〈四手のためのピアノソナタ ニ長調k381第三楽章〉に至る迄、この卓越した技巧を有する表現者ふたりの至芸に酔わされることとなった。中でも私にとって「当り」だったのは、その演奏時間と構成の妙だ。今日のステージは1部2部共にその演奏時間は約50分。この50分という時間は、私の敬愛するジャズドラマー・山崎比呂志氏が現在フリーフォームの即興演奏をする際、自らのタイム感に従い1セットを決着させる道程とほぼ同じボリュームであり、方や譜面の規定の無い50分、方や規定の譜面に依った50分の中で自らの主張を表現し尽くそうとした音創りに触れられたことが、先ずひとつ目の「当り」だった。次にはその構成であるが、当夜は、ピアノ2台による曲と連弾曲が巧みに組み合わされた。ここで私の今日の席が効を奏した。舞台下手側は身振り手振りも良く見えるが、上手側は全く手元が見えない。
畢竟、見えている視覚と聴こえてくる聴覚の合致を楽しむ一方で、聴こえてくる聴覚から見えていない視覚に想いを馳せる謂わば二重構造の愉しみを得た。まさにライブ会場でこそ味わえる上述のような時間感覚、視覚と聴覚の妙味を味わえたのが今宵の何よりの収穫だったと言える。
まあ、それら私の体感はそれとして、肝心の音、であるが、今宵のふたりの演奏は、その厚いパートナーシップをベースに、互いに終始瑞々しいタッチをもって、安穏、優雅、甘美、馥郁たる有様から、奔放、狂気、熱狂に至る情緒を洒脱に繋ぎながら、一夜七曲のステージを通して、気宇壮大な一編の物語を紡いでくれたという印象が強く残った。
舞台後方という奇妙なアングルからの音楽体験は、私のLAL史上忘れ得ぬひとときとなったことは確かだ。
#292 11月19日(土)
横浜みなとみらいホール
https://yokohama-minatomiraihall.jp/
〈神奈川フィル定期演奏会 第381回〉
待ちに待った嬉しい週末がやって来た。さあ、LALの時間だ。
今日は久しぶりの昼夜のダブルヘッダー。
幸運にも、待望のライブが同じエリアで開催されることとなり、昼夜で横浜・桜木町の東西を巡る一日と相成った。
先ずはその昼のライブから。
現場は、一昨日、マルタ・アルゲリッチと海老彰子による至芸に酔った横浜みなとみらいホール;
〈神奈川フィル定期演奏会 第381回〉
指揮:小泉和裕(同楽団特別客演指揮者)
首席コンサートマスター:石田泰尚
①オネゲル:交響曲第三番「典礼風」
②ベートーヴェン:交響曲第三番「英雄」
小泉⇄神奈川フィルコンビは、丁度一年前の10/24、鎌倉芸術館で初体験し、その均整の取れた音創りに感銘を受けたことに加え、一昨日の座席が舞台後方上段だったのに対し今日は1F後方中央の良席がとれたこともあり、大いなる期待を持っての開幕の時を待った。
先ずは、私自身お初の①オネゲル、事前のリサーチによると、曰く、「自らの作品は3人の登場人物を持つ一編の劇であり、その3人とは、不幸・幸福・人間をさす」と語ったと言う世界観や如何に、といったところ。第二次世界大戦下に作曲されたという時代背景が影響したか、3つの楽章は何も一筋の薄陽も射さない暗雲に立ち込められたムードに支配された。マエストロもオケも、その曲想を見事に捉え、徒に性急になることなく、全ての音を我慢強く暗澹たる沈殿の底に据え通した点は極めて聴き応えのある演奏だったと言える。
続く20分の休憩後は余りに有名な学聖による②だ。
ザクザクとした旋律と流麗な旋律が交錯するこの楽曲に対しては、①とは対照的に自由な伸びやかさで料理したマエストロとオケの明快な表現力が冴え渡った。
今日の演奏を振り返り、それを大谷翔平選手や故村田兆治選手の投球になぞらえるのはいささか強引とは思いつつ、同じ交響曲でありながら、不穏な趣きに終始した①を癖玉=フォークボールに、一方で真っ向勝負の正攻法の印象を強く受けた②をストレートボールに重ねあわせたとしたら、それはいかにもクラシック音楽に明るくない門外漢の戯言と一笑に付されるかもしれない。
しかし、今やマエストロ小澤征爾氏が指揮台から遠のいて久しい中、その端正な佇まいと所作を持つマエストロが挑んだ「ふたつの三番」が描いた音の軌跡は、稀代の大投手ふたりの右手から放たれる硬球の球筋を想起せざるを得なかったのは事実であり、それ程迄に鮮やかに仕留められた二品だったと今振り返り強く感じている
#293 11月19日(土)
野毛 Jazz Spot DOLPHY
https://dolphy-jazzspot.com/
カルメンマキ(唄、語り、鳴り物)中村哲(p.key.ピアニカ.ss.as.バックトラック) ファルコン (g)
今日は久しぶりの昼夜のダブルヘッダー。
横浜・桜木町の東西を巡るドキュメント
昼の部:小泉和裕指揮神奈川フィル@横浜みなとみらいホールに続いては、夜の部。久しぶりの訪問となった野毛 DOLPHYにて今年6回目となるカルメンマキさん(唄、語り、鳴り物)の音創りに触れた。
今日のギグには、3月の手合せ以来、既に多くの時空での協働作業を通じ、その呼吸の間合いも格段に緊密度を増していると感じられる中村に哲氏(p.key.ピアニカ.ss.as.バックトラック)に加え現在引く手数多のギターリスト、ファルコン氏が召集された。聞けばこの御三方での共演は、当年7月同所でのライブ以来だという。
果たして、幕開きは、寺山修司詩作(男の嫉妬について〜エコー)。最近のマキさんのライブでは冒頭に置かれることの比較的多い朗読物であるが、そこでは、そのコトノハの響きで当夜の客席の温度湿度を注意深く推し測っているのかもしれないという印象を受けた。
その後1stセットでは、アラビックな曲想に仕立てた寺山修司詩作〈希望について、パンドラ〉迄、朗読と歌を同じ地平で織り成した5品が。続く2ndセットでも、萩原朔太郎詩作〈白い月〉(朗読)から〈月夜のランデブー〉(歌)と続けた後、浅川マキ作詞作曲〈少年〉(歌)を(朗読)寺山修司詩作〈懐かしの我が家〉と〈玉音放送〉でサンドした最終盤に至る5品が供されることとなった。
中村氏の特に丹念に準備されたバックトラックは作品毎にこちら聴き人の想像力を掻き立て、マキさんの表現力の引き出しを次々と誘いだして行った。そんなおふたりの音の連なりがある程度の落ち着きを見せ始め、ともすると安住の地に帰結すると感じられた瞬間には、ファルコンさんの切れ味鋭いギターが間髪入れずに斬り込み巧み音場のニュアンスを攪拌しにかかったくだりはなんともスリリングであった。各々が独白を続けても、そこに、互いに対する全幅の信頼が感じられるだけに、音場は一時も拡散することはなく、常に同期している様からはこの稀代の表現者達の創造性の深淵を見せつけられること度々であった。幸運にも上述のマキさんと哲さんのDUOユニットの船出に立ち会えた者のひとりとして、その後の道程を経た10月の横浜エアジン公演での再会の折の印象を私は、「即興音楽というよりも(当初の散文詩の変容形としての)即興戯曲」だと記したのだが、今日は.そこにファルコンさんという触媒を得て、その世界観は更に広がりを見せたと感じた。今日のマキさんを拝見していて、そこには語り部、歌い手のその先に居る演じ手としての印象を強く受けた。
今夜の御三方の攻めぎ合いと交わり合いの舞台は、極めて交響詩的であり、私には「即興戯曲」から更に昇華した例えて言うならば’ジャンル’の壁などというものを一切超越ところに存在する「即興オペラ」として強く映った。
#294 11月24日(木)
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
https://www.operacity.jp/concert/
内田光子 (pf) マーク・パドモア (tenor)
霜月に入り、クラシックの現場が続くLAL。丁度1週間前のマルタ・アルゲリッチ@横浜みなとみらいHに続き、世界的至宝とも言えるピアニストを初台・東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアルで聴いた。
内田光子氏(P)と、氏とは先頃DUOによる歌曲盤(来日記念で日本先行リリース)を発表したイギリスの名テノール:マーク・パドモア氏によるリサイタルである。
今宵は、新譜にも収録された歌曲集、シューベルト〈白鳥の歌〉とベートーヴェン〈遥かなる恋人に〉を中心に、同じベートーヴェンの〈希望に寄せて(第2作)〉〈あきらめ〉〈星空の下の夕べの歌〉を並べた豪華フルコースディナーの趣き。
先ずはパドモア氏、呟くような低音のppから、流れるように歌い上げた快活で力強く伸びやかな高音のffに至る迄、こちらの想像力を強く掻き立てる詩情溢れる表現力の豊かさ(=ニュアンスの引き出しの多彩さ)に驚かされた。対する内田氏は極めて思慮深く絶妙な距離感でパドモア氏の発する音の連なりに寄り添って行くが、その間合いは近づき過ぎず、離れ過ぎずであるところがなんとも心憎い。情感へウェットに訴えるような瞬間は一切訪れることなく、終始心地良いダイナミクスの中に、決してベタつかないドライかつ強靭なタッチがクリアな音像を描いて…。そんな冷静沈着な音創りに徹した姿勢が際立ちながらこちら聴き人の胸を静かに打った。
ここで本日のサプライズの場面をひとくさり。休憩後の二部開始直前、会場からさざなみのような拍手が沸き起こった。何事かと振り返る満場の視線の先、二階席中央最前列に静々と着席するマスク越しにもわかる柔和な微笑みを湛えた年配女性の姿が。なんと、美智子上皇后だった。
まあ、それはさておき閑話休題。
4回に亘るカーテンコールの後、美智子さんをお見送りした終宴後、見上げた高い天井には、屋内ながらあちらこちらに煌めく星が輝き精霊の囁きさへ聞こえてくるような、小宇宙の如き景色をも想起させてくれた、そんな神々しささへ感じさせられたひとときだった。
#295 11月25日(金)
鎌倉芸術館集会室
https://kamakura-kpac.jp/
小澤真智子「旅するヴヴァイオリン」音楽世界紀行≪ポピュラーミュージックの巻
LALを続けていると思わぬご縁を手繰り寄せることがある、この日などまさにそうだった。
朝早くに親戚の叔母から連絡が入り、自分が公演の裏方をつとめるアーティストのライブがあるので来てみないか?との誘いだった。その日は丁度月一回の脳神経内科@西鎌倉の通院日であり、受診後に湘南モノレールで駆け付ければ会場のある大船へはアクセスも利便であることから「LALの勘」に賭けてみることにした。そんな経緯の末臨んだのが、ニューヨーク在のヴァイオリニスト・小澤真智子氏による「旅するヴヴァイオリン」音楽世界紀行≪ポピュラーミュージックの巻≫@鎌倉芸術館集会室だった。
閑話休題
音楽に接する場合、その表現者のバックグラウンドを知ることにさほどの必要性も感じないのが性分の私ではあるが、それでもこの日初対面となる小澤氏のプロフィールを関連のHP等からかいつまんだところ、東京芸大を卒業後ロンドンに渡りその後NYジュリアード音楽院にて修士号を取得した後はメキシコのオーケストラで第一コンサートマスターをつとめ(この時代にはP.ドミンゴとも共演)、’02にはカーネギーリサイタルホールでのソロデビューを経ながらタップダンスとヴァイオリン演奏を融合した独自スタイル「タップヴァイオリン」を開発。更にその自由な発想を武器にタンゴ・ヴァイオリニストとしての活動を本格化させ世界を股にかけた自らの音の追求を重ねる一方で、’08からは自らのライフワークとも言えるNYブルックリンの公立小学校における ヴァイオリンの教育活動をスタートさせた。
そんな約四半世紀に亙るNYでの旺盛な活動(その過程ではかのオノヨーコ氏とのご縁も生まれたという)の後、’22にはフランス国のアーティストヴィザを取得、8月からはパリにも活動の拠点を構え NYとパリ、演奏活動と教育活動といったまさに双翼の武装使いを決め込んだ氏の地元・鎌倉での凱旋公演となったのが今日であったという訳である。
さて、演者の紹介に随分と紙面を割き前置きが長くなってしまったが、肝心の音、である。今日の構成は、氏が旅した各国における想い出の写真を前方のスクリーンに映しながらその時々のエピソードも交えつつその国々所縁の楽曲を演奏するという趣向が採られた。
以下に当日供されたコース料理を順不同にご紹介すると、先ずは彼女の活動のスタートとなった英国からザ・ビートルズの<yesterday>が。更に米国からは<amazing grace>、<my way >、<can’t help stop Falling in love>を連ね、そこから欧州に転じ伊国からは<love theme from the godfather>、<nuovo cinema paradiso>を、仏国からは<la vie en rose>を重ねた。
そうしたこの日のタイトル通りの文字通り音楽世界紀行の道中にあっても、現在の彼女の芯を貫くタンゴ物が効果的に差し込まれることとなった。それらはÀ.ピアソラ関連の佳曲4題<oblibion>、<escualo><por una cabeza >、<tanti anni prima(ave maria) >だった。
今日の約2時間のステージを通して、終演後に件の叔母が話してくれた「今日の真智子はいつもと違って随分とおとなしかったわ」ではないが、普段は生ピアノの伴奏者を伴うリサイタルが多い氏にとっても、今日はあまり機会のないポピュラーミュージック中心の公演故か、伴奏はPCによる自作のバックトラックのみであり、また私にとっては未知のパフォーマンスである「タップヴァイオリン」も一切封印し、そこには只愛機のヴァイオリン1丁に賭けた孤高の表現者が居た。
それでも高音の伸びと中低音に亘る深みはいかにも説得力のあるものであり、いかなるテンポと叙情の中にあっても決して流されずに攻めの姿勢を貫いた在り様からは潔いまでの清々しささへ感じられた。
氏の音楽遍歴を共に振り返りながらこの世界中に存在する珠玉のメロディーに触れたこの昼公演に集った会場キャパmaxの150名を越そうかという老若男女の聞き人の胸には、世界を旅しながら自らの志を貫徹せんとする凛としたひとりの女性の生き様とその凄みのある音がしっかりと刻まれたと思う。
#296 12月3日(土)
町田 Jazz Coffee & Whisky Nica’s ニカズ
http://nicas.html.xdomain.jp/
大山日出男 (as)カルテット w/片倉真由子 (p) 吉田豊 (b) 濱田省吾 (ds)
山積する本業の宿題を日中になんとか片付け向かった町田ニカズにて、今宵初対面となった大山日出男氏(AS)のカルテットw片倉真由子(P)吉田豊(B)濱田省吾(DS)を聴いた。
今宵ほぼ1ヶ月振りとなるジャズの現場では、じっくりと味わえるバンドサウンドが聴きたいとの自らの直感を信じた選択であったが、果たして、幕開け早々飛び出したJカーン作〈nobody else but me〉における大山氏の説得力ある一音でその直感は確信となった。
以降、今宵供された本編の前後半5曲ずつは、さながら「多種多様なリズムの饗宴」の趣を呈した。大山氏のオリジナル1曲に加え、スタンダード2曲、Oネルソン作品2題の他、Fレイシー〈theme for ernie〉Pミッチェル〈hard times〉Lモーガン〈hocus pocus〉Pウッズ〈samba du bois〉Bフェルドマン〈lisa〉等々普段はなかなかナマで聴く機会の少ない楽曲の数々は「リズムの饗宴」を際立たせる素材として、充分に吟味された選曲であることが強くうかがえた。
緩急織り交ぜた4ビート、ソフトラテンにハードサンバ、更にそれらに効果的に差し込まれるバラードと其々の曲想を活かしたリズム設定が音場に彩りのある流れをもたらすのに功を奏していた。
大山氏の終始歯切れの良い溌溂とした節回しは外連味が無く気の利いた構えを見せながら各種のリズムへの乗り方にも無理が無く、いずれも名うてのリズム隊が繰り出す機動力のある自在な波を大きく捕まえて力強く吹き込む姿には、唸らされること度々であった。
派手さはないものの自らの信じた道を悠然と突き進むベテランだからこそ表現出来る音創りをじっくりと味わうことの出来た充実のひとときだった。
#297 12月24日(土)
池袋・東京芸術劇場
http://www.geigeki.jp/
エリアフ・インバル指揮 都響スペシャル
本業が超繁忙期を迎え、暫し足踏みしていた私のLAL。12/3以来、実に三週間振りのライブはクラシック。
池袋・東京芸術劇場にて、都響スペシャル〈第九〉ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》を聴いた。
演奏:東京都交響楽団
指揮:エリアフ・インバル(都響桂冠指揮者)
コンサートマスター:矢部達哉
ソプラノ:隠岐彩夏 メゾソプラノ:加納悦子 テノール:村上公太 バス:麦屋秀和
合唱:二期会合唱団
さて、先ずは〈第九〉のことなど。この曲が我が国の師走の代名詞となった経緯は諸説あるようだが、それはそれとして、所謂CD(コンパクトディスク)がソニー社とフィリップス社の共同開発の過程で、この演奏時間60〜70分の〈第九〉をはじめ「クラシック音楽の95%が75分あれば一枚の盤に収められる」とのソフト側からの主張が当時のS社の副社長であり、藝大卒の元声楽家大賀典雄氏を中心に繰り広げられ、結果的にCDの許容収録時間が74分に決着したことは興味深い逸話と言えよう。
次に今日の昼ライブの演者についてである。
’36イスラエル生のマエストロ・インバル氏は文字通り私のアイドルであり、’91に都響に初登場して以降強固なパートナーシップを築いた数々の現場はいずれも忘れ難い印象を残してくれて来ただけにその名コンビによる第九を聴けるとあっておおいなる期待を持ってその開幕を待った。師走の気忙しい時期とはいえ、休日の昼公演、更には人気マエストロの登場かつ人気曲とあってか、キャパ1.999席が満席の中、定刻14時にスタートした舞台では、この偉大なるマエストロの手綱捌きが抜群の冴えを見せて全四楽章、約65分の壮大な音伽藍が水も漏らさない精緻さをもって我々の前に立ち現れた。マエストロがベートーヴェンの交響曲に特徴的に聴くことの出来る不穏なムードのツボを押さえながら各パートを丁寧に編み込みつつメリハリの利いた解釈を施したのに対して、オケも其々の声もそのマエストロの意志を的確に汲み取りながら既成の譜面に現代の息吹を吹き込み生々しい表情を現出して行く様は圧巻であった。弦パートは流れるようなしなやかさとザクザクとした荒々しさを巧みに交えながら歯切れの良い律動を場に呼び込み、そこに管パートの気高く控えめな咆吼が被さって行く。この壮大な叙事詩に効果的な句読点を打つ打楽器パートの動きも秀逸だ。そんな演奏陣に対してソリスト四人も自らのパートの意義を十分に心得てオケと合唱団の橋渡し役としての機能を有機的に果たしていたのはマエストロがこの楽曲を極めて建築的に捉えているが故の構造の妙味として私には強く映った。そうして合唱団である。日本最大の声楽家団体「二期会」を母体とする、我が国を代表するプロフェッショナル合唱団だけにハーモニーの分厚さとダイナミクスの表現力は申し分がなかった。
最後に、日々、あるいはマンスリーでテーマを決めて臨む私のLALであるが、今年の大詰めのテーマはズバリ第九とした。今日を含め三公演を予定しているが、それは何も意中のマエストロが登場するからに他ならないが、更に言えば、この不穏で混迷する時節の中にあって活き活きとした生を音楽の中に聴き取りたいという衝動に突き動かされた部分が大きかったように思う。その意味では、今日私が受け取った音の塊は余りにも重厚に過ぎた。楽聖が作曲を完成してから約200年。その歴史に根差した音の持つ重みは計り知れない。聴き人のひとりとして、今何をすべきか?何を出来るのか?の宿題を投げかけられた、(いささか大袈裟ながら)そんな身の引き締まる気分にさせられたようなひとときだった。
#298 12月25日(日)
渋谷NHKホール
https://www.nhk-sc.or.jp/nhk_hall/index.html
井上道義指揮 NHK交響楽団
私のLALの今月のテーマを〈第九〉ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》としたことは前稿に書いたが、昨日12/24昼に続いて翌25日昼も同楽曲をこの日は渋谷NHKホールで聴いた。
演奏:NHK交響楽団
指揮:井上道義
ソプラノ:クリスティーナ・ランツハマーメゾソプラノ:藤村実穂子
テノール:ベンヤミン・ブルンス バス:ゴデルジ・ジャネリーゼ
合唱:新国立劇場合唱団、東京オペラシンガーズ
約70分の大曲を2日続けて飽きないだろうかと思いながら、そこは初対面となるこの我が国を代表するオケを昨年夏にその音創りに初めて触れいたく感銘を受け再会を切望したマエストロが振るとあって、早くからこの日この刻に狙いを定めた。
そこには、ご自身も各所で触れられているように、’24末の引退を宣言されているこの稀代のインプロヴァイザー/エンタテイナーたる指揮者のひょっとすると最後の第九になるかもしれない、という感傷があったことは偽らざるところ。
果たして、以下では当日私が印象に残った部分を点描したい。先ずはマエストロの指揮振りだ。
先の経緯を差し引いても、その一挙手一投足にはかなり力身が感じられた。しかし、その中でも、指揮棒を握りオケを捌く右手の饒舌さに反して客席からは見えにくい左手でオケに対し丁寧に指示を送る手際の巧みさが光っていた。この日の私の席は下手二階であったが、そんな指揮者とオケとの間に起きた阿吽の呼吸を遠くに見られて視覚と聴覚の同時中継を楽しめたのは何よりだったと言える。そんな両者の駆け引きの行き着く先、これがまたなんとも素朴な趣きが全4楽章を貫いた。兎角小難しいと捉えられがちのクラシックに対する敷居を低くし、へたにこねくりまわさずに出来る限り平易な音場を獲得しようとするところにこのマエストロのキャリアの粋があったのではないかと考え合わせて、私の感傷はまた高まりを見せて行くのだった。唯でさえ目立つ弦楽器や金管楽器に対して、木管楽器の位置取りを際立たせた点。第三楽章のアダージョを限りなく低位に抑えることでその奥深さから続く声が入る第四楽章のフィナーレをより華々しく展開させた楽曲の構成に対する解釈の妙味等々。言語化すれば極めて味気ないが、全編に亘り、
「こんな感じかなあ?」「どう思います?」「そんなんじゃなくて、僕はやはりこう思う。もっと平易にやろうよ」と言うマエストロの声が私には聴こえて来た。
そう、この日のNHKホールには、マエストロとオケと客席の間にそんな得難い魂の交歓が生まれたと今振り返り強く感じている。誰も取り残されなかった。皆が音楽の中で同じ時間を活き活きと生きることが出来た。その意味で第九は恰好の触媒となってくれた。
天晴れマエストロ・ミッキーだった。クラシック界のアルルカンの面目躍如たるドラマティックな舞台に触れ幕引きのその時迄は可能な限り氏の音創りを享受したいという衝動が私の中に残ったことはいうまでもない。考えてみればカーテンコールの最後に舞台上でターンしておどけてみせる指揮者などそうそう現れては来ないだろうから。
私の隣の親子連れの小学生の眼の輝きとミッキーが客席に向けて高く挙げた両手の美し過ぎるフォルムを私は柊生忘れることはないだろう。
#299 12月28日(水)
上野・東京文化会館大ホール
https://www.t-bunka.jp/
飯守泰次郎指揮 東京シティフィルハーモニック管弦楽団
今月のテーマを〈第九〉ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》とした私のLALの第三夜、最終日が今宵幕を閉じた。
舞台は上野・東京文化会館大ホール。
演奏:東京シティフィルハーモニック管弦楽団
指揮:飯守泰次郎(同団桂冠名誉指揮者)
ソプラノ:田崎尚美 メゾソプラノ:金子美香 テノール:与儀巧 バリトン:加耒徹
合唱:東京シティ・フィル・コーア
先ずは東京文化会館のことなど。ご存知、近代モダニズム建築の巨匠:ル・コルビジェ氏の弟子に名を連ねる日本人三人の内のひとりである前川國男氏(他は、坂倉準三氏と吉阪隆正氏)による’60我が国を代表する瀟酒な建物である。因みに向かいの国立西洋美術館は師コルビジェの日本に存在する唯一の作品であり世界文化遺産に登録された建物であることは余りにも数奇な縁に導かれた史実であろう。そんな文化会館について、小ホールはかつて山下洋輔氏のNY3で体験済であったが大ホールは未体験であったことが、今日の訪問の決め手のひとつになった。更にもうひとつの動機は今宵初対面となったマエストロが、御歳82才で今尚旺盛な表現活動を続ける飯守氏であったことが挙げられる。果たして、登場時こそコンサートマスター戸澤哲夫氏の腕を借りた状態ながら、いざタクトを手に取るや、第三楽章と楽章間の僅かな時間を除いてすっくと立ち上がり75分に及ぼうかという大曲を見事に捌き切ったこの稀代の表現者の奥義に場内の耳目は強く惹きつけられることとなった。立っても座しても動かすのはほぼ上半身だけにも関わらず、その動きには全くの無駄が無く、最小限にして必要十分。ほんの些細な動きだけで大人数の演者を駆け出させ、立ち止まらせ、踞らせ、夢を見、愛と歓びを語らせる所作の数々には刮目させられること度々であった。しかし、改めて振り返り24日、25日そうして今日28日と続けた私の’22師走・第九の旅は、利き酒ならぬさながら利き音の様相を呈して其々に活きた音の中を生きる悦びを存分に享受させてくれた。
繊細かつ重厚なインバルと都響(24日)劇的でいて親しみのあった井上とN響。それらに対して今宵の飯守と東京シティフィルは荘厳かつ含蓄に富みながら芳しき気品に貫かれたとでも評したら良いだろうか。いずれにせよ、史上稀にみる蛮行と疫病が続く2022年の終わりに、フリードリヒ・シラー「歓喜に寄す」を高らかに唄いあげた音場に三度も触れられたことは一聴き人として無上の喜びだったと言える。