Live Evil #47 「井上道義 ザ・ファイナル PART Ⅰ 道義×小曽根×新日本フィル]
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
2023年9月17日(日)15:00~
すみだトリフォニーホール
井上道義[指揮]
小曽根真[ピアノ]*
新日本フィルハーモニー交響楽団
モーツァルト/歌劇《ドン・ジョヴァンニ》K.527 序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 「ジュノーム」K.271*
ショスタコーヴィチ/ジャズ組曲 第1番 l Waltz ll Polka lll Foxtrot (Blues)
ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35*
“異能の音楽家” 井上道義の「ファイナル コンサート PART 1」をすみだトリフォニーホールで聴いた。井上のデビュー・レコーディングに立ち会っているので、これでひとりの音楽家のデビューとファイナルを目撃したことになる。もっとも、人気者の井上、ファイナル・ツアーは今後1年ほど続くらしいが...。
筆者が井上道義のデビュー・レコーディングに立ち会ったのは1971年秋、ザルツブルグのクレスハイム宮殿。ブルーネットの髪に眼鏡をかけた痩身の若者が悠揚せまらぬテンポでモーツァルトのト短調シンフォにーー(交響曲第40番)を振っていた。目の前のオケはモーツェルテウム管弦楽団。井上がグィド・カンテルリ指揮者コンクールで優勝したのを知ったトリオレコードがいち早く2枚の録音契約を交わしたのだった。スカイブルーのフォルクスワーゲン(当時のマネジャー マルクス・ミツネ氏からの優勝ギフトとのことだった)を駆って颯爽と宮殿にやってきた井上の後には日本の音楽留学生と思しき女性が数人付いていた。学生時代に軽音楽オケで40番を演奏した僕は、本場のオケの弦の紡ぎ出すえも言われる美しさに陶然と聴き入っていた。井上は作曲当時の時代背景を思わせるようなゆったりしたテンポでオケを心ゆくまで歌わせていた。「40番」はシューベルトの「未完成」とカップリングされて井上道善のデビュー・アルバムとなった。入社まもない僕に同行を求めた当時の事業部長大熊隆文(故人)はコンテンポラリー・アートの熱烈な支持者でアルバムのジャケットも伝統的なポートレートを避け、井上のカジュアルな生活の一断面を切り取った。
さて、それから半世紀以上経った2023年9月17日、すみだトリフォニーは別れを惜しむファンで埋め尽くされた。ゲストはピアニストの小曽根真。モーツァルトのピアノ・コンチェルトはいかにもモーツァルトらしい美しいタッチでお手本のような演奏を聴かせ、カデンツァの早いパッセージでやや小曽根らしさを垣間見せた。終演後、井上は小曽根に「あれがモーツァルト!?」と戯けて見せたが...。井上の黒服に対し小曽根のシルヴァーの派手な燕尾服が際立って見えた。
ショスタコーヴィチのジャズ組曲 第1番は12人編成のアンサンブルで演奏されたが、ショスタコーヴィチの考えるジャズとは何だっだのか。6人の管楽器奏者を措いて主奏楽器はヴァイオリン。楽章にワルツ、ポルカ、フォックストロットとあるように当時のショスタコーヴィチにとってジャズ、すなわちダンス音楽だったのだろうか。井上の指揮ぶりがもっともジャジーだったという皮肉。
グレーの燕尾服に着替えた小曽根が演奏したのはショスタコーヴィチのピアノ・コンチェルト第1番。プログラムには表記されていなかったが、正式名称は『ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲 ハ短調』というらしい。弦楽アンサンブルをバックにフロントにピアノとトランペット。複雑なリズムの仕掛けやピアノとオケのスリリングな掛け合いなど自分の勝手かつ俗な期待は見事にはぐらかされてしまった。ソリストとしてのトランペットの存在も明快には理解できないまま不完全燃焼のコンサートだった。忖度抜きで言えば筆者はこの日のショスタコーヴィチから刺激を受けることができなかった。自らショスタコを名乗る友人のマニアに尋ねたところ「ショスタコは屈折した性格の音楽家が演奏する必要がある」という怪説。屈折に欠ける筆者の性格にも問題があるのだろう。そういえば “屈折の人” キース・ジャレットがショスタコの<24のプレリュードとフーガ>をECMに録音していた。改めて聴きなおしてみよう。一時は引退を覚悟したほどの2度の大病から奇跡とも言える復活を遂げた井上は指揮にトークにファンを満足させる熱演だった。満員の聴衆の中にはもちろん多くの小曽根ファンもいたはず。小曽根は果たして彼らに本来の見せ場を作れたのだろうか?(文中敬称略)
*上記写真2葉は新日フィルのFacebookより