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GUEST COLUMNNo. 301

アーマッド・ジャマル追悼 
R.I.P. Ahmad Jamal (July 2, 1930 ~ April 16, 2023)

text by Shuhei Hosokawa 細川周平

 

アフマッド・ジャマル(1930.7.2~2023.4.16)の訃報が届いた。92歳。短命の改革者が主役のジャズ史では最長寿に属す。忘れられたピアニストとある追悼記事が呼んでいたが、私も2010年、メルボルン・ジャズ・フェスティバルで出会うまで、名前を聞いただけの存在でしかなかった。ピアノ好きは回りに多いが、それまで噂を聞いたことがなかった。しかし小さな期待は圧倒的に裏切られ、完全に洗脳された。音楽地図のうちのジャズと分類されるあたりに、まだこれだけの創造の余地があったのかとただひれ伏した(ジャズ界で最初にイスラムの信仰を持った一人というのに敬意を払って、ここでは「アフマッド」と呼ぶ)。

当時80歳、その年齢のジャズ・ピアニストとして、ランディ・ウェストン(1926-2018)、アブドゥラー・イブラヒム(1934-  )をまず連想した。その数年前、上賀茂神社でそれぞれソロを聴いて、ジャズやピアノの通念がひっくり返る(「黒くなる」)のを体験していた。もちろん三人のスタイルは違う。ただエリントンからモンクへの道のうえで、控えめに、忠実に、美しく自分を貫いてきた点で通じ合うと直感し、同じような尊敬を抱いた。それは彼のアルバムを聴くにつれますます深まった(彼はランディの名曲「ハイ・フライ」を2009年、敬意を込めてカバーしている)。

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At the Pershing: But Not for Me (Argo, 1958)

ライブ盤『アット・ザ・パーシング』(1958)は、アメリカでは大ベストセラーだったそうだが、それまで存在も知らなかった。たぶんジャケット写真が重要なジャズ喫茶文化で、注目を受けることがあまりなかったのだろうし、評論家もファンもバド・パウエル・スクールのハードバップ、重いタッチや4ビートを好み、彼の軽いタッチや、俗にラテン風と呼ばれるリズムを低く見る傾向にあった。私もその環境で育った。

そのライブ盤では「ポインシアーナ」が特に彼を有名にした。元歌―ソロ数コーラス―元歌の定型とは違い、イントロ、エンディング、歌の合間に彼が用意した反復フレーズ(ヴァンプ)がはめこまれ、原曲の全体構成(コーラス)は無視されている。原曲を大胆に自分に引き寄せている。特別なベースとドラムスのパターンを繰り返す足場のうえでピアノがソロを取り、二人が反応する。原曲の部分と編曲の部分が入り組んでいる。最後にテーマにもどって終わる約束はない。その合間にテーマの勘所がぽつぽつ顔を出すと、ラウンジの客はリラックスしているようだ。

この時期、トリオの曲目の大部分は歌ものスタンダード(彼はアメリカン・クラシカル・ミュージックと呼ぶ)で、聴いた限りではアメリカ南部生まれの12小節ブルース形式の曲は一曲もない。自作の「アフマッドのブルース」(1958)も、レイ・ブライアントやレッド・ガーランドらがよく弾いた泥臭いブルースよりも、ブルージーな歌ものに近い。この点で彼はビバップ、ハードバップの本流から距離を取っていた。後にこんなことを語っている。「バラードをやるのは好きだが、演奏はむずかしく何年もかかる。正しくその楽譜を読むには」。彼は心で歌いながら、歌ものを弾いている。若い頃、ベン・ウェブスターが突然ソロを止めたのに出くわしたのでなぜかと訊ねると、歌詞を忘れたからと答えが返ってきた。ジャマルはそこから、ジャズの即興が単にコード進行にもとづくだけではないことを学んだ。元歌の断片が顔を出すと、歌詞を知っていれば記憶のなかで歌っている。馴染みの歌の文句を聴き手は心で追いかけ、いつしか共演している。その誘いが心地よいのだろう(私は歌い出しの♪Poincianaのところしか歌えない)。それは気まぐれな鼻唄のようだが、トリオは元メロにつかず離れずで、聴き手の心に浮かぶ歌を誘導する。彼は楽譜を「読む」とも言っている。コンサート音楽の語彙である。楽譜の解釈が即興と並んで本質的なピアニストだった。

ドラムスは2拍子系と3拍子系を組み合わせたアフロ・カリブ風のリズムを基本とし、ベースがそれに半ば乗りつつ、別のタイミングでピアノを下支えしている。ルンバなりカリプソなり、ひとつのパターンで一曲を貫くダンス・バンドではない。ヴァンプの部分で三者が一定のリズムを強く打ち出すが、そこに留まっていない。ピアノ・トリオの標準形ならピアノ・ソロの後に、ベース、ドラムスに聴かせどころスポットを設けているものだが、ジャマルの共演者はサイドメンに徹する。しかしリーダーとの緻密で繊細なインタープレイ能力を要求されている。三位一体の美をさりげなく聴かせているのは、イスラエル・クロスビー(ベース)とヴァーネル・フルニエ(ドラムス)で、二人とも初めて名前を知った。

ジャマルの共演者はその後も、リーダー・アルバムを持たないが、役目を心得た高度な職人連中ばかりで、ジャマル・コンボ以外のキャリアを知らない。メルボルンで聴いたベーシスト、ジェイムズ・カマックもその一人で、90年代にジャコ・パストリアス以降の電気ベースのスタイルで、ピアノとわたり合う新しいサウンドをトリオに導入した。それは長く続かなかったが、カマックはその後ダブルベースで組み続け、同じ奏者とは思えない別のアイデアでトリオに参加している。彼が尊敬するベーシストには、ジャマル・トリオの先輩イスラエル・クロスビーのほか、40年代の地味なジョージ・デュヴィヴィエとミルト・ヒントンを挙げている。

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「ポインシアーナ」には『アット・ザ・パーシング』の3年前、ドラムスの代わりに電気ギターを加えたトリオの録音がある。ナット・キング・コール・トリオの編成である。キング・コールは軽快なギターと静かなピアノの洗練を極めたコンビネーションのうえで、ヴォーカルをさりげなく加える芸(あえて「芸術」と呼ばない)を完成させたが、ジャマルは歌わずピアノに集中した。レイ・クロフォードのギターがキング・コール・トリオに似て、元の旋律をつかず離れずの間合いでフレージングしているが、弦をたたいてボンゴのような効果を出して、ベースに絡む部分もある。ジャマルのアフロ・カリビアン・リズム志向(嗜好)の表われで、他にもマラカスを全面的に使った1958年録音の「タブー」で聴ける。そうしたリズムの強調(協調)の延長に、21世紀によくトリオに招かれた4人目のメンバー、マノロ・バドレナのパーカッションがあるだろう。シンバル・レガートで、特定のシンコペーションつきのパターンを守るスウィング、ハードバップの系列から遠いのは歴然としている。

同じギター入りトリオは、当時注目のサード・ストリームをレーベル側が意識し、『新しいジャズのための室内楽』と題してアルバムを送り出している(元は1955年発売の『アフマッド・ジャマル・プレイズ』を題名変更)。サウンドは同時にクール・ジャズの一翼を担っていた。マイルスは1953年、ジャマルをシカゴで聴いた姉が興奮の電話をかけてきたので聴いてみると、音のすき間(スペース)の考え方、タッチの軽さ、控えめぶり、ひとつずつの音符やコードやモチーフのフレージング、そのすべてに魅了されたという(『クールの誕生』の録音は1949-50年、発売は1957年)。

Ahmad Jamal Trio / Complete Live at the Spotlite Club 1958 (Argo → Gambit)

ジャマル・トリオのワシントン・ライブ『アット・ザ・スポットライト』(1958)中の「枯葉」を聴くと、控えめな作りで、同じ年のマイルスのミュート演奏(キャノンボールとの協演『サムシン・エルス』収録)に思いが飛ぶ。評論家がジャマルを評して「少ないは多いless is more」としゃれて言うのは、弾きまくることが少なく、すき間が多く聴こえるからだろう。モンク風の和音やフレーズが繰り出される瞬間もあるが、それをヒントにアフマッドの独創=独走が始まる。同じライブでドラマーがブラッシングを使う数曲―「It Could Happen to You」「That’s All」「Secret Love」「Seleritus」―がそのお手本で、ピアノのフレージングは短いが、音数が少ないわけではない。予想しづらくスリルがある。ピアノなしで演奏が進む間合いが雄弁で、そこにサイドメンの芸が発揮されている。「枯葉」の途中からテンポを上げ、オリジナルのベースライン反復に向かいそのまま終わる。別の曲といってもよいぐらいだ。実際トリオには歌ものメドレーが多く、コーラスを単位として弾き通すのとは違う美学がはたらいている。ちなみに「枯葉」はフランス・ツアーの定番で、「ポインシアーナ」と同じぐらいたくさんの録音がある。

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ジャマルにはクールに収まらないビート感があり、生まれ故郷ピッツバーグの高校の先輩、エロール・ガーナーの影響を当人もジャズ評論家もよく語っている。アート・テイタムが開拓した右手のソフトなタッチと、ストライド・ピアノに遡る左手のたくましい和音+ベース音の合体は、同じ頃に百万枚を売ったベストセラー『コンサート・バイ・ザ・シー』(1955)の魅力で、強力な左手リズムと、右手高音部の正確な打鍵とフレーズ作りの組み合わせの妙は、後輩に受け継がれている。スピード感と滑らかさで88鍵上を踊っても、見せびらかしにならない。ガーナーはよく「ビート遅れ」と評され、メトロノームの刻みから外れる個性的なリズムが名刺代わりだったが、ジャマルもまた、4ビートにもカリブ風にもはまらないノリとズレを好んだ。ガーナーは楽譜を読めないことから独自の和音・フレーズ展開を編み出したと言われるが、ジャマルは楽譜を読みこんだうえで、新しいアイデアをピアノから弾き出している。

彼は1998年、フランスのジャズ雑誌に即興の哲学を語っている。「すべての音楽家は即興しています。モーツァルトもバッハもリストも即興していました。即興がジャズ特有と考えるのは根本的に間違いです。楽譜が最終的な記録といっても、紙のうえの書きものでしかありません。それ以外はすべて即興なのです。モーツァルトの仕事の本質はまったく知られていません、まったく書かれていないからです。どんな音楽家も心から湧き立つことをすべて書くことができるわけではありません。書かれた音楽のまんなかに独りで演奏できるような部分があります。そこに即興の別の側面があるのです。弾いていることを書く時間がない瞬間にしかソリストにはなれません。そこにこそジャズの魅力があるのです。即興のなかの即興なのです」。

音にする/音符に書く直前、望みの音が頭をよぎる瞬間を「即興」の言葉に言い含めている。音楽が誕生する根源にクラシックもジャズも演奏の本質は共有している(似たことはランディ・ウェストンが著作に書いている)。指なりペンに音が託される瞬間に、その先がどう構成(作曲)されるかでふたつの音楽は分かれる。彼はこのように書くことが作曲するとして重んじられるヨーロッパの伝統と、曲を書きつつ、その場の演奏に重きを置くアメリカの伝統の重なりと隔たりについて演奏者として思索していた。ジャズは即興性を強調する。そこに魅力がある。ジャマルはこの解釈と即興の緊張関係を、何事もないかのように満面の笑みで演奏してきた。

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Ahmad Jamal at the Top: Poinciana Revisited (Impulse!, Recorded 1969)

「ポインシアーナ」の新展開はインパルス盤『アット・ザ・トップ ポインシアーナ・リヴィジテド(ポインシアーナ再訪)』(1969)で聴ける。タイトルに入れるほど、レーベル側はこの曲を彼のオハコと認めていた。そこでは元旋律はほとんど出てこないが、流れを認識でき、曲のコード進行と旋律の断片に帰ってくるとヴィレッジ・ゲイトの聴き手は安心しているようだ。メンバーは原曲と応用編の往復にぴったりついてくる。ピアノにはマイルス=ハンコック以降のモード構成に近づく展開もあり、語彙の幅を拡げている。

ずっと後だが、2012年パリの再演では元歌にもっと頻繁に戻りながら、編曲されてブロックにはめ込み、モードを使った即興も小出しにする(『フィーチャリング・ユセフ・ラティーフ』)。ドラムスとパーカッションのための山場も用意している。映像を見ると、ご機嫌な御大が人差し指一本で指揮している。フォルティシモで聴衆を引き込むピアニストは多いが、ジャマルはピアニシモで耳を緊張させる。なにげなさそうなフレーズを聴き逃すまいと注意を払うからで、その合間によく知った旋律を小出しにして安心させる。気持ちが緩むや分厚いコードの炸裂で別の高まりに誘う。この82歳の「ポインシアーナ」を円熟と呼んでよいのかどうか分からない。

The Ahmad Jamal Trio / The Awakening (Impulse! Recorded 1970)

『ポインシアーナ再訪』に続くインパルス盤『アウェイクニング』(1970)は、よく彼の代表作として挙げられる。覚醒とも悟りとも訳せる冒頭のジャマル作のタイトル曲は後から見れば、その新出発の宣言のようにも聴こえる。複数のブロックを組み合わせ、目まぐるしく変わるリズム、テンポを変えていくフレーズをつなげていく作品は、歌ものとは根本から違う。この時期から自作の割合が増すが、いずれも節を口ずさむことがほとんど不可能な作りで、キング・コールやガーナーの「アメリカ古典歌曲」路線から離れていくことが明らかだ。ここではハンコックの「ドルフィン・ダンス」(1961)、オリヴァー・ネルソンの「ストールン・モーメンツ」(1965)、ジョビンの「ウェイヴ」(1967)のようなジャズの新しい潮流に属す曲に、元メロに添いつつ外れる従来のアイデアを応用している。トリオの新境地である。

「ウェイヴ」の場合、山ほどのボッサ・ジャズ版とはまったく違い、オリジナルの反復パターンがイントロの域を超えて1分以上続き、やっとアストラッド・ジルベルトが聴こえてきそうな馴染みの一節が浮かび上がっても、サビに進まず、トリオで遊ぶ。時折原曲にもどる。ジョビンの歌はアメリカの歌ものとは別の発想(よく印象派的と評される)で書かれているが、それを展開することはなく、ジャマルは好きに料理している、ないし解釈している。イントロのパターンが弾きこまれたところで、ジョビンの歌い出しが一小節だけ顔を出して演奏が終わる。中断されるといった方が、不意討ちの印象を正しく伝える。ブラジル好きにすれば「ボサノヴァじゃない」。ついでだが、ジャマルはジョビンの「想いあふれて」「ハウ・インセンシティヴ」を録音している。合衆国外の作曲家としては特別扱いで、ブラジリアン・クラシカル・ミュージックと評価していたのだろう。

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21世紀のアルバムでひときわ独創的なのは、フランスのドレイフュス・レーベル制作の『アフター・ファジル』(2005)と思う。ライナーノーツのなかでジャマルは、非常に時間をかけたので『アット・ザ・パーシング』に並ぶ歴史的盤になると自負している。タイトルのファジルはイスラムの夜明け前の祈りを指し、信仰をこれほど表立って表明したことはそれまでなかった。そのタイトル曲は知る限り唯一のヴォーカル入りで、自身の歌詞はその祈りを歌っている。「朝とても早くに 夜明け前に感じられる何かがある ファジルは近い ファジルはここに ファジルはもうそこに 友よ 夜明けの前に天使が 現れる 朝が来る前の祝福のすべてを連れて・・・ファジルのあとで 我々は美への道を見つけるだろう この世のやるべきことをやって笑顔を見せるだろう」。

白い胴衣に白い鳩を肩に乗せたジャケット写真は、メルボルン・フェスのプログラムで見覚えがあった。熱演恍惚かご機嫌顔が好まれるジャズメンのポートレイトのなかではずいぶん異色で、タイトル曲のメッセージをきっちり伝えている。伝書鳩に見えてくる。このピアニストは鳥と話ができ、鳩のために弾いている。彼は音楽の平安と心の平安は一つながりと語り、「静かな時」「平安」「満開の花」を次のフランス制作盤『クワイエット・タイム』(2009)に収めている。一続きのフランス作品として聴いてはどうだろう。

『アフター・ファジル』の最後のトラックは自作「マンハッタン・リフレクションズ」で、解説によればニューヨーク時代、1960年代に書かれた。マイルスの同時代曲「ソー・ホワット」と似たモーダルなフレーズの半音移調で構成されているが、どこまでが用意されたテーマかその場のアレンジか分からない。決まったコード進行も聴き取れない。即興のなかの即興というのだろう。ネットには1971年、初フランス・ツアーの際、テレビで同じ曲を演奏した映像が上がっていて、移行期の現場報告としてわくわくさせる。30年後の映像と似た身振り、目線があるとなぜか嬉しくなる。予測不可能性のダイナミズムは客受けがよく、その後の深く、途切れないフランスつながりを予告している。

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ジャマルはよく「お気に入りのアルバムは?」と訊かれるが、いつも「次のアルバム」と答える。こう『アフター・ファジル』のライナーにはある。未発表録音がこれから続々公開されるだろうが、彼自身の「次のアルバム」が出ることはない。白い鳩とセッションしているのを瞼に浮かべながら、もう一度このアルバムを聴き直したい。

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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