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R.I.P. ペーター・ブロッツマンGUEST COLUMNNo. 308

追想ペーター・ブロッツマン #4 by 八木美知依

ジャンルを問わず、“自分の音楽”を貫く。このような決心をして約30年近く経ちましたが、なにせ私は箏では、奏者、手本となるような先駆者は殆どおらず、他の楽器を参考にするしかありませんでした。そんな中、ペーター・ブロッツマン、ポール・ニルセン・ラヴとユニットを組んでツアーやレコーディングが経験出来たからこそ現在の自分があると思っていますし、 “Brötzmann, Yagi, Nilssen-Love”(以下BYN-L)というトリオは私にとっていつまでも特別な存在であり続けるでしょう。

前回まではBYN-Lの欧州での活動を中心に書いてきましたが、日本ではこのメンバーだけでなく、さまざまな編成でペーターと共演しました。中でも思い出深いのが2007年の春に東京で開催された『ブロッツフェス 2007』と『ポール・ニルセン・ラヴ〜ピット・イン・セッションズ』でした。これらのイヴェントをきっかけにペーター・ブロッツマンの来日公演に対する注目度が格段にアップしたと思います。

ペーターは愛日家で、特に80年代以降は頻繁に単独で来日するようになりましたが、あまり共演メンバーに変化がなかったからか、それとも単純にフリー・ジャズに対する関心が薄れてきたからか、徐々に客足が遠のき、本人もいささか不満とマンネリを感じていたようでした。そんなペーターの様子を特に気にしていたのが夫のマーク・ラパポートでした。ある来日時、あれは確か2003年頃、場所は法政大学学生会館大講堂だったと記憶しますが、終演後、会場の片隅の床に座り込み、疲れ果てた表情でぶつぶつと文句を言っているペーターにマークが声をかけたのが始まりでした。それまで2人はあまり言葉を交わすことはなかったのですが、これを機にとても親しくなり、2006年にペーターはブッキングの協力をマークに依頼し、以後約10年間、プロッツマンの来日公演の大半をマークが仕切ることになりました。

2007年3月28日、六本木スーパー・デラックスで開催された『ブロッツフェス 2007』はペーターのデビュー作『For Adolphe Sax』のリリース40周年を祝うイヴェントとして企画され、ドラムス好きのマークの「ブロッツマンが3セットそれぞれ異なるドラマーと共演」という強い要望を実現。ファースト・セットは芳垣安洋+ナスノミツルとのトリオ。セカンド・セットは山木秀夫、近藤等則、そして私とのカルテット。サード・セットはポール・ニルセン・ラヴとのデュオ。私とポールは一応 “サプライズ・ゲスト”扱いでしたが、観客が入場する時点でポールはバーでビールを飲んでいるし、ステージ横には私のデカい楽器が2面置いてあったので、最初からバレていましたね。(笑)。平日の夜にも関わらず会場は超満員となり、終始熱い演奏に観客はとても満足していたようでした。個人的にはこの上なく凄いメンバーと共演させて頂き、とても光栄でした。また、サウンドチェックではぶっきらぼうであった近藤等則さんが本番では、私の音に寄り添ってくれた事が印象的でした。

ペーターと同時に来日したポールをヘッドライナーとした『ポール・ニルセン・ラヴ〜ピット・イン・セッションズ』は新宿ピットインで2日間に分けて開催されました。3月30日はBYN-L、31日はポール、大友良英、ナスノミツル。両日ともシークレット・ゲストを入れることになり、30日は坂田明さん、31日は(言うまでもなく)ペーター自身でした。

坂田さんの参加はドラマチックでした。企画時点でペーターからマークに「サカタはどうしてる?元気なのか?」という問い合わせがありました。坂田さんは2002年に脳内出血を患って以来、水泳などのリハビリを続けながら徐々に復帰に向かっていたものの、さすがにブロッツマンと並んで吹いていただくのは、この時点では不安がよぎります。マークは坂田さんに電話をし、私はそばでそのやり取りを聞いていました。

「大将、マークですが」
「おう、どうしよるんの」
「ブロッツマンが3月に来るんですが、大将と一緒にやりたい言うて」
「ブロッツかぁ!う〜ん、出来るかのぉ…。ちょっと考えさせてくれ。後で連絡する」

そして1時間後、マークに折り返しの電話がありました。
「おう、やるわ」と。

3月30日の衝撃は鮮明に覚えています。私がペーターとポールと一緒に演奏するのはコングスベルグ以来、まだ2回目でした。サウンドチェックではピットインの空気や壁を振動させる2人の轟音がほぼ規格外で、私なんてまだまだ、と思いながらも、嬉しさと希望が湧いてきました。しばらくして坂田さんが会場入りするや否や、ペーターの新しいテナー・サックスを物色、呉訛りの見事な英語で「ヘイ、ブロッツ!ユー・ハブ・ニュー・ホーン!」とかまし、雰囲気は一気に和やかになりました。ペーターと坂田さんが並んで吹くと、ある程度PAで音量調整が出来るものの、まだ絶好調ではない坂田さんのアルトとペーターのテナーとの間にはかなりの音量差がありましたが、音域の違いがあってか、あまり気になりませんでした。

そしていよいよ本番。ペーターはテナー・サックス、メタル・クラリネット、そしてタロガートを持参しており、加えてアルト・サックスも私どもの知人から借りていました。坂田さんがいらっしゃるので「今日はアルトは吹かないだろう」と思っていたら、なんと真っ向から坂田さんにアルト演奏をぶつけたのです。さぞかし観客は驚いたでしょうし、中には非情と思った人もいたかも知れません。実はペーターのアルト音はテナーよりも大きくて耳をつんざく様な音量です。あえて同じ楽器を手に取り坂田さんを煽るペーター。私だけでなく会場中の人々がそれを激励と確信しました。坂田さんご自身もそのように理解されたようで真正面から受けて立ち、圧巻の演奏をされました。後のインタヴューなどで坂田さんはこの日ペーター・ブロッツマンから受けた大いなる刺激に救われた、というようなことを仰られています。

翌2008年9月21日〜25日、マークは更に大それたブロッツマン絡みの企画を実現させました。『東京コンフラックス2008』は都内の会場3ヶ所で開催された5日間に渡るフリー・ジャズ・フェスティヴァルで、出演者はペーター・ブロッツマン、ポール・ニルセン・ラヴ、ケン・ヴァンダーマーク、マッツ・グスタフソン、インゲブリグト・ホーケル・フラーテン、ジム・オルーク、田中徳崇、灰野敬二、私、そしてスペシャル・ゲストとして坂田明。マークは企画・制作、ハコやホテルのブッキング、広告/プロモーション、(来日組の空港送迎や楽器運搬を含む)運転手、MCなどを1人でこなしました。

ペーターは公園通りクラシックスでThe Fat Is Gone(ペーター、ポール、マッツからなるトリオ)として出演、新宿ピットインではThe Thing(マッツ、インゲブリグト、ポール) + Ken Vandermarkと共演。そして最終日は前年同様、スーパー・デラックスで3セットを異なるメンバーで吹きまくる『ブロッツフェス 2008』。ファーストはブロッツマン+灰野デュオ、セカンドはSonore (ペーター、ケン、マッツ)+坂田明、そしてサードはBYN-Lでした。もちろん会場は満員。たのしかった!
『東京コンフラックス 2008』は大盛況でしたが、やはり1人でフェスを運営するのは大変だったようで、多くのファンの要望にも関わらず、マークは「2度とやらない」と宣言しました。

ちなみにフェス中、ペーターは信じられないくらい機嫌が良く、同年の欧州ツアーとはまるで別人でした。ところが…

コンフラックスの興奮止まぬままBYN-Lは『スピリット&パワー 2008』と名付けられた地方都市3公演に出向き、9月28日(日)京都Club Metroと9月29日(月)大阪Nu Thingsではケン・ヴァンダーマークがゲスト参加しました。そして最終日の9月30日(火)、場所は名古屋Tokuzo。ペーターは大阪の会場で焚かれていたお香のせいで肺の調子が良くなく、開演前から不機嫌。「体調が悪いので40分くらいの演奏を2セットやりたいと言ってきました。ところが私は「OK OK」と答えながらちゃんと聞いてなく、演奏が始まると興奮しすぎて我が身を忘れ、途中から暴走気味。後で知ったのですが、50分経過した頃からペーターの顔が赤くなり出し、1時間ほど経過すると私や客席のマークを睨みつけながら吹いたり怒鳴ったりの繰り返し。マークは私の前の床に座り、写真を撮るふりをしながら必死で私の気を引こうとするも、箏奏者はいつも下を向いているので目が合わず、私はどえらい状況(名古屋弁)にまったく気づかない始末。ポールが何度か叩くのを止めたらしいけどそれも効果なしのトランス状態。やっと75分ほど経過したところでマークが首に平手を当てる「カット、カット」ジェスチャーが目に入り、びっくりして怒涛の17ベース箏オスティナートをストップ。やっと。

ペーターとポールはさっさとステージを去り、観客は終わったのか休憩なのか分からずキョトン。恐る恐る楽屋に行くと「これで終わりだ。No more koto!」とペーターが地団駄踏んで怒っている。ポールも「どうなってんだ!」と呆れている。ああ、これで私のフリー・ジャズ歴は終わりだ、と思いました。

翌日、4人一緒に車で帰京、車内ではみんなほぼ無言。沼津で刺身定食を食べた時の気まずい事と言ったらありゃしません。本当に終わったんだなぁ、と、ひどく落ち込みました。

数日後、何事もなかったようにペーターから「オーストリアとトルコに行こう」という電話がありました。心の中でガッツポーズ!(つづく)

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八木美知依  Michiyo Yagi   箏、21絃箏、17絃箏、18絃箏、エレクトロニクス、voc
邦楽はもちろん、前衛ジャズや現代音楽からロックやポップまで幅広く活動するハイパー箏奏者。故・沢井忠夫、沢井一恵に師事。NHK邦楽技能者育成会卒業後、ウェスリアン大学客員教授として渡米中、ジョン・ケージやジョン・ゾーンらに影響を受け、自作自演をその後の活動の焦点とする。世界中の優れた即興家と共演する傍ら、柴咲コウ、浜崎あゆみ、アンジェラ・アキらのステージや録音にも参加。ラヴィ・シャンカール、パコ・デ・ルシアらと共に英国のワールドミュージック誌『Songlines』の《世界の最も優れた演奏家50人》に選ばれている。

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