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InterviewsNo. 254

Interview #184 香村かをり(韓国伝統楽器奏者)

香村かをり Kaori Komura
東京生まれ。韓国伝統打楽器奏者。サムルノリに魅了され1988年2月に渡韓、音大の伝統音楽科 (國楽科) の打楽器を専攻。2000年に帰国。Asian Fantasy Orchestra、ひゃんぱらむ公演等に参加。調布サムルノリ主宰。サムルノリの創始者・金徳洙師から正式な弟子と認定された数少ない日本人のひとり。2019年6月、ソウルからトランペッターの崔善培(チェ・ソンベ)氏を招聘、ツアーを企画・制作すると同時に自らも共演する予定。

Interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌 via emails, May 31, 2019

 

 

♫  崔善培(チェ・ソンベ)氏を招聘手伝いのつもりが自ら共演することに...

JazzTokyo : 6月末からソウルのトランペッター崔善培(チェ・ソンベ)さんを招聘されますが、経緯を教えてください。

香村:2018年6月、ソウルで崔善培先生にお会いした時、「最近、即興の仕事がない」と寂しそうにしていらして、私がソウル留学中にあんなにお世話になった方に何か恩返ししなくてはと思い、帰国後、すぐに梅津和時さんに相談し、共演OKをいただきました。また、ちゃぷちゃぷレコードの末冨さんとも相談し、日本にお呼びすることにしました。具体化するにはそれから数か月かかったわけですが。

JT:ソンベさんは1985年の「Tokyo Meeting 1985」に姜泰煥トリオ(ソウル・ジャズ・バンドと告知されていた)の一員として初来日されていますが、その時は聴いていますか?

香村:いいえ、全く韓国に関して知識がなかった頃でした。

JT:今回は、15年振りの来日ですが、香村さんはツアーの5回すべてに共演されますか?

香村:5回の内、4回共演します。最初の予定では渋谷の1回だけのつもりだったのですが (笑)。

JT:5回すべて共演者が異なりますが演奏はすべて即興になりますか?

香村:はい。すべて即興です。

JT:香村さん自身は共演は今回が初めてですか?

香村:はい。もともと招聘のお手伝いをするだけのつもりだったのですが、先生が「かをりと演奏したい」とおっしゃったので、1回だけのつもりで決心しました。。

JT:香村さんは楽器は何を演奏されますか?

香村:韓国の伝統打楽器をいろいろ演奏します。

JT:ソンベさんはソウルではどのような演奏活動をされているのですか?

香村:日本でもそうですが、韓国は日本よりさらにフリー・インプロヴィゼーションを演奏する環境が少なく、理解者もあまりいないと聞いています。崔善培先生は、米軍のジャズホールで働いていらした経験から、スタンダードも含め、切り口を多く持っていらっしゃるので、フリー以外の演奏を主にしています。

JT:韓国での伝統的な民族楽器とジャズの即興演奏の共演の現状はどうなのでしょう?

香村:ジャズに限らず、「作曲された楽曲」の共演はありますが、「即興」に限って言えば、あまりないと言えます。

JT:山口県防府市のレコード・レーベル ChapChap Musicは1985年に初来日した姜泰煥トリオを非常に高く評価しており、それぞれのアルバムを何点かリリースしています。

香村:はい。オーナーの末冨健夫さんは、今回の企画のブレインのおひとりです。

JT:リトアニアのジャズ・レーベル NoBusiness Recordsも日本と韓国のインプロを非常に高く評価しChapChap Musicとライセンス契約、一昨年からシリーズ発売しています。基本的にCDとLPの2本立てでしたね。

香村:末冨さんの長年にわたる努力が、再び陽の目を浴びましたね。
♫ ツアー詳細:https://www.facebook.com/choi2019tour/

♫ 「あの地に渡り、あの地の『氣』に触れて人生を終えたい」とまで思い渡韓した

JT:香村さんがいわゆるキム・ドクス(金徳洙)師の「サムルノリ」(四物遊撃)に興味を持たれたのはいつ頃どのようにしてですか?

香村:当時、「人にとって音楽とは何か」というテーマを持っていた私は、いろいろな国の民族音楽を聴いていました。その内の一環として、1986年5月の「サムルノリ」世田谷美術館公演を観に行き、その日から人生が全く変わりました。

JT:どのように人生観が変わったのですか?

香村:「人生観」ではなく、私の人生そのものが変わりました。その時から、人生のすべてをかけて、韓国と関わるようになったし、一生そうして生きて行きたいと思っている…というか、それが私の運命だと思うようになりました。

JT:当時「サムルノリ」が長野県の美麻村の廃校で主催していたワークショップに参加されましたね?

香村:第1回目 (1987) は最終日の公演を見に、第2回目 (1988) はソウルからワークショップに参加しました。

JT:パルパル・オリンピック(1988年ソウル・オリンピック)の前後は「サムルノリ」が盛んに来日していましたが、公演には出かけていましたか?

香村:状況の許す限り、行ける公演はすべて行っていました。

JT:その後、渡韓することになるわけですが、いつ、どのような決心をされたのですか?

香村:初めて「サムルノリ」を観た 1986年から、「行かないと病気になる」というほど強い願望があり、最初から、「あの地に渡り、あの地の『氣』に触れて人生を終えたい」とまで思って行きました。骨をうずめる覚悟で、1988年2月に渡韓しました。

JT:ソウルでは誰について修行を積んだのですか?

香村:当時、金徳洙(キム・ドクス)、李光壽(イ・グヮンス)、崔鐘實(チェ・ジョンシル)、姜旻奭(カン・ミンソク)の4人の先生がサグループ(サムルノリ)のメンバーでした。しかし、男寺黨(ナムサダン)以来の慣習なのか、共に演じて回るプロの演奏家でないと弟子にはしない方針でした。仕方なく、いつの日か弟子入りする日を待つため、音大の伝統音楽科 (國楽科) の打楽器専攻に入りました。

JT:結局、正式な弟子と認定されたのですか?

香村:はい。大学を出てしばらくしてから金徳洙先生に認定していただきました。稽古場には出入りして、他の「正式な」お弟子さんと一緒に練習したりしてました。でも、正式なお弟子さんさえ、先生はレッスンはしません。自分たちの演奏を見て覚えろという昔ながらのやり方で、手とり足取り教えてくださいません。時々「違う!」と手直ししてくださるくらい。ましてや正式な弟子でなければ、それさえ機会がほとんどありませんでした。見てくださるのは、ワークショップの時だけでした。ただ、先生たちの(例え短期でも)ワークショップに出て、ずっとずっと熱心で先生として敬い、礼儀を尽くしていたら、「弟子」と呼んでくださいます。ましてそれが数年にわたって忍耐強く待ち続けたら、いつかは認めてくださる…そういう経緯でした。とくに、私が他の先生につかず待ち続けたのが大きかったと思います。

JT:他に外国人の弟子はいたのですか?

香村:その頃出入りしていた日本人は、誰も弟子と認定されていません。もともと外国人を弟子とするのは稀です。海外マネージャーを務めていたスーザンさんと、他は数えるくらいでしょう。

JT:「サムルノリ」を構成するチャンゴ(杖鼓)について簡単に説明してください。

香村:日本の鼓(つづみ)を大きくしたような砂時計型の両面太鼓で、犬・馬・牛・羊の皮を張っており、バチや手で叩いて鳴らします。韓国のほぼすべての音楽 (雅楽からお祭り音楽まで) で使われる重要な楽器で、リズムの型を構成するベースとなる楽器です。「サムルノリ」音楽においても、そうです。

JT:次に、ケンガリ(鉦)についてお願いします。

香村:小さな銅鑼ですが、特徴的なのは、外側を叩き、同時に内側を手でミュートしたりオープンにしたりして細かく多彩な音を出すことです。高音パートを担い、「サムルノリ」音楽に色彩を与え、次のリズムに移る時などの合図を出してリードするのもケンガリです。

JT:それから、チン(銅鑼)について説明願います。

香村:大きめの銅鑼です。1リズム型 (チャンダンという) の枠組みを知らせる楽器です。基本リズムでは頭に1回、複合リズムでは構成要素のリズムに1回打ちます。

JT:香村さんは、今回のツアーで上記のチャンゴ、ケンガリ、チンと鈴を演奏される予定ですが、この3種の楽器はソウルで同時に修得されたのですか?

香村:チャンゴ、ケンガリ、チンは、「サムルノリ」を構成する4つの楽器の内の3つですが、「サムルノリ」を学ぶ者は、4つとも修得するのが基本です。そこからそれぞれ得意楽器に移るのが一般的です。ですので、4人の誰でもある程度打てます。「鈴」と書きましたが、「鈴」以外、つまりサムルノリ以外の打楽器をいろいろ演ってみるつもりなのです。(「鈴」はシャーマンの「鈴」です。日本の巫女舞の鈴によく似ていて、北方シャーマニズムに共通した楽器です)

JT:「サムルノリ」は、1980年にキム・ドクス(金徳洙)師が結成、日本でも一大ブームを巻き起こしましたが、「サムルノリ」が日本の音楽シーンに与えた最も大きな影響は何だと思いますか?

香村:「韓国の音楽の豊かさ、魂を揺さぶる深み」を日本に、世界に知らしめたことでしょうね。

♫ 日韓は違いを楽しみ、共通を分かち合える関係になれると思う

JT:出身はどちらですか?

香村:東京です。

JT:音楽に関係するご家庭でしたか?

香村:いいえ。

JT:音楽に興味を持ち始めたのは何歳ごろ、どんな音楽でしたか?

香村:中学に入って、ロックを聴き始め、学園祭バンドを組んだころでしょうか。私立中高一貫校なので、同バンドは高校まで続けました。
高校生くらいから、ライブハウスで演奏するようになりました。デビューは、吉祥寺にあった「マイナー」というところ。灰野敬二さんや山崎春美さん、じゃがたらなどがよく出演してました。即興演奏を始めたのはそんな時代でしたね。

JT:香村さんの担当楽器は何だったのですか?

香村:もちろんドラムです!

JT:専門の音楽教育を受けたのはソウルが初めてですか?

香村:専門の?本格的という意味でしょうか?「サムルノリ」に出会う前に、邦楽 (つまり日本の民族音楽) を知りたいと思い、(日本の) 胡弓を日本音楽集団の先生について学びましたが、「サムルノリ」に出会ってしまい… (笑)
幼いころのピアノ教室とか誰でも経る過程は経ました。(笑)

JT:帰国後は演奏の機会がありましたか?

香村:帰国するつもりはなかったのですが、2000年に里帰り出産のまま、韓国に帰れなくなりました。そのショックで、音楽だけでなく「韓国」と付くものはすべて、辛くて遠ざけていたので、ありません。

JT:現在、調布サムルノリを主宰されていますね。調布サムルノリについて簡単に説明願います。

香村:2008年に、金徳洙先生から「趣味でもいいから、またチャンゴを演りなさい」と言われ、昔の勘を取り戻すため、調布市民会館で一人で練習していたころ、「もし興味のある人がいたらどうぞ体験してみてください」と2013年にチラシをまいたのがきっかけです。

JT:大学の卒論に「日本におけるサムルノリの活動」をテーマに選択されたとのことですが、リサーチの結果どのような結論が得られましたか?

香村:この論文は大きく二つに分かれていて、「サムルノリ」が熱狂的に受け入れられた1980~1990年代に「サムルノリ」に触れた人々はどう感じ、どう広まっていったか、という面と、その後の日本の文化の一部となった「サムルノリ」を楽しむ人々の動向をさぐるという構成になっています。ただ、ほとんど事実関係をまとめるだけで汲々としてしまい、指導教授から論文終了後に、「一つ一つをもっと掘り下げて本として出すといい」とアドバイスいただきました。激励の意味でしょう、優秀論文にも選んでいただきました。

JT:日韓の音楽交流についてどのようにお考えですか?

香村:日韓は、文化現象すべての面において、あまりにも近い。ここ3000年間に血もたくさん混じっていて、文化的にも分けては語れないほどなのに、いや、それ故か、あまりにも簡単に問題に発展してしまう。しかし、政治がいくら危機を煽り立てても、好きな人は軽く海を越える。情報交流が盛んになった今、違いを楽しみ、共通を分かち合える関係になれると思います。

JT:今後の活動予定についてお聞かせください。

香村:韓国伝統音楽の小規模公演 (ライブハウス・レベル) を続けたいです。

JT:最後に夢を聞かせてください。

香村:奈良に移住して、音楽だけでなく韓国伝統文化総合に触れられる「場」を作りたいです。奈良は古代、九州北部と並ぶ最も半島の血の濃い地域。そこで長い時間を経た文化を見てもらいたいのです。

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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