JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 48,684 回

InterviewsNo. 260

Interview #198 ドラマー/パーカッショニスト「ラモン・ロペス」

photo above by CHRISTOPHE CHARPENEL

ラモン・ロペス Ramon Lopez
1961年、スペイン・アリカンテ生まれ。ドラマー、タブラ奏者、ペインター。
1985年1月、当時のスペインのジャズ・シーンに飽き足らず、パリへ移住。ジャズとインド音楽、タブラの追求に励む。1997年、英Leo Recordsからドラム・ソロのアルバム『Eleven Drum Songs』をリリース。2008年、フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエ叙勲。2019年5月、LIBRAから藤井郷子pとのデュオ・アルバム『Confluence』をリリース、同年9月初来日を果たす。

♫ 日本のオーディエンスはまさに模範的だった。

Part 1

JazzTokyo:9月に12日間で9回のコンサートとギグをこなされましたが、ツアーを通しての感想を聞かせてください。

Ramon Lopez:素晴らしかった!とてもエキサイティングだったよ。ほとんど連日ライヴがあり、毎日われわれの新曲を演奏していたからね。日本という美しい国を知っていく、とてもユニークな機会だった。

JT:なかでもいちばん印象的だったライヴはどこでしたか? そして、その理由は?

Ramon:ツアーのなかからひとつだけと言われると選ぶのがとても難しいね。どこのヴェニューもオーディエンスも暖かく迎えてくれたからね。正直なところ、「Jazz Art せんがわ」は、来日して最初のコンサートだったので特別な感興を覚えたことはたしかだ。それと、Jazz Spot Candyの雰囲気にもとても心打たれたね。とにかく、いちばん印象に残っているのは毎日移動を続けながら演奏を続けたことだね。

JT:鶴岡でのギグでは、地元のサックス奏者とチェリストが参加しましたね。

Ramon:そうそう、パリから日本に入って翌々日だった。日本のオーディエンスの前で初めて自分のドラムセットに座って感動したね。やったぜ!という感じ。サトコ(藤井郷子)とナツキ(田村夏樹)とのトリオでも初めてのギグだったし。僕はナツキとは手を合わせたことはなかったんだ。ユーグ・ヴァンサン (cello)と松本健一(sax) とのデュオも初めてだった。どちらのデュオも素晴らしかった。デュオの2セットが終わったあとのクインテットも素晴らしかった。

JT:私が聴いた「JazzArtせんがわ」では、ずっとトリオ演奏でしたね。

Ramon:「JazzArtせんがわ」に参加できたのは、とても誇らしかった。たしかに、コンサートを通してトリオで演奏したのはこれが初めてだった。終わって、3人ともとても興奮していたことを覚えている。初めての顔合わせでとてもうまく行ったので、これから先はこれをどうやってさらに発展させていくか楽しみだった!

JT:神戸の Big Appleではレクチャーもありましたね。日本のオーディエンスとうまく意思の疎通が図れましたか?

Ramon:素晴らしかったよ!特別な瞬間だった。演奏のあとでオーディエンスと会話を交わすというのはあまりないことだからね。音楽だけではなく、われわれの出会いやトリオの歴史、ひいてはわれわれの人生についてまで質問が及んだのはとても興味深かった。僕の音楽形成に影響のあった音楽、とくにインド音楽、また僕が30年近く演奏しているタブラについての質問もあった。会場にはミュージシャンもたくさんいて、質疑応答はとても和やかな雰囲気のなかで行われた。
神戸についてはちょっと触れたいことがあるんだ。僕は20年、空手をやっている。スタイルは糸東流(しとうりゅう)修交会だ。この糸東流修好会は神戸で谷長治郎先生が創設したものなんだけど、先生は惜しくも1998年1月に亡くなっている。ツアーの途中、神戸で2日間のオフがあり、幸いにも僕は、谷先生の未亡人に会い、本部道場を訪ねることができたんだ。僕の日本滞在中、いや人生でもっとも感動的な体験となった。

JT:日本のオーディエンスはどうでしたか? ヨーロッパとは違っていましたか?

Ramon:日本のオーディエンスはまさに模範的だった。熱心に耳を傾ける態度、ミュージシャンに対するリスペクト、いずれもヨーロッパではあまり経験しないね。
僕らがコンテンポラリー・ジャズやインプロヴァイズド・ミュージックを演奏する場合、オーディエンスの聴取態度やヴァイブレーションは音楽の一部とも言えるほど大切なんだ。ミュージシャンとオーディエンスが一体化できると、ぼくらはさらに自由になり、音楽はさらに飛翔することができる。

JT:日本国内の移動は、交通手段、宿泊施設、食事などどうでしたか? 楽しめましたか?

Ramon:もちろん大いに楽しめた。サトコとナツキの段取りは素晴らしかった。北から南へ、大都市から海や山に近い村落まで日本を縦断した。いろんな発見があった。食事はどうかって? もちろん世界一だよ!

JT:日本へ来るまでの想像と現実に開きがありましたか?

Ramon:少しはあったが、当たらずといえども遠からず、といったところだね。日本、日本の文化、そこに住む人々に接するのは僕が長らく抱いていた最大の関心事のひとつだったからね。滞日中、僕を取り囲むすべてに興味があった。もっともっと、日本のひとびとから学びたい一心だ。

JT:日本に滞在中に演奏地以外のジャズクラブに出かけたり、ミュージシャンに会うなどしましたか?

Ramon:いや、残念ながらその機会はなかった。時間もなかったし。ギグに来てくれたミュージシャンとは話をする機会はあったけど。今度は彼らと手合わせもしてみたいね。そのうちにぜひ実現できるといいんだが。

JT:次の来日の機会が楽しみですね。

Ramon:どうしても日本に帰りたいね!コンサートやギグはもちろんだが、もっとひとびとと知り合いたいね。サトコやナツキとの共演はもちろんだが、他のミュージシャンとも手合わせしてみたいね。いつかはドラム・ソロのギグもトライしてみたいと思っているんだ。

♫ リスペクトとフリーダム、つまり、尊敬と自由だ。

PART 2

JazzTokyo:サトコ(藤井郷子)とナツキ(田村夏樹)と知り合ったきっかけは?

Ramon:彼らの噂は聞いていたけど、初めて会ったのは7年前にドイツのフェスティバルだった。僕は オーロラ (Aurora)というトリオ(Agusti Fernandez、Barry Guy)で出演していた。お互いに響き合うものがあって、それ以来、いつか一緒にプロジェクトをやろうと考えながら連絡を取り合っていたんだ。

JT:CD『Confluence』(LIBRA) を録音する前にはサトコとは何度か会っていたのですよね。

Ramon:いや、一度だけ。サトコの還暦プロジェクトの一環で作ったCDが最初だった。

JT:『Confuence』はNYで録音されていますが、NYへはよく出かけるのですか? NYは好きですか?

Ramon:『Confluence』を録音したのは、2018年12月12日、NYのサムライ・ホテル・スタジオ。ちょうど僕のツアー(アンジェリカ・サンチェス、ギレルモ・グレゴリオ、ジョー・フォンダ他)が終わったときにサトコがNYに着いたんだ。ベスト・タイミングだったね!
NYへは毎年出かけている。僕が大好きなミュージシャンたちがいるし、溢れるエネルギー、コンサート、エキサイティングな街並み、フランスやヨーロッパとは全然ちがうんだ。NYは大好きだよ。

JT:CDではほとんどインプロですよね? インプロには慣れているのですか?

Ramon:慣れているどころじゃないよ。インプロこそ我が人生だ!僕が通ってきた道だし、僕をいちばん魅了する音楽がインプロさ。

JT:スペイシーでシンバルのエコーも深い、あのCDで表現しようとしたものは何ですか?

Ramon:音楽を言葉で表現するのはとても難しいよ。サトコとは初めての即興の出会いだったしね。いちばん大切なのはお互いをよく聴き合うこと、お互いを信じあってね、その気持ちを音楽に託すのさ。そして音楽を自由に泳がせる...。
スペースやシンバルの深いエコーは僕がサトコのピアノから聴き取ったもの、感じたことの反応だ。ピアノの響きはとても豊かなので、微妙な陰影や響きを聴かせるためにはスペースが必要だ。シンバルの演奏はひとつの例に過ぎないけど、何れにしても心がけたことはピアノの豊かな響きを壊さないことだ。

JT:サトコの音楽性でいちばん興味のあるところはどこですか?

Ramon:彼女のすべてだ。サウンド、繊細な感受性、豊かな創造力、エネルギー、心の豊かさ...。音楽は人生を映す鏡だからね。サトコの音楽も彼女の人生を映し出している。

JT:サトコとの共演は難しくありませんか?

Ramon:とっても簡単!たとえば、『Confluence』は録り直しなしのすべてファースト・テイクで、たった1度のセッションで仕上げたんだ。サトコは僕が滅多に出会うことのない傑出したミュージシャンのひとりで、自然に僕の最良の部分を引き出してくれるのさ。

JT:ナツキはどうですか?

Ramon:サトコと同じだね。ナツキも全身全霊で音楽に傾注しているから取り組みやすいんだ。

JT:人間的な側面はどうでしょうか?

Ramon:最初に出会ったときから友だち関係になれたけど、今回のツアーが終わってからはもう友だち関係以上だね。家族の一員でいつも僕の心から離れたことがないし、今後も離れることはないだろう。

JT:彼らと演奏するときにいちばん気に入っているところは?

Ramon:リスペクトとフリーダム、つまり、尊敬と自由だ。

JT:ところで、「Jazz Art せんがわ」での演奏は録音されていたのですか? CD化できる内容だったと思いましたが。

Ramon:いや、録音はしていなかったと思う。しかし、ツアーの最後に松山でトリオで録音したので来年リリースされる予定だ。

JT:トリオでの今後の予定はありますか?

Ramon:今年の11月にポーランドのKrakowska Jesien Jazzowa Festivalに出演する予定だ。このトリオにベースのRafal MazurとクラリネットのGuillermo Gregorioを加えたクインテットでも演奏するつもりだよ。

♫ 人生のすべてを絵と音楽に捧げてきた

PART 3

JT:音楽一家の生まれですか?

Ramon:いや、僕はアリカンテ(スペイン)の写真家の家に生まれた。父親と祖父が写真家だった。アートの方向に進んだのは血筋かも知れないが、家族には音楽家はいなかった。
ここのところ、僕は音楽と絵を描くことに時間を費やしている。
絵は長年、音楽と並行して研鑽してきたプロジェクトで、絵と音楽の相互作用で共に成長してきたと思う。僕は絵を描いているか演奏をしていれば気分がいいんだ。ここ15年は本当に人生のすべてを絵と音楽に捧げてきたと言っても過言ではないと思う。このふたつは僕の人生の最後まで手放せないと思う。

JT:音楽に興味を持ち出したのは何歳頃ですか?そして、どんな音楽に?

Ramon:14歳の時だった。クラスメイトがバンドを組んだんだけどドラマーがいなくてね。70年代のロック・ナンバーを演奏していたよ。ずいぶん昔の話だ。

JT:ジャズや即興音楽はどうですか? きっかけは?

Ramon:これも昔の話になるなあ。ロック・バンドを始めて、自分たちのオリジナルも演奏するようになったんだけど、どれもロック志向の音楽だった。そのうち、ウェザー・リポートやリターン・トゥ・フォーエヴァー、マイルスの電化バンドの波が押し寄せてきて、そこからだね。ジャズに興味を持ち出して、フリージャズ、即興音楽に進んで行った。

JT:そうすると、ロック・バンドから演奏を始めたのですね?

Ramon:そうさ。いきなりドラムセットの前に座ってね。グループの中で演奏することが基本だと思うね。練習したことを使ってバンドのメンバーと会話をすることだ。グループの中で仲間と音楽のアイディアを演奏を通じて交換し合うんだ。それに勝る喜びはないだろうね。

JT:プロとしてのデビューはいつでしたか?

Ramon:パリに移住した時だろうね。

JT:パリに移住したのはいつですか?理由は?

Ramon:パリに移住したのは1985年の1月だった。当時のパリにはアメリカのジャズ・ミュージシャンが溢れていてね。僕のように若いミュージシャンにとっては理想的だと思ったんだ。

スペインで10年くらいミュージシャン活動の経験があったけど、大好きになったジャズをもっと勉強しようと思ったんだ。80年代になってマドリッドやバルセロナにも住んでみたけどたいした満足感は得られなかった。35年前の話だけど、スペインでジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアを発展させる機会はほとんどなかったと言っていい。当時のスペインではジャズはまだ幼かったんだね。でも、幸いなことに、現在では、スペインでも素晴らしいジャズ・ミュージシャンが輩出されるようになった。

JT:次に、タブラについてですが、いつ頃タブラを演奏しようと思い出したんですか?

Ramon:僕がパリに着いた1985年、パリで「国際インド年」が開かれていたんだ。インドに関する素晴らしいレクチャーやコンサートが目白押しでね。幸いにも、インド音楽やタブラのレジェンドのコンサートを聴く機会に恵まれたのさ。タブラという楽器を見出したのはちょっとした衝撃だった。それ以来、タブラの虜になって練習と演奏を続けているというわけさ。パリでタブラの名手Krishna Govinda K.C.に出会って、彼が生涯を全うするまで教えを請えたのはじつに幸いだった。次のステップは、インドのカルカッタでタブラのマエストロ、Pandit Subhankar Banerjee と巡り会えていくつかのツアーにも同行し、僕がドラムを演奏したレコードも制作した。

タブラを僕のドラムセットの中に組み込んで演奏するようになってからずいぶん経つ。インド音楽やタブラは僕のドラミングに大きな影響を与えていると思う。
パーカッションについて言えば、僕はアフリカの音楽とフラメンコに興味があるね。アフリカとフラメンコのミュージシャンとは定期的に演奏するとてもエキサイティングなプロジェクトに参加しているんだ。

JT:ずいぶん旺盛な演奏活動を展開されていますが、いちばんエキサイティングな経験を教えてください。

Ramon:あの伝説のドラマー、ラシッド・アリと僕の二人で1週間オーケストラと共演したことだね。2005年のモンタレー・ジャズ・フェスだった。

JT:いちばん好きな自分のアルバムをあげてください。

Ramon:僕の最初のドラム・ソロのアルバム『Eleven Drums Songs』で、Leo Recordsから1988年にリリースされた。なんと言っても僕の最初のドラム・ソロで国際的に流通しているレーベルからリリースされたからね。

JT:フェイヴァリット・ミュージシャンとフェイヴァリット・アルバムをあげてください。

Ramon:マイルス・デイヴィスのアルバム『The Complete Live at the Plugged Nickel 1965』 でのトニー・ウィリアムス。

JT:それでは最後にあなたの夢を語ってください。

Ramon:僕は「夢」は持たないんだ。アーチストとしての僕のすべてのキャリアで成し遂げてきたことは、大変な努力をこつこつ積み上げてきた結果だからね。一朝一夕で叶えられる夢は信じられない。しかし、「希望」なら言える。躊躇することなく、創造力を失うことなく冒険を続けること、人生のレールをこのまま踏み外すことなく生き続けること。驚きの気持ちを忘れずにこの道を歩み続けること。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください