#12 『Steve Tibbetts / Life of』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
『Steve Tibbetts / Life of』(ECM-2599 2018)
Steve Tibbetts(guitar, piano)
Marc Anderson(percussion, handpan)
Michelle Kinney(cello, drones)
1 Bloodwork
2 Life Of Emily
3 Life Of Someone
4 Life Of Mir
5 Life Of Lowell
6 Life Of Joel
7 Life Of Alice
8 Life Of Dot
9 Life Of Carol
10 Life Of Joan
11 Life Of El
12 End Again
13 Start Again
Recorded at Dave Ray Avenue, St. Paul, 2016
「スティーヴ・ティベッツの熱烈なファン」には今まで3人ほどしかお目にかかった事がない。そしてミュージシャン達にとってこの「禅ギタリスト」のポジションはとりわけ特殊なようだ。エグベルト・ジスモンチへの愛ならば共有できてもスティーヴ・ティベッツだとそうはいかない何かがある。ティベッツはどんな嗜好性からも几帳面にアウトされていて「孤高」というより単に「孤立」した存在のようだ。
ファースト・アルバム『Steve Tibbetts』(1977) はティベッツの純粋なプライベート作品。夜な夜なミネソタにある母校マカレスター大学のスタジオに無断で忍び込んでレコーディングしたという。22才当時、200枚限定プレスのこのアルバムにその後に彼が展開していくことになる全てのエレメントを発見することができる。このファースト・アルバムでは1977年当時のドイツのアシュ・ラ・テンプルやイギリスのロックからの影響が濃厚でディストーション・ギターを駆使した攻撃性がある一方で独特の際立った内向性もある。
ティベッツは日本でのこのファースト・アルバムの発売時に自ら奇妙な一文を寄せた。1976年、若き日の彼に30年後の自分自身が降臨、「恐れるな」と説教するという設定で、若いティベッツは「恐れてなんかいないぜ。とっとと未来に帰りな、このじじい」と「未来の自分」を追い返す。この傑作ストーリーはなんだか彼の思考の限りない循環をあらわす宇宙人の作文のようだ。それでいて彼の40年に亘る作品傾向の循環も表しているようにもみえて興味深い。
『Life of』(ECM-2599 2018) はティベッツの最新作。前作『Natural Causes』(ECM-1951 2010) からはもう7年ほどが経っている。この2作品は兄弟のようでティベッツの穏やかな「道行き」の結論とその続編とでもいえる存在だ。
『Natural Causes』はティベッツが極めてきた音楽の「内向性」が沈潜して最もシンプルに結晶化した「最終章」のような作品だった。その先にはもう発展などあり得ないと確信させるようなところがあった。ところが『Life of』ではその後の展開が示される。ただただ自然に滴り落ちる水滴を集めたような音に浸っていると50分がすぐに過ぎてしまう。「過ぎてしまう」というよりは「何も起きないこと」を得心する。
開放弦の変則チューニングと共鳴のドローン効果、非西欧的な音楽の追求の果てにインダストリアルでノイジーな音は一作ごとに影を潜めてきた。まるでサーランギのような透明な音が静かに響いて多重録音の密室性の中で自己の古層が純化されていく。これは通常の音楽家の辿る道筋とは逆ではないだろうか。音楽の迷宮から不純物をひとつひとつ濾過して捨てていく。「純化」こそティベッツの生涯のテーマのように思える。
そもそもティベッツとはウィスコンシンやミネソタの田舎に逼塞して滅多にライブやツアーを行わず、時として「宅録」に励んでいる隠者のような男である。たまにはバリ島やネパール、チベット、ブータン、パリなどに「音楽採集」に出かけて行く。チベット仏教の尼僧チョイン・ドロルマの読経、詠唱と現地録音したアルバムを作り一緒にツアーをしたりもする(『CHO』Hannibal 1970 、『Selwa』Six Degrees Records 2004)。さすがにこれらの「不可解な」作品だけはECMからのリリースはできなかったようだ。そしてジャズやロックにルーツを持つ初期からのティベッツ・ファンたちはついていけずに「ちょっと、あのアルバムだけは」と多くが脱落していったようだ。その挙句に(あやしげな)「チベタン・アンビエント」や「チベタン・エレクトロニカ」と混同されてワールドミュージックにカテゴライズされてしまうことになる。
もともとこういった「話法」はアフリカン・ミュージックに傾倒したジャン・フィリップ・リキエルやクンダリーニ・ヨガの実践の中で瞑想の音楽としてできたヘナート・モタ&パトリシア・ロバートのヨガ・ミュージックなどに近いものだ。彼らもティベッツも偶然に別のルートから同じ山頂にたどりついたことになる。
『Natural Causes』に続いて『Life of』が発する東洋的な達観のオーラは難解な読書の友として頭脳の澱をときほぐす最適な音楽。気がつけば、また聴いている「座右の一枚」として定着している。