早すぎだよ、ライル by 大久保哲郎

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text & drawing: Tetsuro Okubo 大久保哲郎

早すぎだよライル...66歳なんて...なんで死んじゃったの? なんで??
愛すべきミュージシャン、ライル・メイズの訃報記事を目にしたときのおれの率直な気持ちだった...新幹線開通、東京オリンピックの年に生まれた自分にとって、70年代後半から80年代初頭がちょうど思春期、 やりたい放題の青春真っ只中だった...高校時代、ジャズ研のビッグバンドに身を置き、頭の中はジャズ一色。 当時はレコードなんて簡単に買えっこないから、授業をサボりまくって地元の松本市内にあったジャズ喫茶、 バリバリ正統派のエオンタや自由な雰囲気のアミに足しげく通い、教師ならぬマスター・チョイスの名曲を、これこそが真の感性の授業!とばかりむさぼるように聴きながら、コーヒー一杯と水のお代わりで一日をすごしていた。 でっかいスピーカーに対峙してまさにジャズとの真剣勝負。ジャズを聴き始めの15歳の田舎もんの好奇心旺盛な耳に、 切れ目無くレコードプレイヤーで奏でられる自分が生まれる前の50~60年代の初めて聴くいろんな4ビートジャズの音。それこそ終戦直後に初めてジャズを聴いた世代たちが受けたであろうカルチャーショックと同じように、 身も心も自然に血沸き肉踊らせながらの躍動感のなか、オレはジャズの雄叫びに身体を、首を揺さぶらせていた。
ある日、そんな典型的なジャズの洪水音の中で、明らかにそれらのジャズとは違う音源が店のスピーカーから放たれてきた...それは、まさに、音だけの世界でありながら、目を閉じるとそのサウンドからイメージされた風景がすぐに自分の 脳裏に素直に絵となって浮かぶような楽曲だった...誰のレコード?飾られてるジャケットを見に行くと、これまた印象的なジャケットだった。電話の受話器をかざした寂しげな大地の風景写真に意味不明のタイトル文字、 As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls 。そして、Pat Metheny&Lyle Maysの名前... それが、おれのパット&ライルとの初めての出会いだった。ウィチタという地名が、彼らの初めての出会いの場で あったことは後日知った。 そのアルバムは当時出たばかりだったから、件の市内のジャズ喫茶2店舗ではヘビー・ローテーションで 、一日に何度も盤面を変えてかかっていた。おれは、B面が断然好きだった。ライルが亡きビル・エヴァンスに ささげた曲 〈September Fifteenth〉、愛しい恋人に捧げるような軽快なメロディの〈It’s for you〉。 ジャズ喫茶エオンタにはなんとモノホンのビル・エヴァンスが訪れていた。1978年の松本公演の折りだ。 エヴァンス・トリオを招聘したマスターによると、エヴァンスは店のカウンターの一番端でウイスキーを飲んだという。 そんな店で聴く、ライルのエヴァンスへの追悼曲 〈September Fifteenth〉は、その日付がエヴァンスの命日であるとともにライルのこれ以上ないような哀しくも美しいメロディと相まって、特別な気持ちをオレに引き起こした。ライルの最愛のエヴァンスへの想いと、そのエヴァンスが実際いたことのある空間に今いる自分、時間を超越した 三位一体感。。今は亡きひとりの人間を思いやる気持ち、それが作り出すメロディのなんともいえない哀愁に 、聴くたびに目頭が何度も熱くなった。このアルバム、ウィチタの収録曲については、その後の俺にとっては、大学時代にレンタルビデオ屋でパッケージ解説に 誘われて借りた映画に、劇中曲として絶妙に使われて耳にする偶然のような必然的再会があった。それは、もちろんこの映画がオレのマイ・フェイバリットになったから。タイトルは「ファンダンゴ」。ケビン・コスナーのデビュー作で、 ベトナム戦争当時のアメリカの学生の友情物語。 ケビンがかつての恋人を想うシーンに、〈9月15日〉と〈イッツ・フォーユー〉、そして映画のエピローグ部分には 同じくパット・メセニー・グループのアルバム『TRAVELS』から〈ファーマーズ・トラスト〉が使われていた。何度見ても、涙があふれる映画。それは音楽が映像をより味わい深いものにしていた気がする。 初めて聴いたその日から、おれの生活にはいつもパットとライル、メセニー・グループの音楽が鳴り響いていた。 それは、彼らの音楽が、自然、それも大自然かな、雄大な大地や山々、風や太陽や川の水の流れ...そんなものを すぐにイメージさせてくれて口ずさめるものだったから。彼らの生まれ育ったミズーリ州やウィスコンシン州と同じような 日本のど田舎の環境、信州のど真ん中に生まれ育ったおれの心にもとてもマッチしていて、そのサウンドの波動がすごく心地よく、共鳴できるものであったからかもしれない。さらに、民族性を越えてなんとも人間的なノスタルジー、郷愁っていうか、牧歌的な雰囲気のメロディにも包まれていたからかもしれない。とにかく、ドライブしたりキャンプしたり、インドア、アウトドア、、いつもそこには、カーステやラジカセから彼らの音楽が流れていた。ほんと、おれの 人生になくてはならない音楽、それが、自然の景色とともにあったパット・メセニー・グループの曲、パットとライルが作り出す音の世界だった。
それぞれが、ソロ活動に移って...なにか自分を捜し求めるようなアルバムを...ライルの初期2作品は大好きな 作風だった。ピンでもライルの曲、音の世界はすばらしかった。でも、自分にはやはり、ふたりが一緒に 作り出すサウンドが大好きだった。もう、彼らは、身体は離れていても心はひとつのような感じで、ほんとうに最高の 相棒だったと思う。お互いが必ずいっしょにいてこそ、潤いがでてお互いの良さを引き立てている。理解しあえてる。 人間が一番できているようでできないこと、それは相手への理解。彼らにはその絶対の信頼関係があったのだろう。 いま、ライルを失ったパットの悲しみは、かつてラファロを失ったエヴァンスの悲しみ、それ以上かもしれない。。 だって、40年以上、かけがえのないパートナーとして、一緒に音楽を作って生きてきたのだから。
September Fifteenth からFebrualy Tenth... ライルの命日になってしまった日に、いちばん聴きたい曲は、彼自身の曲、〈Close to home〉かな。 やさしい、誰でもが口ずさめるようなライルらしい人懐っこいメロディ。 身体がたとえ失われても、魂は生き続ける!が、おれの死生観だけど、やはりライルの魂がライルとして 存在していたからこそおれたちにあのメロディやサウンドを伝えてくれることができた。でももう、その続きがなく なってしまって、ライル・メイズという人間がこの世からいなくなってしまったことの現実に、生まれ変わりを信じる俺もさすがに悲しみの感情に包まれてしまっていた。そのことを綴ったおれの Facebook に、彼らがデビュー作から関わったECMレーベルを日本に紹介してくれた稲岡邦弥さんから、こんなメッセージが寄せられた...「ライルはいなくなったけど彼の音楽は遺る。」 と...訃報に触れ、冷たくなっていたオレの頭の中が解きほぐされ、心が温かくなった。 一生変わることが無かった飄々としたあのライルの独特の面持ち。オーバーハイムのシンセから重厚なサウンドを生み出したジョニ・ミッチェルのライブ、『Shadows and Llight』のあの威厳ある印象的なサウンド。ライルはあの頃から、音楽的な成功者として決して奢ることなくミュージシャンとして素朴でナチュラルなスタイルの本質を貫き、人間を全うした、とおれは思う。闘病という結末だったけど、それも運命だったのかも。これからは、遺された楽曲をただだた繰り返し聴くしかない。でも、ライル自身の曲への想いは、おれの心の中に、いつまでもいろんなイメージの風景を思い描かせてくれて、この殺伐とした汚れきった今の世の中に、透き通った水の流れのように、美しくきらめく陽の光のように、人間本来の純粋な気持ちとともに心に温もりを与えてくれると思う... ライル・メイズのメロディは永遠。ありがとうライル。
ただ、ライルが死んでしまったという想いで、あらためて彼がかかわった曲を聴いている今、どうしても 喪失感で涙がこみあげて来そうになってしまう。時間が解決してくれるのを待つしかないだろう...。

Pat Metheny Group, New York, 1981
Nella foto: Lyle Mays e Danny Gottlieb
©Roberto Masotti

大久保哲郎(おおくぼ・てつろう)
長野県松本市生まれ、在住。即興絵師、ギャラリー・キュレイター。本誌好評連載中の「小野健彦の Live after Live」の口絵も手がける。

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