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R.I.P. リー・コニッツNo. 265

今も触れることのできない領域にあるジャズ by 近藤秀秋

ジャズを勉強していた頃、何度も行き着く事になったのが、アルト・サックス奏者のリー・コニッツでした。ジャズの世界では名を残した人であるにせよ、一般には知られていない存在かも知れません。ジャズを聴く人ですら、今ではある程度まで深入りしてからでないと出会う事の叶わない人かと思います。

渡辺貞夫さんがお書きになった『ジャズ・スタディ』やその流れにある教本を軸にジャズを学習した為かも知れませんが、私にとってのジャズは、バークレーが確立したメソッドに要約できる音響組織のように見えていました。ところが深入りしていくと、ジャズには他のアプローチも出来そうだし、また実際そのように対峙したミュージシャンもいたように感じられてきました。分かりやすい例をひとつあげるとすれば、ジョージ・ラッセルの提唱したリディアン・クロマチック・コンセプトなどもそうではないでしょうか。

他にも、一般化されないまま廃れていったアプローチはあったでしょう。現在のジャズのメインストリームに繋がるもの中でも、チャーリー・パーカーのアドリブなどは、ドリアンからオルタードという流れだけでこういうラインに行きつけるのだろうか、実際にはもっと違うアプローチだったのではないか、そう思えてなりませんでした。トリスターノ派と呼ばれる人たちのアドリブも同様です。もう少し新しい時代になると、エリック・ドルフィーやハービー・ハンコックらがアプローチしていたニュージャズ的な雰囲気を持った曲の中にも、オルタナティブなアプローチを感じるものがありました。

セカンダリーを含めたリハーモニゼーションまで含めて、ドミナントの動きを本当にアドリブしようと思ったら何が起きるか。こう考えると、パーカー、トリスターノ、ドルフィーといった非接触に見えるミュージシャンが自分の中でひとつに繋がりました。そしてその領域にあらわれるのが、リー・コニッツでした。

* * * * *

リー・コニッツと言えば、私には印象に残っている事があります。今は亡きジャズ評論家の副島輝人さんのブッキングで、当時ケルン音大で教鞭を執っていらっしゃたフランク・グラトコウスキーさんのバックを務めさせていただいた時の事でした。一緒に横浜エアジンでのライヴに向かう途中、グラトコウスキーさんがこんな事をおっしゃいました。「サックスでのジャズのアドリブなら、リー・コニッツが最高だ。何年か前に、日本でコニッツの『Motion』が、未収録曲を収録して3枚組のCDになったはずなのだが、あれを手に入れる事はもう出来ないのだろうか。」相当に硬派な歴史を持つドイツのジャズという世界で、技術や理論面で指導的な位置にいるサックス奏者の手本は、パーカーでもコルトレーンでもなく、リー・コニッツだったのです。ライブではアトーナルなフリー・インプロヴィゼーションを行ったグラトコウスキーさんが、リハーサルではトーナリティーの明確な曲のチェンジばかりを練習していた事は、今も印象に残っています。

ちなみに、グラトコウスキーさんが聴きたがった『Motion』は、ピアノレスでのワンホーンのため、旋律も和音もサックスがほとんど一人で表現する事になります。ソニー・ロリンズのピアノレスのアルバムなどと聴き比べると分かりやすいですが、ここでのコニッツのソロは、楽器演奏の経験がない方ですら、和音とプログレッションを強く感じるでしょう。マイナー調の曲も含まれています。

一方で、すべての曲がアレンジに手をつけないアドリブで演奏されており、テーマ部分ですら装飾音を混ぜてアドリブのように歌わせ、他にはほとんどソロを渡さず、5分でも10分でも延々とインプロヴィゼーションが続けられます。つまりこのアルバムは、機能和声で書かれたヘッドを崩さないサックスのインプロヴィゼーションの模範演奏集のように聴こえるのです。

私はトリスターノやコニッツの分析に着手するより前に他の音楽へと移ってしまいましたが、ジャズ・アドリブにおける平均律クラヴィアのようなこのアルバムは、サックス奏者にとっては今も大変に魅力あるのでしょう。もし自分がジャズの木管楽器奏者であったなら、このアルバムでのコニッツのアドリブ・メソッドを自分のものに出来ないかと奮闘したのではないかと思います。

 

音楽にとって閉じる事が良い事かどうかは分かりませんが、少なくともある専門分野を掘り下げるには、どうしても一点に集中しなければならない時があります。若い頃の私にとって、リー・コニッツは、マジョリティとならずに徐々に忘れ去られていったものの、音楽的な大きな可能性を含んでいた流派の秘儀を引き継いだ達人という印象でした。津軽三味線における梅田豊月やドイツ・バロックのハインリッヒ・シュッツのように、時代が経つにつれ一般からその名が忘れられるにせよ、その道を追及する人が常に思い起こす事になる智慧と技術の最良の手本として、コニッツはその名を残したのだと思います。素晴らしい先達の死に、あらためて弔意を表します。

(近藤秀秋 2020.4.16)

近藤秀秋

近藤秀秋 Hideaki Kondo 作曲、ギター/琵琶演奏。越境的なコンテンポラリー作品を中心に手掛ける。他にプロデューサー/ディレクター、録音エンジニア、執筆活動。アーティストとしては自己名義録音 『アジール』(PSF Records)のほか、リーダープロジェクトExperimental improvisers' association of Japan『avant- garde』などを発表。執筆活動としては、音楽誌などへの原稿提供ほか、書籍『音楽の原理』(アルテスパブリッシング)執筆など。

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