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R.I.P. 近藤等則No. 271

近藤等則の活動アーカイヴ〜ICPオーケストラ editor 稲岡邦彌

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

僕と近藤等則の関わりのきっかけを作ったのは渋谷・メアリー・ジェーンのオーナーだった福島哲雄だった。
メアリー・ジェーンの開店が1972年で、僕がトリオレコード(トリオ株式会社音楽事業部〜レコード事業部)へ入社したのも同じころで、渋谷駅近くにオフィスがあったことと、メアリー・ジェーンにはヨーロッパ系のフリージャズの新譜が多かったので足繁く通うになった。近藤が土取俊行を伴って関西から上京してまもなくのことで、福島さんによるとメアリー・ジェーンでもライヴをやったらしい。そのうち、近藤がメアリー・ジェーンを連絡場所に使うようになってよく顔を合わせてはいた。
実際の関わりは、1983年録音の『チベタン・エアー・リキッド・バンド/空中浮遊』からで、その後、1985年の「東京Meeting』をピークに、トリオからポリドールへの移籍を手配し終わってfade-outしたのだった。その後、一時的に請われてマネジメント的な仕事もしたが僕が菊地雅章の仕事に時間を取られていたこともあって長くは続かなかった。この辺の詳細については、僕の連載に記した。一方、近藤との直接的関係は薄れて行ったものの、近藤に端を発する韓国のサムルノリや姜泰煥トリオ、NYのビル・ラズウェルとの仕事がむしろ増えていったといえる。

ところで、近藤はミュージシャンとして画期的な活動と軌跡を遺しているが、ミュージシャン活動の一環としての事業でも非常に意義のある仕事をしている。彼が終生名乗っていた IMAは International Music Activity のイニシャルで(僕は密かにIMAは故郷の今治市の今と、現在の今にも通じると思っているのだが)、まさに音楽事業も彼の音楽活動の一環であることを表しているとおもう。僕らと共催した1985年の「Tokyo Meeting」に先立つ1982年のICPオーケストラの招聘は、そのなかでも画期的な活動のひとつだろう。僕自身、招聘は小はリッチー・バイラークのソロから大はユッスー・ンドゥールのスーパー・エトアールまで出がけた経験があるが(副島輝人さんとのベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラやアルハンゲリスクは実行委員会形式だった)、非常にリスキー極まりなく、鯉沼ミュージックの鯉沼利成さんがよく「俺はプロモーターではない興行師だよ」とうそぶいていた通りである。SNSなど影も形もなく、メディアも限られた40年前のクリエイティヴ・ユニットの「興行」など想像するだに恐ろしい。
今回、追悼特集を組むにあたって当時のマネジャーだった橋本達也氏からICPオーケストラの招聘に関する貴重な資料の提供を受けたので時間の許す範囲でそれらの活動を振り返ってみたい。企画書は、ほとんど近藤自身の手書きである。バンドの正式タイトルは「Misha Mengelberg & ICP Orchestra」。招聘元はIMAである。キャッチ・コピーは「狂気とユーモア、祝祭の音楽 ミシャ・メンゲルベルグとICPオーケストラ5月来日!」とある。メンバーは別表通りの10名で近藤を除く来日組は9名。企画意図に続いて「ヨーロッパ・フリー・インプロビゼーション」、「ICPオーケストラについて」、「ミシャは語る」、「メンバー経歴」のみ一部活字の転載で残りはすべて近藤自身の手書きである。5月4日から17日まで、全10公演のうち仙台と東京の2箇所(日本教育会館とサンケイホール)がIMAの手打ち興行(自主公演)で、通常手打ちの成否がツアーの収支に大きく影響してくる。近藤とこのツアーの収支について具体的な話をしたことがないので結果は不明だが、アルバム『ヤーパン、ヤーポン』を残したのは大きな成果である。僕らもベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラとアルハンゲリスクで共にライヴ・アルバムを残すことができたが、仮に赤字を出す結果に終わっても残されたライヴ・アルバムが心の拠り所になるというものだ。

『Misha Mengelberg & ICP Orchestra ‎– Japan Japon』(IMA1)

Misha Mengelberg (p,voice)
Keshavan Maslak (as,ts,voice)
Peter Brötzmann (as,bs,ts,voice)
Michael Moore (as,cl)
Han Bennink (ds)
Toshinori Kondo(tp,voice)
Wolter Wierbos (tb)
Joep Maassen (tb),
Larry Fishkind (tuba)
Maurice Horsthuis (viola)

A1 Salute To Fujisawa Shukoh 2:45
A2 Kwela: Hap; Boodschappen; Welkom; Briefkaart; Maurits 17:39
B1 Habanera 6:15
B2 Carnaval 3:30
B3 Japan Japon 7:10
B4 Zing Zang Zaterdag 3:22

Recorded on 11 May 1982 at Osaka and 17 May 1982 in Tokyo.
*LPにはボーナスとして7”の<キャラバン>が添付されていたが、2002年のCD化に際してそのボーナスも同時収録された。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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