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R.I.P. パレ・ダニエルソンNo. 315

一年と一日と、一生〜パレ・ダニエルソンを追悼して by 内橋和久

Text by Kazuhisa Uchihashi 内橋和久

キース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットは彼のあらゆるユニットの中でも最高峰で、僕には格別の思い入れがあった。

高校卒業と同時に浪人が決まった春、一浪しかチャンスはないとして勉強に集中することを決意した。進学校に通っていた高校時代、勉強そっちのけでギターやバンドに夢中になり、大学受験に失敗した。何としても学費のかからない国公立に入って存分に音楽をやりたかったので、一年でどうしても結果を出さなくてはならなかったのだ。ギターやたくさんのレコードは友達に譲ったり売ってしまった。バンド活動もすべてやめた。朝から予備校に通い、図書館の自習室に籠り、閉館になると王将に寄って餃子を三人前食べて帰宅する。一日に単語を50個覚えるというルーチンも守った。そして、風呂に入ったら寝る前に一枚レコードを聴くことだけ、自分に許可した。レコードプレーヤの前に正座してアルバムの裏と表をじっと聴く。それが楽しみだった。高校時代の僕はECMの大ファンだったので片っ端からこのレーベルのアルバムを聴きあさっていたけれど、その頃発売されたキースのヨーロピアンカルテット2枚目のアルバム『My Song』は格別で、この作品の美しさにはどれも勝てなかった。手元に残したレコードの中でも寝る前の待望の一枚は、かなりの日々このアルバムが占めた。美しかった。当然すべての旋律を口ずさめるくらいになった。もちろんパレ・ダニエルソンのベースソロを、僕は唄えた。

そんな一年を過ごして予備校生活が終わった。一浪して晴れて大学が決まった。その春、このカルテットが来日した。もちろん僕はチケットを発売日に買ったので、最前列の席を獲得した。キースはピアノ椅子にほとんど座ることなく、半分くらいの時間、長いテーブルに山のように置かれたパーカッションを叩いたり振ったりしていた気がする。キースが自由に振る舞えるのはこのカルテットのこのメンバーだからこそで、その揺るぎない独自のサウンドが実に心地よかった。本当に愛に溢れたコンサートだった。 そのあと僕は(大学の授業もそっちのけで)存分に音楽に浸り邁進するのだけれど、あのコンサートが、僕が音楽に向かう確信となった。パレの音楽活動の全貌を僕は知らない。だけど僕にとってはこれだけで、彼はヒーローであり続ける。


内橋和久 Kazuhisa Uchihashi
ギタリスト、ダクソフォン奏者。インプロヴィゼーショントリオ/アルタードステイツ主宰。 劇団・維新派の舞台音楽監督を30年以上にわたり務める。音楽家同士の交流、切磋琢磨を促す「場」を積極的に作り出し、95年から即興ワークショップを神戸で開始する。その発展形の音楽祭、フェスティヴァル・ビヨンド・イノセンスを96年より毎年開催2007年まで続ける。これらの活動と併行して歌に積極的に取り組み、UA、細野晴臣、くるり、七尾旅人、青葉市子、Salyuらとも積極的に活動。即興音楽家とポップミュージシャンの交流の必要性を説く。また、2002年から2007年までNPOビヨン ド・イノセンスを立ち上げ、大阪でオルタナティヴ・スペース、BRIDGEを運営。現在はベルリン、東京を拠点に活動。インプロヴィゼーション(即興)とコンポジション(楽曲)の境界を消し去っていく。
innocentrecord.com

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