#1620 『小橋敦子|トニー・オーヴァウォーター|アンジェロ・フェルプルーヘン/ ヴァーゴ 』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
JAZZ IN MORTION RECORDS 2019
Atzko Kohashi 小橋敦子(piano)
Tony Overwater トニー・オーヴァウォーター (bass)
Angelo Verploegen アンジェロ・フェルプルーヘン(flugelhorn)
01. The Village of the Virgins (Duke Ellington)
02. Beauty and the Beast (Wayne Shorter)
03. First Song (Charlie Haden)
04. Peau Douce (Steve Swallow)
05. Virgo (Wayne Shorter)
06. A’s Blues (Atzko Kohashi)
07. La Passionaria (Charlie Haden)
08. Yi Jian (Tony Overwater)
09. Hermitage (Pat Metheny)
10. Ballad for Che (Tony Overwater)
小橋敦子の「アムステルダムの音」のイメージが私の中に大事にしまわれている。 小橋さんが音づくりのパートナー、エンジニアのフランス・デ・ロンドとつくってきた音だ。もういちど二人の音楽を聴くときは、ずっと前から心に刻み込まれている世界に「帰っていく」ことになる。そしてデリケートな音の「ポー・ドゥース」(<Peau Douce>)に触れているような気持ちにもなる。こんな不思議な体験は初めてのことではない、はずだけれど前にはいつ頃あったのか、と考えると思い出せない。
以前、小橋さんからマスタリングが済んだばかりの『ルージョン』を初めて聴かせてもらったときに
「小橋さん、ほんとうに素晴らしいアルバムですね」
「どこがですか?」
「曲間が」
「……….」
なんだか奇妙な会話をしてしまったことを憶えている。「アルバムを聴き通したあとで、ひとつひとつの曲と曲のあいだの『間』がとても印象に残りました。それほど音楽の流れと余韻が美しかったです」と言いたかったからで、なにか既視感に近いものを感じたからだと思う。
独特の選曲センスは彼女の長年のニューヨークとヨーロッパでの年月で磨かれてきたものだろう。でも、なぜかそれに先立つ「1970年代の東京」での音楽体験に根ざしているような気がする。どの作品でも「選曲」〜音楽の流れと息継ぎ〜がアーティスティックでそれ自体がアルバムのコンセプトとして成立している。何度も聴き返したくなって、そのたびにうっとりする。こんなことはセルフ・プロデュースによる作品としてはきわめて稀なこと。なるほど、「もう一人の小橋さん」が小橋さんの音楽を見透していなくては、こうはならないはずだと思ってしまう。
湘南、茅ヶ崎出身、慶應義塾大学のビッグバンド 、ライト・ミュージック・ソサイエティのピアニスト〜東京で活動、その後1994〜2001年ニューヨークで暮らし、スティーブ・キューンに師事〜2005年から現在まではアムステルダムに住む。翻訳家、エッセイストを続けながら、ヨーロッパのミュージシャンたちと交流、アルバムを制作、時々帰国してライブを行う。あまり日本のシーンの中でめだたないけれど、そのかわりに多彩な環境と風景の中でゆっくり音楽をあたためてきた。そして、「閨秀作家」とでもいったスタイルを熟成させることができた。それは「ユーロピアノの耽美派」というように一括りに表現されるものとは大いに異なるかたちになった。ジャズシーンでのハードな競争に耐え、忙しすぎる日々を送っているミュージシャン達の音楽とは違う。稀な存在なのだ。
小橋さんとエンジニアのフランス・デ・ロンド(Frans de Rond)の「共作」は『デュアルトーン』with セバスティアン・カプテイン(ds) (2012 TONIQ RECORDS)、『ワルツ・フォー・デビー』with フランス・ヴァン・デル・フーヴェン(b) (2013 TONIQ RECORDS)、『ルージョン』小橋敦子トリオ (2015 Cloud) などで聴くことができる。二人の音楽のつくりかたは驚くほどのアイディアとユーモアの交歓に満ちている。過剰な高音質の追求や、密室的なオタク性はなくて時はおおらかに流れている。ニューヨークや東京にはない、不思議な空気感に満ちた世界をおとずれた気持ちになる。
セバスティアン・カプテインとの『デュアルトーン』は相手がドラムのみ、という特殊にも見える音の環境だ。セバスティアンの繊細で、多彩なパルスが飛び交ってピアノと交合するスリリングな音楽が響く。二つの楽器だけで全く物足りなさを感じない、どころか大きな至福感に満ちた作品だ。 ︎
『VIRGO』 は小橋敦子(piano)、トニー・オーヴァウォーター(bass)とアンジェロ・フェルプルーヘン(flugelhorn)という変則的なトリオでの「アナログ2チャンネル一発録音」だ。全てがワンテイク、編集もない。観客を入れたスタジオ・ライブでのレコーディングだから他のアルバムとは印象が大きく異なる。今までが「観客目線」ではないスタジオ録音独特の造形的な音響だったとすれば、『VIRGO』の音場からはライブのオーディエンスのポジションに立ったリアリティが伝わってくる。最小限のマイク・セッティングで「3つの楽器の自然なクロストークを取り入れた」独特の空気感が漂う。制作者たちの発想が「オーディオ的な音づくり」であっても、音楽家たちは緊張感あふれすぎるセッションにおちいらない。むしろリラックスした、あたたかいコミュニケーションを発揮している。
2018年、3月29日オランダ、ヒルバーサムのスタジオMCOでフランス・デ・ロンド(Frans de Rond)がアナログレコーディング専門のRhapsody Analog Recordingsのチームと共同作業でつくったアナログ音源。さらにそれをデジタル化してCDの制作はレーベルJazz In Motionが行なった。アルバート・アイラー、エリック・ドルフィーやビル・エヴァンスなどの作品などが生み出された伝説的なスタジオだ。 ︎
『VIRGO』では小橋さんの自作に加えてウェイン・ショーター、チャーリー・ヘイデン、スティーヴ・スワロウなどの作品がとりあげられている。どれも小橋さんのアルバムに繰り返し登場するコンポーザーたち。「今回はどの曲なのか」と興味が尽きない。ウェイン・ショーターはアルバム・タイトルの<Virgo>とミルトン・ナシメントとの『ネイティヴ・ダンサー』からの<Beauty and the Beast>。スティーヴ・スワロウの<Peau Douce>(柔らかな肌)は小橋さんの『ワルツ・フォー・デビー』(2013)からの再演となっている。ビル・エヴァンス後期やカーラ・ブレイとスティーヴ・スワロウのアルバムも心に響いていたのに違いない。「学生時代ジャズに出会った時から、なぜか一番好きなベーシスト」チャーリー・ヘイデンの<First Song>、<La Passionaria>もとりあげられている。むかし、スティーブ・キューンからの紹介で初めて出会ったころ、小橋さんがチャーリー・ヘイデンとハンプトン・ホーズのアルバム『As Long As There’s Music』をしきりに絶賛するので、「じゃあ、あなたもベーシストとデュオやったら」とうっかり返したのを思い出した。(もちろん私も大好きなアルバムです) デューク・エリントン、パット・メセニー、今回のベーシストのトニー・オーヴァウォーターのオリジナルを含め、どの曲にも「え、これを選んだの」と驚き、そして「こんなに良い曲だったのだ」と思わず微笑んで聴き返してしまう。主軸をなしているラインナップのあり方がとても美しい。そしてどれもが彼女の青春期からの忘れられない曲たちのはずだ。こんど、小橋さんに会ったら70年代への思い出と音楽体験を聞いてみよう。
◼︎小橋敦子による二人の共演者の紹介
トニー・オーヴァウォーター(bass)
とてもユニークな経歴の持ち主で、ハーグの王立音楽院でジャズを学んでいた20代の頃、米国からツアーに来ていたサニー・マレイ、デヴィッド・マレイのグループの演奏を聴きに行っていたところ、ベーシストが急病で不在、当時まだ学生だったトニーが突如ステージに立ち代役を務めたところすっかり気に入られその後のツアーに同行。これ以後数年に亘って彼らのヨーロッパ・ツアー及びレコーディングにも参加したのだとか。こうしてフリージャズの洗礼を受けたそうです。その後数々のグループで活躍、最近ではヴィオラ・ダ・ガンバを演奏するなどジャズに古楽(Early Music)の影響をとり入れたり、またアラビア音楽にも傾倒しアラブ諸国のミュージシャンとのコラボレーションも盛んに行っています。
アンジェロ・フェルプルーヘン(flugelhorn)
モダンジャズからフリー、アバンギャルドまでをカバーする多彩さと独創性のあるプレイヤー。コンセルトヘボウ・ジャズ・オーケストラやメトロポール・オーケストラで活躍する一方で故ミシャ・メンゲルベルクや藤井聡子+田村夏樹らフリージャズのミュージシャンらとも共演しています。そのせいか音楽ボキャブラリーが豊富で、時にはユーモアさえ感じさせる味わいのあるプレイで驚かせてくれます。 (小橋敦子さんへのメール・インタビューによる)