#2100 『伊藤ゴロー/アモローゾフィア ~アブストラクト・ジョアン~』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
Verve/Universal Music UCCJ-2194 ¥3,300(税込)
1 アモローゾフィア:I ゴースト・シスル
2 アモローゾフィア:II 仮想グリフ
3 アモローゾフィア:III ゆがんだ視線
4 ポストリューディウム
5 ジ・エンド・オブ・フェブラリー
6 ウェイヴ
7 三月の水
8 エスタテ
9 アモローゾフィア(チェンバー・アンサンブル):I フローズン・シスル
10 アモローゾフィア(チェンバー・アンサンブル):II 仮想グリフ
11 アモローゾフィア(チェンバー・アンサンブル):III ゆがんだ視線
伊藤ゴローの『アモローゾフィア〜アブストラクト・ジョアン〜』はジョアン・ジルベルト(1931~2019) の90回目の誕生日にあたる2021年6月10日にリリースされたトリビュート・アルバムだ。ジョアン自身へのトリビュートであるのと同じく、というより遥かにアレンジャーのクラウス・オガーマンがジョアンと共に創った唯一のアルバム『アモローゾ』(『AMOROSO』1977 Warner Bros.)へのオマージュとなっている。そのことに気づくのは一曲目 <Ghost Thistle> の冒頭で「オガーマンの印籠」のような和音が立ち上がるときだ。
ポルトガル語の“AMOROSO”(愛を込めた)に “FILOSOFIA”(哲学)を加えて“AMOROSOFIA”と造語するセンスはいかにも伊藤ゴロー的。2017年の『Architect Jobim/Goro Ito Ensemble』(Verve/Universal)で「建築家ジョビン」と意味深長なタイトルを付けたセンスに近い。34分ほどの密度の濃いオーケストレーション、アンサンブルには伊藤ゴローが「アモローゾ」に尋常でない「愛を込めて」いることをあらわしている。その映像版は2021年1月の東京都の芸術活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト(ステージ型)」で見ることができる。
音楽を聴いたのちに、映像「Goro Ito Bossa Nova Experimento」を見ると、音楽だけではわからなかった謎が次々と氷解する。自身ボサノヴァの音楽家である伊藤ゴローがジョアンの数多いアルバムの中からなぜ『アモローゾ』を選び、新たな再現と構築とを行ったかがわかる。
映像の小室敬幸との対談パートではジョビンの <Wave>のイントロダクションの一節を譜面を使って実証的に分析している。アレクサンダー・ツェムリンスキー作「叙情交響曲」(1922)の影響を受けたアルバン・ベルクの「叙情組曲」(1926)からのオガーマンからの直接的反映(引用)にまで話が及ぶ。*(1)ジョビンやオガーマン、あるいはビル・エヴァンスやギル・エヴァンスなどへのフランス近代音楽の影響を重視する今までの説にカウンターパンチを浴びせる鮮やかな新説だ。作曲に至る「ウラばなし」といったレベルを超えて、ここまで明解に論証されては反論の余地はない。さらに『アモローゾフィア』の世界に聴き入ることになる。そうして、ますますジョビンやオガーマンに投影したヨーロッパ音楽の淵源を知りたくなる。もっとも、当のジョアンはツェムリンスキーもベルクも名前すら知らなかったはずだけれど。
では『アモローゾ』とはジョアンの多くの作品の中でどのようなポジションにあるのか。
オガーマンとの 1976~77 年録音の『アモローゾ』以後、ジョアンがアレンジャーなるものと仕事をした機会は少ない。ジョニー・マンデルとの『海の奇跡』(『Brasil』1981 Warner Bros.)*(2)を経て13年後にクレア・フィッシャーとの『ジョアン』(1990 Philips)が訪れる。フィッシャーのアレンジは、ジョアンの弾き語りに弦と木管を中心とするデリカシーの極みのようなアンサンブルで応じたもの。*(3)。このアルバムにジョビンの曲はなく、ジョアンは「ボサ」ノヴァという「瘤」が隆起する以前の1940~50年代、すなわち彼の幼年期からコーラスグループの一員として過ごした20代にかけての美しすぎる、いにしえのサンバを中心に歌う*(4)。フィッシャーはジョアンの声とヴィオラオンから発せられた音の余韻に満ちた「間」を繊細な音響でそっとなぞり、影を踏むように追いかける。ジョアンの原形質を少しも損なわず、むしろ生命感を加えている。
対する『アモローゾ』はジョアンが 1980年にブラジルに帰還するまで、1960 年代後半から始まるメキシコ〜アメリカ滞在期の1977 年に作られた。エンジニアのアル・シュミットがジョアンのヴォイシングを美しくとらえ、音楽全体を柔らかく包み込むオガーマンのアレンジも美しい。小室敬幸との対談で解き明かされたマジックの謎解きにも満ちている。『ジョアン』と同様このアプローチもまた稀に見る成功例だ。しかし、ジョアンを愛する多くの人々にとっては『ジョアン』が滅法評判がよくて「両方好き」は少ない。『アモローゾ』とはアメリカ滞在期のジョアンをジョビンとおなじように国際マーケットに送り込もうとするアメリカ型の戦略と考えられるからだろうか。
1970 年代後半オガーマンはプロデューサーのトミー・リピューマ、アル・シュミットと組んでアレンジャーとして絶頂期を迎えていた。*(5)『アモローゾ』は3人のチームが最も結実していた時期の作品。ジョビンのアレンジャーとして知られるオガーマンだが、『アモローゾ』のレコーディングはなぜかマイケル・フランクスとの『スリーピング・ジプシー』の LA セッションとカブった時期にある。クレジット上は『アモローゾ』は 1976 年の3日間にNY、1977 年の3日間はハリウッドだ。2作は同じCapitol Recordsのスタジオでレコーディングされてもいる。ジョアンの崇拝者たちからは『スリーピング・ジプシー』はただのLAフュージョンと捉えられ、フランクスを同列に論じることするなど許されまい。しかしオガーマンの「ボサノヴァ」へのアプローチとしては似通った点がある。オガーマンから見てジョアンとフランクスは同じく病的なまでにセンシティヴな内的宇宙をもつ音楽家として映ったのではないだろうか。この二作からはオーセンティックなブラジル音楽や、その背後にあるアフリカ性とはまるで無縁のヨーロッパ直系のオガーマンの世界が響き、そのぶつかり合いの違和感ゆえに音楽は豊かな個性を得ている。
その後、ジョアンはスタジオでのレコ―ディングを避け*(6)リオのレブロンのホテルに隠遁状態で過ごした。深夜のドライブと限られた友人との明け方の電話で世界と接して、数々の奇行とコンサートのキャンセル騒動に明け暮れていた。他者の介在を許さず最後には「弾き語り」の世界に閉じこもる。こんな奇人、聖人の「ひとりだけの音楽」をこっそりと秘かにのぞき込み、聴く愉しみはグレン・グールドのそれに相通じるところがある。
全11曲はジョビンの <Wave>と<Aguas de Marco>(三月の水)に<Estate> に加え、組曲を含む8曲が伊藤ゴローのオリジナル。主に3つのセッションから構成されている。
01、02、03、06、07の5曲
伊藤ゴロー(G,Prog.)、佐藤浩一(P,Key)、木村将之(B)、石川智(Ds)、小川慶太(Ds,Perc.)のリズム・セクションに18人のストリングス、8人の管楽器を加えている。コーラスにはパウラ、ジャキス、ドラのモレレンバウム・ファミリーが参加。
04、05、08の3曲
同じリズム・セクションにサンクト・ペテルスブルク・スタジオ・オーケストラの24人のストリングス。
09、10、11の3曲
伊藤ゴロー(G,Prog.)、佐藤浩一(P)、小川慶太(Ds)にジャキス・モレレンバウム、ロビン・デュプイ(Vc)に木管楽器2人。
という編成だ。
何より驚くのがこの3つの複雑極まりない大規模セッションが東京のサウンド・イン スタジオの3日とスタジオ・デデでのたった1日、海外ではサンクト・ペテルスブルクの1日の合計5日で録りきれていることだ。
『アモローゾフィア』は『アモローゾ』と同じほどの不思議に満ちている。「映像版」の最後で伊藤ゴローはジョアンの 2006 年東京のライブ映像 “Bim Bom” に自らのオーケストラの映像を重ね合わせている。このヴァーチャル共演ではまるで自らがジョアン化することで彼の「メタフィジコ」に近づこうとしているかのようだ。
音楽というサイコロを振ってスゴロクに例えてみよう。
「ふり出し」をグスタフ・マーラーの「大地の歌」(テキストは唐代の漢詩からの重訳)(1908)とすると→ツェムリンスキー「叙情交響曲」(テキストはインド人のタゴール) →アーノルト・シェーンベルク →ベルク「叙情組曲」→ジョビン(ブラジル)→オガーマン(ドイツ出身、タゴールの詩による歌曲作品がある) →狭間美帆、伊藤ゴロー →「あがり」が東京発の『アモローゾフィア』ということになる。100年がかりで地球を一周する系譜が(たとえ妄想の産物としても)うっすらと見えるのはシュールかつ愉快なことだ。
伊藤ゴローがジョアンとオガーマンの音楽に何を聴いて『アモローゾフィア』をつくったのだろうか。その謎を解くためこれからいく度も聴き返すことになると思う。
*注
*(1):過去には狭間美帆とオガーマンを巡る対談があり、こちらも見逃せない内容。
狭間美帆は東京フィルと2019年「Neo-Symphonic Jazz at 芸劇」でオガーマン作品を演奏し、対談ではオガーマン作曲の「リリック・スウィート」(叙情組曲 1952)にも触れているから話は少し複雑だ。
*(2):カエターノ・ヴェローゾ、マリア・ベターニア、ジルベルト・ジルが参加。キーボードはクレア・フィッシャー。この出会いが後のアルバムの原点になっている。
*(3) :先行するオスカル・カルロス・ネヴェスによる『en Mexico』(1974 Philips)と似た楽器編成。後年のジャキス・モレレンバウムによるカエターノ作品のアレンジに影響を与えていると思う。
*(4) :例外はカエターノ・ヴェローゾ作の <Sampa>とコール・ポーターの <You do something to me> の2曲。
*(5) :後期は自らピアノを弾いた『Two Concertos』(2001 DECCA)など純系のクラシック作品が多いが評価は別れている。ダニーロ・ペレス(P)との『Across the Crystal Sea』(2008 Universal)でトミー・リピューマ、アル・シュミットとのチームが復活して最高の作品となった。
*(6) :カエターノ・ヴェローゾがプロデュースした『João Gilberto / João voz e violão』「声とギター」 (2000 Universal)のみが例外。ただし、これも弾き語りだ。