#942 齋藤徹 plays JAZZ
2017年3月22日(水) 神奈川・横濱エアジン
Report and photos by Akira Saito 齊藤聡
齋藤徹 (b)
かみむら泰一 (ts, ss)
石田幹雄(p)
1st set
1. 街
2. 黒石
3. 今日は私の日~ミロンガ(私はただの恋する女)(「永遠と一日」より)
4. ミモザと金羊毛
5. 霧の中の風景
2nd set
1. 目を閉じて(「永遠と一日」より)
2. 河の始まり
3. 九つ井戸のハバネラ
4. ああセリム(「永遠と一日」より)
5. 舟唄
6. Things Ain’t What They Used to Be
齋藤徹がこれまでに創り出してきた音楽は、ジャズに限定されるものではない。ひとつの集大成として昨年(2016年)に開かれたコントラバス・ソロリサイタルにおいては、南米のタンゴやショーロ、バッハ、韓国シャーマン音楽とたいへん多岐に亘った活動の成果を垣間見せてくれた。もちろん、中にはジャズ(チャールス・ミンガス)も含められた。それらが大きなコントラバスの胴を通過し共鳴することによって、すべてが「齋藤徹の音楽」と化してきたのだった。
ソロリサイタルの後、齋藤は病を得た。そのことも転機となったのだろうか、彼は、復活に向けた活動のひとつとして、新たなワークショップ「寄港」をスタートしている。大田区の「いずるば」という場(出ずる場)において開かれた準備会合(2017年3月11日)では、多数の断片が、思考と試行の契機のために提示された。「徹とジャズ」、「徹と邦楽・雅楽・能楽」、「徹とタンゴ」、「徹と沖縄・奄美」、「徹と韓国音楽」、「徹とアジア」、「徹とインプロ」、「徹と歌」、…… 。
ジャズは、やはり齋藤の音楽のひとつの要素に過ぎなかった。しかし、数ある断片の冒頭に置かれたことは、それが彼の音楽の出発点であったからかもしれない。活動の最初期に行動を共にした音楽家は、高柳昌行、富樫雅彦という、ジャズを中心軸としながらもその殻を激しく突き破った者たちなのだった。
2000年前後に、「往来トリオ」というグループがあった。林栄一(サックス)、齋藤徹(ベース)、小山彰太(ドラムス)からなるサックストリオであり、ジャズのフォーマットでありながら極めて独特な音を出す異端の3人による集合体だった。しかし、齋藤曰く、「往来トリオ」は自身にとって「ジャズの実験」だったのだという。いちどは過ぎ去った要素だったのかもしれない。
今回あらためて、齋藤徹が「ジャズ」の演奏を企画した。なぜ今になって「ジャズ」なのか。カギカッコ付きの言及は何を意味するのか。制度やルールか、気概か、伝統へのリスペクトか。そしてこの日演奏された曲は、アンコールを除き、すべて齋藤のオリジナルだった。
アンソニー・ブラクストンの曲作りを参考にしたという「黒石」(ブラック・ストーン!)は、いかにブラクストンのテイストであってもそこはフリー・「ジャズ」。この枠内で展開される齋藤徹のベースは、依拠するものが「ジャズ」であるだけに、ジャズの文脈の中で記憶に刻み付けられていく。というのも、齋藤徹の音は、それを聴くときにアイデンティティを強く感じるものの、聴かないときに音を思いだそうとしても、はっきりとした形を再生できないことが多いように思うからである。記憶も、依拠するプラットフォームがあれば往還しやすいということか。
テオ・アンゲロプロスの映画『霧の中の風景』『永遠と一日』をモチーフにした曲は、とても抒情と物語性を包み持っている。特にこれらの曲において、かみむら泰一のソプラノサックスはヴィブラートにより震え、ベンドにより蛇行、またテナーサックスは中心となる音を敢えて突出させず、サウンドが共有される場において開かれたものとなっていた。また、コントラバスの弓弾きとの共振には素晴らしいものがあった。(なお、中心の音と周辺の音とを公平に扱うかみむらのサックスに対し、同じように、「美味しい部分」の音をことさらに増幅することを忌避してきた筈の齋藤のコントラバスが、この日、久しぶりにアンプにつなげられた。事態が複雑骨折を起こしそうである。)
一方、ピアノは連続的な擦音を発する楽器ではない。しかし、靴を脱ぎ捨てた石田幹雄の両足は、格闘技で言えばグラップラーのようにペダルに絡みつき、執拗に、響きを制御し続けた。そして両手による鍵盤の演奏は、和音のchord、言説やルールの論理が依って立つcodeのいずれのコードをもいちから問い直すように、新たな関係を次々と見出しその都度提示した。両コードへの依拠により得られる調和の美しさと安心感、両コードからの逸脱による刺激と興奮、そのいずれもがジャズの醍醐味であると言うことができようか。
アンコールに応え、デューク・エリントンの曲「Things Ain’t What They Used to Be」において、その場は多幸感に包まれた。
故・富樫雅彦は不幸な事故によって下半身の運動能力を失い、その結果、誰にも似ていないパーカッション奏者として再生した。その富樫が、あるセッションにおいて4ビートを叩きながら違和感を覚え、演奏をストップしたという逸話がある。齋藤徹も、2016年のインプロ・セッションの中で、ノリの流れにのってベースを弾きつつも、やはり違和感なのか何かを引っ込めてしまったように見えたことがあった。しかし、富樫雅彦にとっては、そのことが、のちのストレートなジャズ・グループ「J.J.スピリッツ」という素晴らしい成果の種となった。それでは、いちどは置き去りにしたジャズをまた抱きしめた齋藤徹は、この後、どのようなジャズを展開するのだろう。そのときには、カギカッコ付きの「ジャズ」ではなく、齋藤徹のジャズとして何にも似ていない音楽を創り出しているに違いない。
(文中敬称略)