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Concerts/Live ShowsNo. 286

#1193 落穂の雨

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡

2022年1月29日(土) 千葉市・Jazz Spot Candy

落穂の雨:
Makoto Kawashima 川島誠 (alto saxophone)
Louis Inage ルイス稲毛 (bass)
Naoto Yamagishi 山㟁直人 (percussion)

1. Improvisation
2. Improvisation

ようやく注目のグループ「落穂の雨」の演奏を観ることができた。場所はルイス稲毛の地元・稲毛のJazz Spot Candyであり、そのためか親密な雰囲気に満ちていた。

少なからず驚いたのは川島誠の変化だ。かつては、視線を自身の内奥に向け、記憶の底にある澱をすくいあげては形にするようなところがあった。そのプロセスにおいてかれがつかむものが昔の童謡でもあるように思えていた。ここでのヴェクトルはそうではなく外向きであり、かすかな息遣い、嗚咽や濁流まで、最後まで自身を放出するものだった。

以前山㟁直人に「叩かないのですか」と訊いたところ、いや叩くこともあるのですよと笑って答えてくれたことがあった。筆者にとっても、あるいは少なくない者にとっても、山㟁は「擦るパーカッショニスト」だっただろう。この日、川島のプレイが原因なのか、あるいは結果なのかわからないが、かれは激しく叩いた。それはフリージャズの文脈に陥るというあやうさなど一笑に付すほどのものだった。(もっとも、リリース済みのディスクでも山㟁はスティックで叩いており、かれのひとつの側面に過ぎないのかもしれない。)

ルイス稲毛のベースはバンドを強く駆動する。それとともに非常に柔軟でもあり、トリックスターたる川島が激しくブロウするとサウンドをそのように染め、抑制すると稲毛も下向きの力を静かに込めた。

休憩時間に、川島に変化の印象について話してみた。かれは、わからないがソロとの違いなのかもしれない、ただ次はそのように気持ちを中と下に向けてみようと呟いた。セカンドセットのプレイはたしかに抑制されてはいたが、それは記憶の澱に向けられたものとは違っており、抑制ではあってもヴェクトルは依然外向きであるように思えた。呼応して、山㟁は太鼓の皮に口から直接圧を加えてグラデーションを与え、稲毛もまた座り込んで下からの低音を響かせた。心的な状況に応じて驚くほど変貌するバンドサウンドの幅広さ、これも「落穂の雨」のおもしろさにちがいない。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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