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Concerts/Live ShowsNo. 287

#1196 「喜多直毅クァルテット/沈黙と咆哮の音楽ドラマ」

2022年2月4日(金)@新宿ピットイン
Reported by Kayo Fushiya 伏谷佳代
Photos by Shinsuke Yamada 山田真介

喜多直毅クァルテット:
喜多直毅(音楽とヴァイオリン)
北村聡(バンドネオン)
三枝伸太郎(ピアノ)
田辺和弘(コントラバス)

プログラム;
1. 鉄条網のテーマ
2. 疾走歌
3. 街角の女たち~The Pom-Pom Girls~
4. 峻嶺
<休憩>
1. 孤独~タンゴ的即興~酒乱
2. さすらい人
3. 轍
4. 悲愴
5. 残された空


久々に喜多クァルテットを聴く。いつもながらの圧倒的な演奏力を前に、今更のような事象がぐるぐると頭を駆け巡る。まず、完成度と洗練との侵食関係。一般的に個々のプレイヤーの能力が高ければ高いほど、アンサンブルはこなれ感を充満させながらも、「型」化しやすい。それが現れなければ聴き手としては物足りないものの、後には一抹のあっけなさが残る類のものだ。しかしながら彼らの面白さは、スタイルが鋭角化すればするほど洗練(スタイリッシュ)を追い払うところだ。ちょっとした呼吸の狭間にぶすぶすと煙る、ずっしり重く容赦ない荒涼。そして闇が深いがゆえ際立つ、一筋の光や凪がもつ慰撫力。

泥をよけずに踏み固めるかのごとき直截さは、聴き手がふだん目を背けている深層心理を抉り出す。とりわけヴァイオリンを中心に、個々の楽器は前衛的な奏法を随所で前面に出すが、立ち現れる音はどれも本質を突く。感情の襞に真っ向から突き刺さる。ひとつの擦弦が、打鍵が、ピッツィカートが、刻々と意識の深化を誘発し、あたかも落下する砂時計の砂を直視するような臨場感。一音が含みもつ情景の多様さ―楽器の属性を飄々と飛び越え、自在に混ざり合いクラッシュしては、多面的に動く。トゥッティでのスタミナは驚異的だ。

こうした瞬間の充実と分かち難く共存しているのが、メロディの薫り高さ。音楽たるもの「流れる」のが命題であることを忘れていない。各々の実験的な経験値は、遠くから寄せて来るメロディにそこはかとなく宿る。「聴かせる」のではなく「聞こえてくる」のだ。即興の醍醐味の凝縮だろう。

ぶっ通しのメドレー形式を身上とするクァルテットだが、この日は2セット連続という例外的な機会となった。PAの導入により音圧はかなり強めながら、同時に細かなニュアンスも拾い、ホログラフィのような立体感で迫る。ジャズの箱の代名詞といえるピットインで、ジャズを全く経ていない4人の存在感に違和感はない。実力のあるミュージシャンにとって、その属性は不問である状況がようやく常態化しつつある。(*文中敬称略)



<関連リンク>
https://www.naoki-kita.com/
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https://synthax.jp/RPR/mieda/esperanza.html
https://www.facebook.com/kazuhiro.tanabe.33?ref=br_rs

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。欧州に長期居住し(ポルトガル・ドイツ・イタリア)各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評(月刊誌/Web媒体)、演奏会プログラムやライナーノーツの執筆・翻訳など多数。

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