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Concerts/Live ShowsNo. 294

#1235 MMBトリオ with 神田綾子・ルイス稲毛/林栄一

Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by m.yoshihisa (September 30) and Akira Saito 齊藤聡 (October 1)
Movie by 宮部勝之 Katsuyuki Miyabe

2022年9月30日(金) 入谷・なってるハウス
2022年10月1日(土) 本八幡・cooljojo

MMB Trio:
Liudas Mockūnas (tenor sax, soprano sax, sopranino sax, clarinet)
Arnas Mikalkėnas (piano)
Håkon Berre (drums, percussion)

Guest on September 30:
Ayako Kanda 神田綾子 (voice)
Louis Inage ルイス稲毛 (bass)
Guest on October 1:
Eiichi Hayashi 林栄一 (alto sax)

コロナ禍明けの兆しか、ようやく海外から来日してツアーを行う音楽家たちが出てきた。MMBトリオとは、サックス・クラリネットのリューダス・モツクーナス(リトアニア)、ピアノのアルナス・ミカルケナス(リトアニア)、ドラムスのホーコン・ベレ(ノルウェーからデンマークへ移住)の3人から成るグループである。2014年にヴィリニュス・ジャズ・フェスティヴァルで吹き込まれた『plunged』(Barefoot Records)は傑作だ。今般、オフ日なく8日間連続の日程が組まれた(もっとも、かれらはツアーがオフみたいなものだよと笑って話している)。

ホーコン・ベレのプレイは、ドラミングの要素がピラミッドのようなヒエラルキーを成すのではなく、アレクサンダー・カルダーによるモビールを彷彿とさせるものだ。さまざまな色や形の音要素があり、それらの関係が風向きとともに変わっては、べつの姿をみせる。そのあたりが晩年のジョン・ラッセル(ギター)とともに来日したストーレ・リアヴィーク・ソルベルグを思わせるところもあるのだが、ベレ本人も、たしかにストーレとは同郷で同年齢だからねと言った。シーンの相互の影響は、ふとそのようなところに現れ出るものなのかもしれない。

ピアノのアルナス・ミカルケナスは初来日であり、メンバーの中でも唯一の三十代と若い。筆者を含め観客の全員がはじめて目にするプレイに印象付けられたにちがいない。沈思するようにしばらく手を休め、仲間のプレイを興味深そうに観察する時間があると思えば、内部奏法を駆使した音の散逸も、鍵盤を連続的に鳴らしての大きな波のプロファイル形成もある。美しい響きはかつて師事したという英国のハワード・ライリーと共通するところがなくもないが、むしろ、サウンド・インスタレーションなど、より幅広い表現の経験からくるものだろう。

リューダス・モツクーナスは、前回(2018年)の来日時、その強く粘るタンギングで梅津和時を驚かせたと聞いた。今回もそれは驚異的であり、とくにソプラノサックスのブロウにおいて顕著だった。ときに循環呼吸により長いラインを描きつつ、大きなうねりを創出し、タンギングによる撥音をその流れにまとわりつかせた。マウスピースを離しても撥音は途絶えることがない。もちろんソプラノだけではない。ソプラニーノの音圧は非常に強いために澄み渡った世界が視えるようであり、テナーではときに低音をびりびりと震わせ、ときに音の弾を続けざまに放つ。クラリネットは管体を外してマウスピースを直付けもして、楽器のもつ柔らかさという特性自体をも制御する。このように書くと特殊奏法を次々に繰り出しているようだが、実際にプレイを目の当たりにするとその印象は皆無だ。

ツアー初日はゲストとしてヴォイスの神田綾子とベースのルイス稲毛が加わった。トリオの音風景はかなりの幅をもって移り変わってゆくものだが、その中にゲストのふたりが介入するありようもまた少なからず異なっていた。

稲毛はことさらに強度をもって前面に出てくることはせず、サウンド全体が浮上したり舵を切ったりすることに大きく貢献した。のちにミカルケナスに聴いてみたところ、稲毛はサウンドの空間を拡げてくれたんだと言った。それは、サウンドの異物としてではなく、内部から剛に柔に突き動かす介入という意味だろうと思える。

神田は前面でトリオの三者と拮抗し、おのおのに刺激を与えた。そのアプローチは、きっと相手が呼応するありようを見越したものであり、それはときに相手の擬態であり、ときに敢えて腹をみせるものであった。そして相手は誘いと知りながら刺激を返した。モツクーナスも稲毛も相互のコミュニケーションが嬉しいのか、横で破顔した。結果的な現象としてのヴォイスは、サックスの放つ音と噛み合う幾何学的なものであったり、サウンド全体の流れとの間を往還するポルタメントであったりした。セカンドセットには神田がひとりで抽象的な物語を創り出す局面があり、その力量には観客の多くが驚かされたにちがいない。

映像(宮部勝之)

2日目にはアルトサックスの林栄一がゲスト参加した。

トリオの演奏はやはり驚きに満ちたものだ。モツクーナスがテナーを吹き始めたときにどこかでハウリングが起きているのかと思ったところ、ベレがシンバルを擦る音だと判った。モツクーナスはソプラノのベルから水を注ぎこみ、上に向けて泡立つ音を効果として取り込んだりもする。だが、奇を衒ったプレイではない。すべてが自然な流れのもとにある。林もモツクーナスに対して笑顔で親指を立ててみせた。

林栄一の音はトリオのサウンドの中でも際立つとともに、モツクーナスの迫りくる音と絡むことで魅力を増すように聴こえる。演奏後、林のブロウについて、ベレとミカルケナスは音域の幅広さが印象的だと話した。また、モツクーナスは「声だ」と評し、ビバップの影響がどこかあるかなとも指摘した。おそらくは長い日本のジャズ、フリージャズの歴史を生きてきた蓄積が、哀しくも強くもある唯一無二の「声」となっているのだと解するべきなのだろう。それがルーツを異にするヨーロッパのサウンドと重なったとき、互いの違いがそれぞれの音をさらに引き立たせる。今回のツアーにおいて日本のゲストと共演する意味はそのあたりにもある。

 

(文中敬称略)

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齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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