#1286 ケン・ヴァンダーマーク+ポール・ニルセン・ラヴ 2024年日本ツアー(関東編)
Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 and Gan極楽商会 (noted)
2024年1月9日(火) 渋谷・Dommune
2024年1月19日(土)、20日(日) 千葉・Jazz Spot Candy
2024年1月24日(水)~26日(金) 渋谷・公園通りクラシックス
Ken Vandermark (tenor sax, clarinet)
Paal Nilssen-Love (drums)
Akira Sakata 坂田明 (alto sax, clarinet, voice) (1/9, 25, 26)
Masahiko Satoh 佐藤允彦 (piano) (1/24, 26)
コロナ禍を経て、ノルウェーのポール・ニルセン・ラヴ、アメリカのケン・ヴァンダーマークがおよそ4年ぶりの来日を果たした。あいかわらず滞日中はほぼ毎日演奏で埋めつくし、空いている日もふたりで新幹線に乗り、クラシックピアノのイーヴォ・ポゴレリチのコンサートを観にいく有様。もう嬉しくなってしまう。
初日は渋谷のドミューンからの配信。短めのライヴ前に1時間ほどのトーク時間が設けられ、筆者がインタビューと進行の任に当たった。たとえば、ニルセン・ラヴが十代のころから共演するサックス奏者のフローデ・イェシュタについて「比較的柔らかいタイプだと思うのだが」と話を振ると、かれは「ときによって柔らかいことも硬いこともあるよ」くらいに応じた。またふたりにこれまで共演した日本の音楽家たちの印象を問うと、意外にも新鮮な質問のようだった。ヴァンダーマークは「音楽について話すことと演ることとはまったく異なる体験だった」とツアー終盤で振り返っている。こういったことは、音楽を演る者と音楽を聴き語る者との本質的なちがいなのかもしれない。いずれにせよツアーのオープニングは不思議な設定だった。
ヴァンダーマークはたしかに循環呼吸による長いフレージングもみせるし、クラリネットではあまり聴くことのないマージナルな高音部を駆使してみたりもする。だが、かれの演奏を特殊奏法や音の多彩さで特徴付けるのは妥当ではない。むしろ極めてオーソドックスなリード奏者であり、その凄みは音楽のリザーヴの大きさにある。決して奇を衒うことがないのに、ブロウ中のどの時間をとっても何にも似ていないし、ましてや自分自身の再生産など皆無に思える。そしてポール・ニルセン・ラヴのドラミングとみごとに並走し、ときに仕掛け、ときにかれの潮目を察知して大河の流れを大胆に変えてみせる。
ニルセン・ラヴについても同様の言いかたとなってしまう。たしかに重心の低い設定だが、単純にそれがかれのプレイを象徴するものとは言えないだろう。強靭なリストにより、ドラムセットから実にバランス良くタイトで圧の強い音波を放ち続ける。パワープレイではあっても極めて柔軟であり、強さと速さとがたいへんな水準で両立している。しかもプレイの間ずっと、ヴァンダーマークとコンタクトを取っているのだ。着想が浮かび行動に移すであろうときのタイムラグなど、まったく存在しないようにみえる。
公園通りクラシックスでのゲストとの交感はみものだった。佐藤允彦は当意即妙なフレージングによってではなく、全体の流れに手を添えることでその流れを大きく成長させてみせた。諸葛亮孔明のごとし。また、坂田明のブロウの奔流には血も笑いもあって、ときに皆を凌駕する存在感を発揮した。最終日には佐藤と坂田が揃って参加したのだが、ファーストセットはこのふたりがつくりあげてきた日本のフリー・ジャズへのトリビュートでもあったように思えた。じっさい、初日のリハーサルではニルセン・ラヴと坂田が山下洋輔の<キアズマ>をさらっていたのだ。ニルセン・ラヴは自身が参加するグループ「ザ・シング」のアルバムで同曲を演奏してもいる。
説明はせいぜいここまでだ。かれらの演奏を目の当たりにした者は例外なく驚愕し、他に注意を向けることができなくなり、魅せられる。ジャズの即興演奏はここまでの高みに到達することができる。
(文中敬称略)