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R.I.P. 鈴木勲No. 289

おまさんとの回想録 by 吉田サトシ

Text by Satoshi Suzuki 吉田サトシ

鈴木勲様
沢山の経験、お心遣い大変ありがとうございました。
23歳から27歳までご一緒させて頂きましたが、
あの時の経験がなければ、今の自分はありません。
常におまさんがいてくれるという安心感でどこかほっとしていましたが、旅立たれてしまいとても寂しいです。
教わった事を忘れずに恥ずべき事ない様に
しっかりやっていきますのでどうぞ見守っていて下さい!

おまさんとの回想録
おまさんとの出会い
自分が23歳の時、ピアニストの丈青さんの紹介で遊びに来て弾いてごらんという感じでした。
当時は長山剛士さんというギタリストがレギュラーで何曲か飛び入りさせてもらい、
何度か飛び入りするうちに、「レギュラーでやれるか?」「はい、お願いします」「よーし、じゃあ練習だ」と昼の12時に集まっては練習していました。
練習が終わると「よし珈琲飲みに行こう」と確かおまさんはコーヒー飲まなかった気がしますが、昭和の雰囲気が残る喫茶店に連れていってもらい、いつも「好きなの頼んで良いよ」とご馳走してくれました。
当時、大変恐縮だったのですが、おまさんとドラムの力武さんがご近所だったので自宅に迎えに来て頂いて、おまさんを迎えに行くというスタイルでしたので、車中でいつもおまさんから音楽的な話や戦後のジャズマンの話などたくさん聞くことが出来ました。

日本のジャズクラブ
おまさんと一緒に出演したジャズのお店は関東だと新宿ピットイン、横浜エアジン、西荻窪アケタの店、六本木アルフィー、大森さわ、吉祥寺サムタイム、メンバーが多かったのでステージでぎゅうぎゅうで汗だくで演奏していましたね。まだまだ、自分の演奏に納得がいかなく、先輩の演奏凄いなぁと、がっかりして帰っていたのを憶えています。

全国ツアー
各都道府県、北は北海道根室市、南は九州熊本など、運転してセッティングをしてサウンドチェックして本番、片付けて打ち上げをしてという日々でした。
道中にどこかのジャズフェスが入ってくるという感じで、毎日同じ曲目を演奏したり、おまさんが弾き始めたら、ついていくというこの工程と経験が自分が上達させて頂いたと思っています。

まだまだ未熟でしたので^_^「自分でリーダーやってみないと分からないぞサトシ、俺の苦労が。瞬間瞬間で誰がどんな音を出していてそれを瞬時に察知して一番良い事やらなきゃいけないんだよ。難しいだろ!
リズムは同じでメロディーが違うフレーズとメロディーが同じでリズムが違うフレーズほらやってごらん、(そんなすぐ出来ません)
ジャズマンは見た目もかっこよくなきゃいけないんだぞ、マイルスもかっこいいだろ。
一音でも変な音出してごらん、その時観た人はもうこの人下手くそだなって思うんだよ、そしたらもうその人からは一生下手くそだと思われるから、怖いんだぞ音楽の世界は。

バラードでやっぱり泣かせなきゃいけないんだよ。メロディでな!


吉田サトシ Satoshi Yoshida – Guitar
1980年東京で生まれで札幌で育つ。13歳からギターを始め、LIVEなどを行っていた。18歳で帰京。2001年にギブソンジャズギターコンテストで優勝し、プロとして活動をスタート。2004年から2007年まで鈴木勲OMASOUNDに加入。2011年に1st Album Meant to Be を発表。2014年にNY録音で2nd Album MEMENTOを発表。2020年12月に3rd Album「AFRICAN TECHNOPOLICE」をReleaseした。電気グルーヴやMISIA,黒田卓也,杏里,高岡早紀,Awich,RIRIなど、様々なアーティストのサポートなどもしている。

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