人生初のツアーもフェスもレコーディングも全てオマさんとでした。by 吉良創太
Text by Sota Kira 吉良創太
オマさん。ありがとうございました。
亡くなって数日間、オマさんの音源を聴いていました。やはりオマさんの音を聴くと未だに背筋が伸びるようです。と同時に実家に帰った時のような安心感もあります。
これは完璧に刷り込みというものだと思います。
人生初のツアーもフェスもレコーディングも全てオマさんとでした。
初めてリハに呼ばれてお会いした時、自分はまだ学生でした。
それからほぼ毎日の電話、叱咤激励、もみくちゃになりながらオマサウンドのレギュラーとして5年ほど過ごさせてもらいました。オマさんとの演奏は常に何が起こるか分からない、いつも崖っぷちのような緊張感でした。また全ての体験が漫画の様な派手で劇的な事ばかりでした。
オマさんは特にドラマーに厳しく、演奏中に怒鳴られる事もしばしばありました。
厳しい事も沢山言われました。でもアートブレイキーはじめ世界のレジェンド達と音を出してきた人です。その人に違うと言われたら違うんだな、と素直に受け入れてなんとか食らいついていこうと必死でした。また、誰の様に叩けという風な事は決して言いませんでした。あくまで誰にもできない自分の個性を伸ばせと言ってくれていたのが心に残っています。電話でも最後には「まあ頑張んなさいよ」と励ましてくれていました。時には理不尽に感じて腹が立つこともありましたが、なんだか憎めない、人間的な魅力に溢れていました。
レギュラー卒業後もたまに呼んで頂き、最後に演奏したのは2019年の渋谷音楽祭でした。当時自分は体調を崩しやすくて、その日も具合が悪く風邪気味でした。
すると休憩中にオマさんがおもむろに「お前は酒をやめろ」と言ったのです。
続けて「なぜ酒を飲むと良くないか」その理由を実に理路整然と話してくれました。
(別に自分は酒浸りだったわけではありません。念のため。)
しかしこれがまるで自分の生活を全て見抜かれているようなとんでもない説得力で、見事に納得させられました。
それから実際に酒を控えたらすっかり健康になりました。その後まもなくコロナ禍になり、未だに何とか健康を保っていられるのはあの時のオマさんのおかげだと思っています。
訃報を聞いて2日後くらいにオマさんと電話する夢を見ました。
僕が電話をかけると「おう、どうした?」と普通にオマさんが電話に出ました。
「お久しぶりです!オマさん、元気ですか?」と聞くと
「おう元気だよ〜」といつもの感じ(少し優しめ)で言っていました。
夢はそれっきりでしたが、なんだか挨拶できたようで妙な安堵感がありました。
オマさん、本当にお世話になりました。
今の自分があるのも間違いなくオマさんのおかげです。
「俺の年まで演奏出来たらたいしたもんだよ」
と、よく言っていましたね。これからもオマさんに教わったことを胸にとどめて自分も80代現役目指して頑張ります。本当にありがとうございました
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
吉良創太 Sota Kira – Drummer
高知県出身。東京音楽大学打楽器科を経て同大学院修士課程修了。大学院在籍中に給費奨学生に選ばれる。打楽器を菅原淳、岡田真理子、藤本隆文、明神あけみの各氏に師事。ドラムを岩瀬立飛、小松伸之、吉川英治の各氏に師事。大学院在籍中に日本ジャズ界の巨匠、鈴木勲バンドへの加入で本格的なプロ活動を開始。その後、山口真文(ts)、西尾健一(tp)をはじめ様々なバンド、ミュージシャンのもとで多くの経験を積む。近年の活動としては2019年よりマイルスデイビスとの共演で知られる世界的ピアニスト、ケイ赤城トリオに参加。2020年からは大西順子トリオに参加する。STUTS band setのメンバーとしてフジロック2021に出演。サイドワークとして打楽器アンサンブル集団DA.DA.DOUNを主宰。日野皓正presents jazz for kids 世田谷ドリームジャズバンドでドラム講師を担当。ドラムヘッドaspr(アサプラ)エンドーサー。ジャズシーンを軸に幅広く活動している。