Jazz and Far Beyond
第52回目となったメールス・フェスティヴァル、本会場、屋外ステージ、またセッションが行われたアネックス、教会やメールス市内でのライヴなどを含めると軽く100を超えるコンサートが行われた。
彼との共演は我が音楽人生で計り知れない素敵な経験でした。
あれだけのことをやるだけやって、ストンと逝く生き方は見事だと言わざるを得ない。
コロナで多くの可能性を失ったが…生き残った者は、この一瞬の生を精一杯生きるべきだ。
ブロッツマンの演奏にも室町以前の日本音楽、音階という概念がない時代の音楽、(散楽、田楽、猿楽)を連想してしまう。
音楽にとって大切なのは、その人から音に託されるそのものの豊穣な世界、深淵さだ。
ブレッツマンは、フリージャズをフリーミュージックと書き換えて世界に布教した
この秋、私がブロッツマンのCDをプロデュースする機会がついに訪れた。
ペーター・ブロッツマンが残した大傑作のひとつに『Nipples』(FMP、1969年)がある。2021年、アメリカのテレビ番組「The Tonight Show」の「Do Not Play」コーナーにおいて司会のジミー・ファロンが笑い飛ばしたことにより、この作品はフリージャズ愛好家以外にも知られることになった。なにしろ乳首であり轟音であり騒音なのだ。
2023年の3月に世を去った、ウェイン・ショーター(ts,ss)。そのミステリアスな魅力を放つ音楽は、永遠に不滅である。1990年代から、その晩年まで、筆者が直接感じたウェイン・ショーター体験を元に、その音楽と、ミステリアスな人柄にも迫る。
ペーター・ブロッツマン氏は、肺気腫ではあった。糸瓜の実りすら、間に合わなかった。
Donny McCaslinのすごい新譜が出た。常に限界に挑戦するようなサウンドだった彼の音楽がパンデミック中に進化を遂げた。このアルバムは彼の向かっている方向がはっきりと提示されている。Zoomインタビューで明らかになった意外なこのアルバムの真意を紹介しながらそれぞれの曲の解説を試みた。
ジャズ・ミュージシャンなら誰でもボウタイの1つはもっているだろう、ボウタイについて。
「ジャズ喫茶ベイシー」を知ることはオーナーの菅原正二を知ることになる。
巡る季節を進むLAL。コロナ禍の鎮静化にて最早完全に従前のペースへの軌道復帰も叶う中、今月号では皐月上旬から水無月上旬に巡った充実の現場8本をご紹介。
一緒に演奏すると、二人の個性が際立って見えてくるというのは新しい発見で、新しい音楽が出来そうな気がしていた。
ブロッツマンも現代美術から音楽へ転進してきた。
1997年に日本で刊行された限定200部のディスコグラフィー。
アビシャイの長年の夢の実現ともされるラテン・ジャズ・プロジェクト作。
演奏の質の高さ、森山の好調さなど見逃せない優れたドキュメント。
「エレクトリック・ギター」を「一人で静かに様々なアイディアを組み入れて弾く」これまでは無かった演奏スタイル。
2021年に急逝したヴォーカリスト、遠藤ゆかりへのトリビュート盤。4人の音楽家が故人の思いを継いで創り上げたアルバム(Disc 1)、遠藤ゆかりの未発表音源(Disc 2)を通して、パーソナルな記憶を超え、90年代の音楽文化が現在のジャズへとつながっていく。
群雄割拠の様相を呈している、東京のラージ・アンサンブル・シーンに、期待の新星が登場した。多くのビッグバンドや、ポップスのホーン・セクションで活躍する池本茂貴(tb)が、俊英たちを集結した13人編成のアンサンブルisles(アイルス、池本茂貴ラージ・アンサンブル)のデビュー作と、その背景に迫る。
台湾随一のサックス奏者・謝明諺(シェ・ミンイェン)は、ことばによる音楽的な響きの違いを追求している。久しぶりの来日公演で、沼尾翔子、遠藤ふみとともに作り上げる日本語のうたの世界。そしてポップ歌手の林理恵(マーズ・リンことリン・リーフイ)による台湾語・中国語のうたと朗読。なにか豊穣な音世界の起点となるか。
タツ青木は、シカゴ在住のベーシストであり三味線奏者でもある。フリーマン・ファミリー、フレッド・アンダーソン、AACMのミュージシャンたちとの出会いと共演、NYや東京とは異なるシカゴ・シーンの特徴、さらには新世代ミュージシャンたちについて語った。
阿部真武はさまざまなタイプのプレイヤーとしなやかに共演するベーシストである。演奏を行う場、演奏を介した関係の構築、それらは演奏家として自分自身に意識的にフィードバックされているようだ。